Django
1966年 イタリア・スペイン 92分
監督:セルジオ・コルブッチ
四人のメキシコ人が一人の女を鞭打っていると、そこへ現われた五人のアメリカ人が四人のメキシコ人を撃ち殺し、五人のアメリカ人が女を焼き殺そうとしていると、そこへ現われたジャンゴが五人とも撃ち殺す。ジャンゴは女を町へ送り、その町では元南軍のジャクソン少佐とメキシコ人のウーゴ将軍が戦争をしていて、ジャンゴは町の中立地帯に置かれた売春宿へもぐり込み、やがて現われたジャクソン少佐に喧嘩を売って子分どもをあらかた殺し、一方、ウーゴ将軍とは協力してメキシコ軍の御用金を盗み出し、その金を独り占めしようとしたところを見つかって手を潰され、ピストルを握ることもできなくなったところへジャクソン少佐が現われる。
奇妙な邦題がついているが、セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』とはいかなる関係もない。舞台効果としてほぼ全編がぬかるんでいて、そこへジャンゴが例の棺桶を引きずって現われるのである。敵方のキャラクターは非常に明確で、ただもう単に悪いだけ、これに対するジャンゴは棺桶から機関銃を引っ張り出して撃ちまくるものの、あいにくと何が希望なのかが今一つよくわからない。あるいは希望ははっきりしているものの(ジャクソン少佐を殺す)、棺桶を機関銃を運ぶ以外の用途にも使ったりするので、その重たさと扱いの悪さに気を取られるのか、肝心なところに関心が集中できていないようにも見えるのである。そこまで棺桶にこだわるならば、いっそ棺桶のなかでしか寝ないとか、ゴキブリを潰すのにも使うとか、潰したゴキブリをはたくのに使うとか、もう少し活用してほしかった、という気もするのだが、とにかく見せ場の連続という作りになっていて、きびきびとした展開はそれなりの評価に値する。いわゆるマカロニ・ウエスタンというカテゴリーではよくも悪くも本道に位置する作品であろう。
Tetsuya Sato