ターザン: REBORN
The Legend of Tarzan
2016年 イギリス/カナダ/アメリカ 110分
監督:デヴィッド・イェーツ
1884年のアフリカ分割に関するベルリン会議でコンゴ盆地の統治権を得たベルギー国王レオポルド二世はここを私領して私財をつぎ込むが財政的に破綻、資金を回収するために送り込まれた公使レオン・ロムはコンゴを訪れてダイヤを求め、ターザンに恨みを抱くムボンガからダイヤの代償としてターザンを求められ、ベルギー国王からコンゴの視察に招聘されたグレイストーク卿は「アフリカは暑い」という理由で断るものの、妻ジェーンとアメリカ代表ウィリアムズ博士の説得でコンゴを訪問、ただしレオン・ロムが公安軍とともに待ち構えるボマ港の手前で船を下りてジェーンの生まれ育ったクバ族の村を訪れ、それを知ったレオン・ロムは手勢を率いて村を襲撃、グレイストーク卿は取り逃がすもののジェーンを確保し、さらに村の男たちもさらうので、妻を奪われたグレイストーク卿は村の男たちとともにジャングルを駆ける。
グレイストーク卿/ターザンがステラン・スカルスガルドの息子アレキサンダー・スカルスガルド、白い麻のスーツに身を包んで怪しい技を使うレオン・ロムがクリストフ・ヴァルツ、文明世界からの来訪者ウィリアムズ博士がサミュエル・L・ジャクソン。序盤からクリストフ・ヴァルツが植民地の悪い白人全開で、収奪ぶりがあからさまに描かれ、ターザンの反撃はここまでやるかというくらいにアフリカの大地が怒りでうなり、悪い白人は分相応の最期を遂げる(悪いのは全部ベルギーだからどこからも文句は出ない、というところがミソであろう)。素材としてはこれまであったものの継ぎ接ぎだが、それを徹底的に反植民地主義的にやったターザン映画というのはおそらくこれが最初であろう。悪役がはっきりしているだけにノリがよく、とにかくスリリングな仕上がりになっている。アレキサンダー・スカルスガルドのターザンは非常にいい感じ。クリストフ・ヴァルツはクリストフ・ヴァルツで見たこともないほど悪い植民地の白人を嬉しそうに演じている。
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Tetsuya Sato
ジャングル・ブック
The Jungle Book
2016年 イギリス/アメリカ 106分
監督:ジョン・ファヴロー
ジャングルに一人でいた人間の子供をヒョウのバギーラが見つけてオオカミのグループに預け、子供はモーグリと名づけられて牝オオカミのラクシャによって育てられ、そこへトラのシア・カーンが現われて自分の顔に傷を負わせたのは人間であり、人間は自分の仇なので子供を渡せとオオカミに迫り、オオカミのリーダー、アキーラが拒絶するとシア・カーンは戦争を宣言、モーグリはオオカミの群れから離れることを決意してバギーラに連れられて人間の村を目指して出発するが、途中でシア・カーンに襲われてバギーラとはぐれ、ヘビのカーによって自分の過去に関わる秘密を明かされ、クマのバルーに助けられてうまい具合に使役され、バギーラと再会を果たして村への道を進もうとするが、突如として出現したサルの軍団にさらわれてキング・ルーイの前に運ばれる。
DVDで鑑賞。バギーラの声がベン・キングズレー、カーの声がスカーレット・ヨハンソン、シア・カーンの声がイドリス・エルバ、バルーの声がビル・マーレイ、キング・ルーイがクリストファー・ウォーケン。ラドヤード・キプリングの『ジャングル・ブック』の映画化だが、プロットのベースは1967年版のアニメーションのほうであろう。それをさらにモダンに味付けして、ジョン・ファヴローがいい映画に仕上げている(監督本人が顔を出す機会がない素材だからなのかもしれないが)。構成に無駄がなく、ダイアログもスピーディーで、呼吸もいい。動物ストーカー映画そこのけにリアルに造形された動物キャラクターにはどれもきちんと表情があり、キング・ルーイはなぜかちゃんとクリストファー・ウォーケンの目をしている。オオカミの子供たちをはじめ、毛皮のもふもふ感がよく出ていて、それがうろうろする様子はあまりにも愛らしくてイライラするほどだし、脇役動物たちが微妙に病的なところもかわいらしい。エンディングロールに登場する飛び出す絵本も含め、非常に造形的で楽しめたので、劇場で見なかったことが惜しまれる。
