2013年12月30日月曜日

マン・オブ・スティール

マン・オブ・スティール
Man of Steel
2013年 アメリカ/カナダ/イギリス 143分
監督:ザック・スナイダー

ジョー=エルは滅亡するクリプトンの未来を息子のカル=エルに託して地球に送り、ケント家に拾われてクラーク・ケントとなったカル=エルは出生の秘密に悩んで世界をさまようあいだに北極の氷塊のなかに眠るクリプトンの宇宙船に遭遇して出生の秘密にかかわる問題を解決し、その場にいあわせたロイス・レインも謎を追ってクラーク・ケントの実家をつきとめ、反乱の罪によってファントム・ゾーンに追われていたゾッド将軍とその一味はクリプトンの未来をカル=エルの手から取り戻すために地球に現われて全地球を相手にカル=エルの引き渡しを要求すると軍はロイス・レインをおとりにカル=エルを捕えてゾッド将軍に引き渡し、カル=エルを捕えたゾッド将軍は地球をクリプトン化する作戦にかかり、ゾッド将軍の手から逃れたカル=エルはアメリカ軍とともにゾッド将軍に立ち向かう。 
スーパーマンというアイデンティティにいくらか混乱を抱えている上に匿名性が脆弱なキャラクターにモダンな合理性を付与するための一連の手続きは解釈として面白いと思う。しかしその結果、スーパーマンは設定の危うさを気にもかけない超人性を失うことになり、ありがちな苦悩を抱えた面白みのないヒーローに成り果てたのだ、と言えなくもない。
映像作品としては冒頭のクリプトンにおける一連のシーンをはじめてとして特に美術面に見るべきところが多いし、視覚的にもおおむね洗練されているが、カットバックは見ているうちに面倒になるし、ほぼ全編が破壊の連続で、クライマックスのマンハッタンのシーンは正直なところ、見ているうちにいやになった。壊し過ぎだし殺し過ぎ。そう思って見ているとヘンリー・カヴィルの妙に血の気の濃い顔も気になってきて、胸に書いてあるそのSの字は希望ではなくて、もしかしたら『ソプラノズ』のSではないかと問いたくなってくる。一定の完成度に達していることは認めなければならないが、わたしとしてはやはりリチャード・ドナー版のほうが好き。つまり、いまどきのスーパーマンが"truth, justice and the american way"とはなかなか口にできないであろうことは承知しているが、それでもあえて口にすることがもしかしたら重要なのではあるまいか。 


Tetsuya Sato