Magnolia
1999年 アメリカ 187分
監督・脚本:ポール・トマス・アンダーソン
クイズ番組のプロデューサー、ジェーソン・ロバーズはガンに冒され死の床についている。そしてその朦朧とした死の床で自分の過去の悪事について告白を始め、かつて妻共々捨ててしまった自分の息子を捜してくれと看護人に依頼する。息子トム・クルーズは自分を捨てた父親への憎しみを隠しながらセックス教祖をやって成功していて、今日もセミナーで忙しい。当のクイズ番組の方では30年にわたって司会を担当してきた男ベイカーがやはりガンに冒され死の恐怖に震えている。やがて番組は始まり、ステージ・パパの叱咤に脅える天才クイズ少年スタンリーはさらに失禁の恐怖にも脅え、番組をバーで眺めているかつての天才クイズ少年ウィリアム・H・マーシーは自らの愛と苦悩について論じ始める。同じ頃、司会者の娘クローディアはコカインに溺れているところをカリング巡査の訪問を受ける。娘と巡査は一瞬の後に恋に落ちて真実の告白を誓い合い、さらにセックス教祖クルーズのところにもインタビューアーがやってきて登場人物告白大合戦へともつれこむ。どいつもこいつも他人や自分の痛いところに言葉によって探りを入れて、そのうちに登場人物全員が声をあわせて人間の愚かさについて歌い出すのである。それで多少は賢くなるのかと思っているとやっぱりそんなことはないので天変地異の助けを借りて映画は大団円へと突き進む。結局、自分の仕事を最後まで真面目にやっていたのはフィリップ・シーモア・ホフマンの看護人ただ一人であった。
様々な人物を配したドラマを巧みな編集でよくできたコラージュにまとめ、これこそが群像ドラマだと見せかけながらその真意は恐ろしいまでに冷笑的である。冷笑的であるが故に仕掛けを隠そうともしていない。クイズ番組を取り巻く人物の相関はメカニックに導き出されているし、個々のドラマはまったく新味がない上によく考えればくだらない。長大な上映時間も個別の要素を厚塗りをして説得力を付与するための必要最低限の長さである。すべてが世にもあほらしいクライマックスに奉仕するために存在しているのだが、万事においてそつがないので見ていて実にしゃくな映画なのであった。皮肉な笑いをポーカー・フェイスの下に隠したフィギュア・スケーターの演技を3時間にわたって見せられた、という感がある。テクニカル・ポイントは10だけど心がなくて、コーエン兄弟のように心があるようなふりすらしていない。頽廃しているけれど、そこがとても面白い。
Tetsuya Sato