Tetsuya Sato
ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー
Rogue One
2016年 アメリカ 134分
監督:ギャレス・エドワーズ
帝国の手から逃れて家族とともに隠棲していたゲイリン・アーソは帝国の手先クレニックによって連れ去られ、幼い娘ジン・アーソは反乱勢力を率いるソウ・ゲレラが預かるが、15年後、帝国の刑務所で強制労働をするジン・アーソを共和国勢力が救い出して例のごとき基地へ運び、そこでジン・アーソの父親ゲイリン・アーソが帝国の最終兵器の開発に関わり、そのゲイリン・アーソに教唆された帝国の貨物船の操縦士が帝国の手から逃れてソウ・ゲレラの手中にあると明かされ、ジン・アーソは解放を条件にいわゆる反乱軍の中でも分派に属するソウ・ゲレラに接触してゲイリン・アーソの情報を得る任務を押しつけられ、反乱軍大尉キャシアン・アンドー、ドロイドのK2とともにソウ・ゲレラがいる惑星へ飛ぶとソウ・ゲレラに会って数年来の恨みを叫び、父親が操縦士に託したホログラフを見ていると惑星上空に完成から間もないデススターが現われて都市を破壊、脱出したジン・アーソは父親がいる惑星へ飛び、そこでいわゆる反乱軍勢力のたくらみを知って反発するが、デススターの前で委縮する共和国勢力の前で反撃を提案、志願者とともにデススターの設計図が保管されている惑星へ飛ぶ。
序盤、あっちの惑星、こっちの惑星と説明的に(そして悪い意味でジョージ・ルーカス的に)状況が飛び、前半をかけてローグ・ワンのメンバーを構成していく過程がだるいと言えば少々だるいが、後半、惑星スカリフの戦闘が始まるとその「戦争映画」ぶりが相当なもので、むごたらしさを眺めているとヒロインも含めてどことなく無名性を帯びていることにも納得がいく。ギャレス・エドワーズが『スターウォーズ』を叩き台に自分の映画を作ったことに間違いはないし、そこに織り込まれた明確な暴力性はダースベイダーをありがちな悪役からある種の恐怖へと昇華させている。おそらくすでに『スターウォーズ』ではなくなっているが、ある意味、シリーズ最高作である可能性もなくはない、という気がした。ピーター・カッシングの登場にはちょっとびっくり。あと、いつものことながら帝国側はもう少し防空に気を使ったほうがいいと思う。
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Tetsuya Sato
エージェント・ウルトラ
American Ultra
2015年 アメリカ/スイス 96分
監督:ニマ・ヌリザデ
ウエストバージニアのリマンという小さな町で恋人のフィービーと暮らしている麻薬常用者のマイク・ハウエルは自分の過去を思い出すことができない上に町から離れようとするとパニック障害を起こすという問題を抱えていて、だから町から離れることができないままコンビニの店員をしながら暇な時間に頭脳改造されたサルが凶暴無比の活躍をするマンガを描いて想像の世界で遊んでいたが、ある晩、コンビニの駐車場に停めた自分の車に男二人が何かをしているのを見て店から出て、それは自分の車だと穏やかに警告したところ、男二人は武器を出してマイク・ハウエルに襲いかかるので、マイク・ハウエルは一瞬の動作で二人を殺害、自分のしたことを見たマイク・ハウエルは恐怖に震えてフィービーを呼び、フィービーともども留置場にぶちこまれると警察には重火器で武装した二人組が現れて警官を皆殺しにしてマイク・ハウエルに襲いかかり、ここでもマイク・ハウエルは無敵の戦闘能力を唐突に発揮して現場から逃走、問題の封じ込めに失敗したと判断したCI担当官Aは町をホットゾーンに仕立てて隔離してから殺人者の集団を送り、フィービーを奪われたマイク・ハウエルはフィービーを救うために殺人者が待ち構えるホームセンターに突入、日常の様々な道具を使って大殺戮を開始する。
