TheGoodGerman
2006年 アメリカ 108分
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
1945年の夏、AP通信の記者ジェイク・ガイスマーはポツダム会談を取材するためにベルリンを訪れるが、どうやらジェイク・ガイスマーの本意はポツダム会談よりも旧知の女性レーナ・ブラントと旧交を温めることにある。そのレーナ・ブラントは荒廃したベルリンで生存のために選択をおこない、ジェイク・ガイスマーの運転手タリー伍長の情婦となり、ドイツからの脱出をたくらんでいる。ジェイク・ガイスマーは偶然によってレーナ・ブラントとの再会を果たすが、タリー伍長はレーナ・ブラントの国外脱出を不正な手段によって進めつつあり、タリー伍長が死体となって発見されると、ジェイク・ガイスマーの周囲にはアメリカ軍当局による陰謀が浮かび上がる。
ジョゼフ・キャノンの原作は未読だが、監督はプロットに格別の関心を払っていない。これはおそらくハードボイルド版の『ソラリス』であり、原作はあくまでもネタであって、主眼はどこかで見たようなスタイルをコラージュすることにある。映画の背景となるベルリンを映し出したモノクロの粗い映像はジンネマン『山河遥かなり』をどことなく思わせるし、そこを動き回るジョージ・クルーニーはハンフリー・ボガードのようであり、ケイト・ブランシェットの悪女ぶりはワイルダーの『情婦』に登場したディートリッヒを思い出させる。ケイト・ブランシェットのほうがやや強面に見えるのは、やはりご時勢であろう。演出はジョン・ヒューストンのようでもあり、ラオール・ウォルシュのようでもあり、マイケル・カーティスのようでもあり、一時期のフリッツ・ラングのようでもあり、ジョージ・クルーニーがいつまでも絆創膏のお世話になっているのは、もしかしたらポランスキーの『チャイナタウン』と関係があるのかもしれない。意識的にB級を気取っているのか、カメラワークは時としてまとまりを欠き、スクリーンプロセスもワイプ処理も古めかしい。同じソダーバーグのモノクロ作品であっても『Kafka』のようなクリアな映像は登場しない。いや、そもそもオープニングのワーナーブラザーズのロゴにしてからが、モノクロでくすんでいるのである。それでも突発的な暴力描写はあきらかに現代の作品に属するが、その暴力で使用される椅子の脚がいとも簡単に折れるのは使用の起源がどこにあるのかをことさらに明示するためであろう。ただ、この映画が『ソラリス』と大きく異なるのは、ソダーバーグが『ソラリス』において表現手法としてのSFに根本的に背を向けたのに対し、ここでは素材に対して忠実な姿勢を示している点にある。映画への意識の差を別にすれば、これはロドリゲス/タランティーノによる『グラインドハウス』に似ていなくもない。ということで、懐かしいものを懐かしむような気持ちから、つまり、やってるやってる、という感じで素朴に楽しんだのである。俳優について言えばトビー・マグワイアがとにかく印象的で、登場するやいなや、ジョージ・クルーニーを完全に食っていた。ケイト・ブランシェットも記憶に残る仕事をしており、これまでに見たなかではいちばん魅力的であった。
Tetsuya Sato