2013年12月14日土曜日

ゼロ・グラビティ

ゼロ・グラビティ
Gravity
2013年 アメリカ 91分
監督:アルフォンソ・キュアロン

ライアン・ストーン博士がスペースシャトル『エクスプローラー』から船外作業に出てハッブル望遠鏡の修理をしているとロシアが自国の衛星を爆破して連鎖反応で周辺の衛星も壊れてデブリの大群になってシャトルに襲いかかり、シャトルから伸びるアームの先端にいたストーン博士はデブリによってもぎ取られたアームとともに宇宙へ流されてシャトル指揮官のコワルスキ―によって救出されるが、シャトルは全壊している上に通信衛星も破壊されているのでヒューストンとの連絡も絶たれ、生き延びるためにかなたに見えるISSに向かって移動を始める。 
冒頭の船外作業におけるはしゃぎぶりには時代錯誤な印象を受けたし、中盤以降は監督はもしかしたらテレンス・マリックなのではないかという疑いも抱いたが、テレンス・マリックなら確実に寝ていたはずなのでやっぱりキュアロンなのだと思い直して最後まできちっとした作りに感心しながら見終わった。
短編映画でも難しそうな素材を二人芝居(中盤からサンドラ・ブロックの一人芝居)という形でハードルを上げて、微細かつダイナミックな背景描写で仕上げるあたりの筆力は申し分ない。ISSの崩壊シーン、ソユーズ宇宙船のロシア的なアナログぶり、ソユーズとそっくりな神舟の近代化改修ぶりなど楽しめるところもたくさんある(ただ、正直なところを言うと壊し過ぎだし殺し過ぎ。この映画を見て心が傷ついた宇宙計画の関係者はけっこう多いのではあるまいか)。キャスティングもたくみで、ある意味誰でもよさそうなところにサンドラ・ブロックをあてることでサンドラ・ブロックの身体的な強度が生かされている。
つまりきわめてよくできた映画ではあるが、それにもかかわらず一点豪華主義的な、そして一点においてよければ観客は満足するというこちらの弱点を見通しているような、ある種のあざとさが微妙に嗅ぎ取れる、というところにたぶんいくらかの抵抗を感じている。原題の"Gravity"が最終的にあのような形に帰結するところもどこか気恥ずかしい。洒落だったのかもしれない、という気もする。 
Tetsuya Sato