マイク・ハウエルがジェシー・アイゼンバーグ、フィービーがクリステン・スチュワート。ジェシー・アイゼンバーグ版ジェーソン・ボーンという感じで、ジェシー・アイゼンバーグの「アイドル映画」としては十分に機能しているように思う。ただ、CIAが国内活動でたった一人を殺害するために軍隊を動かし、武装ドローンを飛ばし、CDCやFEMAにも偽装し、メディアを操作するという微妙なトンデモ感(というか、ちゃちさ)がリアリティを大きく損なっているし、マインドコントロールのせいで心が重たくなった主人公が結末で明るくああなるのはどうなのか、ここにも少々首をひねった。いわゆる「MKウルトラ計画」関係の映画でくくるなら、リチャード・ドナー監督、メル・ギブスン主演の『陰謀のセオリー』(1997)のほうが断然おもしろい。
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Tetsuya Sato
13時間 ベンガジの秘密の兵士
13 Hours
2016年 アメリカ 144分
監督:マイケル・ベイ
カダフィ政権崩壊後のリビア、ベンガジにはアメリカ領事館が置かれ、そこからほど遠からぬところにはCIAの秘密基地があって、そこではCIA職員20人ほどがリビアにおける武器密売ルートを調査して、機会をとらえては買い取るという活動をしていて、この基地を守るために元アメリカ軍人6人が警備員として雇われて、言わば非常勤職員ということで微妙に粗略な扱いを受けていて、そうしていると2012年、預言者ムハンマドを冒涜する例の素人映画が話題になってエジプトで抗議活動が起こり、それがリビアにも波及してなぜか9月11日、イスラム厳格派の武装勢力が領事館を襲撃、領事館は放火され、CIAの秘密基地にいた警備員6名は武装して救援にかけつけるが、このときたまたまトリポリからベンガジを訪問していた大使は行方不明のままで、領事館の保安職員を救出して基地に戻ると今度はその基地が襲撃され、迫撃砲弾が撃ち込まれる。
ベンガジで実際に起こった事件の映画化で、モロッコとマルタ島でロケがされているようだが、当時のリビアの荒廃した雰囲気がよく再現されている。状況判断を間違い続ける現地CIA、アメリカ側の指揮系統の混乱ぶり、味方も敵も同じようにしか見えないし、実際のところ敵か味方かもわからないリビアの武装勢力、時間の経過に沿って刻々と悪化する状況、ドキュメンタリー調の戦闘シーンなどが2時間半の長尺にきちんとまとめらていて、ここに全員が妻子持ちという(つまり出稼ぎに来ている)警備員たちの不安や望郷の念などが加わるとそこが少々わずらわしいし、そこだけブラッカイマーの映画みたいだし、それをしているあいだにもう少し周囲の状況を書き込んでほしかったような気もしないでもないが、全体からすると悪くない。
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Tetsuya Sato
ジャック・リーチャー NEVER GO BACK
Jack Reacher: Never Go Back
2012年 中国/アメリカ 118分
監督:エドワード・ズウィック
凄腕、というよりもどちらかと言うとトラブルを引き寄せる傾向があるジャック・リーチャーはとある事件で陸軍憲兵隊のスーザン・ターナー少佐の知己を得ることになり、ターナー少佐を食事に誘うためにワシントンDCを訪れたジャック・リーチャーはターナー少佐がスパイ容疑で逮捕されたことを知り、ターナー少佐の弁護官ムーアクロフト大佐を訪れるが、ジャック・リーチャーは事を穏便に済ませようとするムーアクロフト大佐の姿勢を批判、ジャック・リーチャーの言葉に触発されたムーアクロフト大佐はターナー少佐の事件の関連情報をジャック・リーチャーに伝え、するとムーアクロフト大佐は何者かによって速やかに殺害され、ジャック・リーチャーはムーアクロフト大佐殺害の嫌疑で収監され、そこでただちに反撃に出ると同じ拘置所にいたターナー少佐を救出して二人で脱獄、一連の事件の背後軍事会社パラソースの存在があることを嗅ぎ取り、ジャック・リーチャーの娘である可能性が疑われる少女サマンサを仲間に加えると路銀の不足を克服しながらニューオーリンズに飛び、事件の証人を探し当て、群がる暗殺者を撃退して真相を暴く。
監督はクリストファー・マッカリーからエドワード・ズウィックに交代し、敵も謎の地上げ屋から謎の軍事会社に代わったせいか(あるいは原作自体の世代の変化による影響か)、一作目 にあった古めかしいB級テイストはおおむね消えてふつうにA級のアクション映画になっている。一作目 をあくまでも基準にするなら、良くも悪くも癖が消えている、ということになるのかもしれないが、この二作目の仕上がりも間違いなく一級である。ロバート・デュヴァルにヘルツォークといった前作の強烈な顔ぶれがない一方、こちらではトム・クルーズとタイマンを張るコビー・スマルダーズが実にいい感じで、監督がエドワード・ズウィックだから、ということになると思うけど、ふつうならもたもたしそうなところを余計な手間を取らないし、余計な手間を取らないという点ではコビー・スマルダーズ扮するターナー少佐は言うまでもなく、14歳の少女サマンサまでが有能で、逃げるときには転んだりしないで全速力で突っ走る。
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Tetsuya Sato
ラブ・アゲイン
Crazy, Stupid, Love.
2011年 アメリカ 103分
監督:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
キャル・ウィーバーとエミリー・ウィーバーの夫婦が子供たちをベビーシッターに預けて外食をして、デザートにキャル・ウィーバーがクレーム・ブリュレを望み、エミリー・ウィーバーが離婚を望んだことから25年続いた夫婦関係は一気に微妙な状態になり、キャル・ウィーバーはエミリー・ウィーバーが離婚を望んだ事情を聞くことを拒んで離婚に同意、家を出ると夜ごとにバーに出現しては自分は寝取られ男であると愚痴を垂れ流し、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーはその様子を見てキャル・ウィーバーに近づき、キャル・ウィーバーの改造を開始、服を替え、靴を替え、髪型を変えたキャル・ウィーバーはジェイコブ・パーマーの仕込みで女性に近づくようになり、一方、エミリー・ウィーバーは勤務先の同僚デイヴィッド・リンハーゲンから積極的なアプローチを受け、ウィーバー夫妻の息子で13歳のロビーは4つ年上のベビーシッター、ジェシカ・ライリーを魂の伴侶であると感じ、ジェシカ・ライリーの前で愛を告白するとかるくかわされてしまうので、学校の国語の授業で『スカーレット・レター』の"A"は"Ass Hole"の"A"であると熱弁して問題を起こし、キャル・ウィーバーとエミリー・ウィーバーがそれぞれに喪失感を味わい始めたころ、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーが恋に落ちる。
キャル・ウィーバーがスティーブ・カレル、エミリー・ウィーバーがジュリアン・ムーア、名うての女たらしであるジェイコブ・パーマーがライアン・ゴズリング、恋に落ちる相手がエマ・ストーン。デイヴィッド・リンハーゲンの役でケヴィン・ベーコンが出ているが、あいかわらずのゲストスター。監督は『フィリップ、きみを愛してる!』 のグレン・フィカーラ、ジョン・レクア。質のいい脚本できちんと演出された上質の映画で、スティーブ・カレルはじめ出演者もみないい仕事をしている。おそらくは「人生をずっとさぼっていた」ことになるスティーブ・カレルの序盤におけるどうしようもなさがとてもリアルで、ところどころ反省させられた(さすがにマジックテープ付きの財布は使わないが)。ジュリアン・ムーアもいい感じで、ライアン・ゴズリングも自然に二枚目をしていて悪くない。
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Tetsuya Sato
ユダヤ人だらけ
Ils sont partoute
2016年 フランス/ベルギー 111分
監督:イヴァン・アタル
セファルディー系のユダヤ人で1965年生まれの俳優イヴァン・アタルが自身がユダヤ人であるという事実に取りつかれてほぼパラノイアの状態で精神科医に自分のこだわりについて語り続けるあいまに反ユダヤ主義を掲げる右翼政党の次期党首の夫は祖母の死によって自分の意外な正体を知り、ユダヤ人は金持ちであるという「一般常識」に反して失業中で無一文のユダヤ人の男は異教徒の妻にその点を罵られて負け犬となじられ、Googleでユダヤ人について調べて実はユダヤ人が金持ちであることを知り、したがって自分はユダヤ人ではないという判断を下してユダヤ人である「義務」を捨て、 「われらがモサド」は イスラエルが秘密裏に開発したタイムマシンを使って恐るべき歴史「修正主義」作戦を実行に移し、ドランシー通過収容所跡地の向かいに住む赤毛の男は連日のように出現するユダヤ人に業を煮やし、ユダヤ人ばかりが同情を集めていると怒り、赤毛であることで自分がいかなる虐待を受けたかを叫んで赤毛連盟を結成し、経済破綻に瀕したフランス政府はユダヤ人だけはどうにか成功しているという事実に気づいて恐るべき「最終解決」を国民に提案し、語り続けるイヴァン・アタル本人はイスラム教徒の役を引き受けるかどうか考えている。
Netflixで鑑賞。監督・主演がテルアビブ出身のイヴァン・アタル。「ユダヤ人であること」と「反ユダヤ主義」に関する「偏見」に満ちたスケッチを重ねたコメディで、かなり笑えるし、異教徒の妻役で登場するシャルロット・ゲンズブールのビッチぶりもなかなかにすごいが、とにかく神経逆なで系なのでとても疲れる。
Tetsuya Sato
フィリップ、きみを愛してる!
I Love You Phillip Morris
2009年 フランス/アメリカ 97分
監督・脚本:グレン・フィカーラ、ジョン・レクア
生まれるのと同時に母親から養子に出されたことを知ったスティーブン・ラッセルはひとも驚く立派な人間になろうと決意して警官になり、敬虔なキリスト教徒の妻とかわいらしい娘と三人で幸福な家庭を営んでいたが、警官の立場を悪用して実の母親の所在をつきとめ、自分を捨てた理由を知るためにその家を訪れて門前払いされ、実は母親の所在をつきとめることが警官になった理由であったので、それを機会に警官をやめてテキサスに移り、そこでよい職とよい隣人に囲まれて幸福な家庭を営んでいたが、実は物心がついたころからゲイであったので妻に隠れて男とつきあい、交通事故にあって死と直面し、自分は自分を生きていないと気づいてカミングアウトし、妻と別れて盛大に男とつきあうようになり、男に貢ぐために金をはたき、金がなくなると詐欺をして金を稼ぎ、そのことでついに逮捕されて刑務所にぶち込まれると、そこでフィリップ・モリスと運命的な出会いを果たし、裏で手をまわして同房となって親密な関係となり、先に出所すると弁護士であると身分を偽ってフィリップ・モリスの釈放手続きを進め、フィリップ・モリスが出所すると同棲してフィリップ・モリスを養うために経歴を偽ってとある会社に財務担当重役となってもぐり込み、なぜか信任を受けるといきなり退屈し始めて、会社が扱う医療費を勝手に投資にまわしてその利益によって私腹をこやし、それがばれてまた刑務所にぶち込まれると愛するフィリップ・モリスと会うために手段を尽くして脱獄を繰り返し、そのことでテキサス州政府が激しく手を焼いたので終身刑で現在もなお服役中という実話らしい。
ある事件の再現という範囲ではそれなりによくできているし、ジム・キャリーは体重を変えて熱演し、ユアン・マクレガーは受身の男をいかにもといった風情で演じているが、監督をしているのが『キャッツ&ドッグス』の脚本家コンビだから、ということになるのか、微妙に薄ら寒い。その寒さの理由はよくわからないが、視点の維持に失敗しているのと、台詞で説明しすぎているからであろうとさしあたりは疑っている。
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Tetsuya Sato
偉大なるマルグリット
Marguerite
2015年 フランス/チェコ/ベルギー 129分
監督:グザヴィエ・ジャノリ
1920年、男爵夫人マルグリット・デュモンは後援をしている慈善団体の催しで歌を披露し、その歌を聞いた評論家リュシアン・ボーモンは新聞に批評を寄せてマルグリット・デュモンの歌声には悪魔も逃げ出すほどの迫力があったと紹介するので、記事を真に受けたマルグリット・デュモンはボーモントを新聞社に訪問、ボーモントの友人で詩人・画家のキリル・フォン・プリ―ストの誘いを受けてナイトクラブの催しに参加、マルグリット・デュモンの歌声にあわせてキリル・フォン・プリ―ストがダダイズム的表現を実践した結果、マルグリット・デュモンを含めて関係者は逮捕されるが、マルグリット・デュモンはこの経験から歌手には観客が必要であると確信するようになり、夫ジョルジュ・デュモンの反対を押し切ってオペラ歌手ペッジーニを教師に雇うとリサイタルの準備に取りかかる。
よく吟味された構成で丹念に作られた作品であり、認識面で孤立したヒロインと、ヒロインの認識面における孤立を解消する勇気が持てないその周辺、認識面で孤立したヒロインが幻想を膨らませていく一方で不安を膨らませていくその周辺、ヒロインの幻想に加担しながら得体の知れない呪術的空間を黙々と広げていく謎の執事、という具合に人物とその関係性がおもしろく配置されている。そしてクライマックスは、それこそ悪魔も逃げ出すほど恐ろしい。
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Tetsuya Sato
ズーランダー No.2
Zoolander 2
2016年 アメリカ 102分
監督:ベン・スティラー
2001年の一作目 の結末から15年後、ローマでジャスティン・ビーバーが殺害され、暗殺されたロック歌手の最後のメッセージにインタポールが共通点を読み取っていたころ、数々の苦難にあってファッション業界から引退してニュージャージーの極北で隠遁生活を送るデレク・ズーランダーの前にビリー・ゼインがメッセージを持って現われ、顔に傷を負ってファッション業界から引退してマリブにある広大無辺の砂漠地帯で相変わらずの乱交生活を続け、キーファー・サザーランドをはじめとする乱交仲間から突然の妊娠を告げられてとまどうハンセルの前にもビリー・ゼインがメッセージを持って現われ、メッセージに誘われたデレク・ズーランダーとハンセルはローマに旅立ち、ローマの産廃処理場でおこなわれた最新式のファッションショーに出演して時代遅れという屈辱を受けるが、インタポールでファッション犯罪担当を担当するヴァレンティーナから捜査協力の要請を受けてデレク・ズーランダーはロック歌手たちが残したメッセージを解読、その後のばかげた展開によって聖書に語られるエデンの園にはアダムとイブのほかに三人目のスティーブンがいたこと、そしてそのスティーブンこそが永遠の美の源泉であり、ファッションモデルの始祖であることが唐突に明かされ、その直系の子孫であるいわゆる「選ばれし者」の心臓を食らえば永遠の若さを得ることができるということになり、その「選ばれし者」を狙っているのは誰か、というところでEU管轄下にある凶悪ファッション犯罪専門の重警備刑務所から一作目の悪役ムガトゥが脱獄する。刑務所の看守はすべて元ファッションモデルなので、だますのは簡単なのである。
デレク・ズーランダーが製作・監督・脚本兼のベン・スティーラー、ハンセルがオーウェン・ウィルソン、ムガトゥがウィル・フェレル、ムガトゥの秘書カティンカ・インガボゴビナナナがミラ・ジョヴォヴィッチ、インタポールのヴァレンティーナがペネロペ・クルス、ユニセックスの奇怪なファッションモデルがベネディクト・カンバーバッチ、刑務所で一瞬だけ登場する囚人がジョン・マルコヴィッチ、本人役でジャスティン・ビーバー、スティング、ビリー・ゼイン、キーファー・サザーランドなどが豪華に登場し、クライマックスの邪教の儀式にはトミー・ヒルフィガー、マーク・ジェイコブズ、アナ・ウィンターなどが本人役で登場して、みんなでおばかなことを楽しそうにやっている。くだらないと学芸会だと言えばそれまでだが、それをまとめるベン・スティーラーのセンスは悪くない。
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Tetsuya Sato
ジェイソン・ボーン
Jason Bourne
2016年 イギリス/中国/アメリカ 123分
監督:ポール・グリーングラス
記憶を取り戻したジェイソン・ボーンがギリシア、アルバニア国境付近でストリートファイトをしていたころ、レイキャヴィクではニッキー・パーソンズが冷戦時代の古いPCを使ってCIAのネットワークに侵入、トレッド・ストーンだのトレッド・ストーンのアップグレード版のブラックブライアーだの最新プログラムのアイアンハンドだののファイルをダウンロードし、この侵入を検知したCIAのセキュリティ担当ヘザー・リーは侵入者の正体を特定して行動を監視、ニッキー・パーソンズがアテネでジェイソン・ボーンと接触するとCIAは抹殺チームを派遣するがあえなく全滅、ベルリンでも失敗し、ロンドンでも失敗し、いわば失敗だの不手際だのをもっぱらの身上とするこの組織の親玉ロバート・デューイはさらなる悪事をたくらんでSNS業界の大物アーロン・カルーアを脅迫、逃げ場を失ったアーロン・カルーアは自身とCIAとの癒着を暴露する決意をしてコンベンションが開かれるラスヴェガスへ飛び、パネルの共演者でもあるロバート・デューイとヘザー・リーもラスヴェガスへ飛び、唐突に父の死の真相を知ったジェイソン・ボーンもラスヴェガスへ飛ぶ。
ジェイソン・ボーンがマット・デイモン、表情を殺しているとクール・ビューティに見えるけど一瞬でも表情が出ると意外と幼いヘザー・リーがアリシア・スタイルズ、CIA長官がいきなり出てきてただ悪いだけのトミー・リー・ジョーンズ、その直属の暗殺者がヴァンサン・カッセル。ヴァンサン・カッセルの老け方にちょっと驚いた。例によってCIAは層が薄くて、セキュリティ担当のヘザー・リーがなんでいきなり現場指揮という具合にプロトコルもよくわからないが、失敗だの不手際だのを身上としているので気にしてもしようがないのだと思う。とりあえず続編ということで出てきたけれど、ジェイソン・ボーンも何をすればいいのかわからないという感じで、全体としての冴えはあまりない。とはいえ、冒頭に近いアテネのデモ/暴動のシーンは一種異様な迫力があり、これはさすがにグリーングラスだと感心した。終盤のラスヴェガスのアクションはちょっとやりすぎかもしれないし、SWATの装甲車がいくらなんでも頑丈すぎ。
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Tetsuya Sato
アメリカン・レポーター
Whiskey Tango Foxtrot
2016年 アメリカ 120分
監督:グレン・フィカーラ
テレビ局でキャスター用の原稿書きの仕事をしていた42歳未婚のキム・ベイカーは2003年、イラク戦争の勃発でアフガニスタン駐在員が手薄になったという理由から現地レポーターに転身することになり、対空ミサイルを回避しながら螺旋状に降下する旅客機に悲鳴を上げ、カーブルの悪臭と大気汚染に鼻をやられ、鉄製の門で守られた支局の与えられた自室の窓から交合する犬を見下ろし、シャワー道具を抱えてシャワーを探し、ニューヨークで6点の女でもアフガニスタンでは9.5点になると言われ、海兵隊を訪問してオレンジ色のバッグに難癖をつけられ、バッグにカムフラージュテープを貼って海兵隊のパトロールに同行し、タリバーンとの交戦でカメラを構えて前に飛び出し、そのおかげで海兵隊の大佐からウーラーと声をかけられ、3か月で帰国するはずが年が変わっても帰国できず、そのまま1年がたち、2年がたち、アフガン人の同僚からアドレナリン中毒に陥っていると指摘され、アフガニスタン政府高官と顔がつながり、スコットランド人の戦場カメラマンと恋に落ち、自室の窓から交合する犬を見下ろし、現実に立ち返って成長するためにはこの幻想の国から抜け出す必要があると感じ始める。
キム・ベイカーがティナ・フェイ、海兵隊の指揮官がビリー・ボブ・ソーントン、スコットランド人カメラマンがマーティン・フリーマン。モロッコとニューメキシコでロケされたアフガニスタンはいかにもそれらしい仕上がりで、生活の細部まで目端が利いた撮影のせいでおもわず現地ロケかと疑った。ティナ・フェイの魅力で持っている部分が大きな映画であることに違いはないが、誠実な語り口が好ましい。原題の"Whiskey Tango Foxtrot"は"What the fxxx"を意味しているらしい。まあ、そんな感じ。海兵隊の偵察シーンで一瞬だがオスプレイが登場する。機内の様子が興味深い。
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Tetsuya Sato
完全なるチェックメイト
Pawn Sacrifice
2014年 アメリカ/カナダ 115分
監督:エドワード・ズウィック
ボビー・フィッシャーの前半生をチェスの才能を見せ始めた50年代初頭から1972年、レイキャヴィクの世界大会でボリス・スパスキーを破るまで。トビー・マグワイアが心に問題を抱えた主人公を熱演し、セコンド役のピーター・サースガードがいい感じで、ボリス・スパスキーを演じたリーヴ・シュレイバーがまたよろしい。エドワード・ズウィックの仕事はさすがという仕上がりで、50年代から70年代まで、いわゆる冷戦期における色彩表現の変遷をたくみに引用しながら時代色を演出し、主人公が抱えた歪みから主人公を囲む世界の歪みまで、広い視野で描き込んでいる。クライマックスの世界大会におけるチェスシーンは破格の緊張感で、チェスを扱った映画でこのレベルは類がないような気がするが、とはいえ、これはチェスというよりはポーカーであろう。
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Tetsuya Sato
レッド・ステイト
Red State
2011年 アメリカ 93分
監督:ケヴィン・スミス
アメリカのとある田舎町の色気づいた高校生三人がネットで交接の機会を得て町のはずれにあるファイブ・ポイントという土地に出かけていくと、トレーラーハウスから現れた後家風の中年女が三人を迎え、ビールを一本二本と飲ませると色気づいた高校生男子はたちまち昏倒、突如として現れた男たちの手で檻に入れられ、クーパー牧師が率いる原理主義者たちの教会へ運ばれ、折しもその聖堂ではラップにくるまれたゲイが処刑されている最中で、これが自分たちの運命かと悟った高校生たちは脱出を試み、一方、異変に気づいた保安官は助手をクーパー牧師の教会へ派遣、保安官の弱みを確保しているクーパー牧師は非情にも助手を射殺して保安官を脅すので、保安官は州警察への連絡の手段を絶たれるが、それならばATFに、ということでATFに連絡すると、かねてからクーパー牧師を監視していたATFは地元係官の指揮下に武装部隊を派遣、同行した保安官の軽率な行動から銃撃戦が始まり、作戦失敗による批判を恐れたATFは証人も含めて関係者全員の抹殺を指示、いよいよ銃撃戦が激しくなり、色気づいた高校生も良心に目覚めた狂信者の娘もどこかへ消え、空からは黙示録のラッパの音が轟いてくる。
それぞれの「狂信」で自動化した人間が右往左往するというかなりあられもない内容で、監督は『ドグマ』 のケヴィン・スミス。2011年のシッチェス映画祭でグランプリを受賞しているらしい。それなりにしっかりとした話法でずるずると横滑りしていく語り口は気持ちがいい。
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Tetsuya Sato
レッド・ファミリー
Red Family
2013年 韓国 99分
監督:イ・ジュヒョン
ソウルの郊外住宅で暮らす夫婦と娘、夫の父親の四人家族が実は北朝鮮の潜入工作員で、家族を演じながらあっちで軍事施設を撮影し、こっちで脱北者を殺害し、というようなことをやっているうちに隣の家のどうしようもない口喧嘩の数々が放っておいても聞こえてくるので、隣家の問題になんとなく介入していくうちに、察するところ南傀儡の堕落した資本主義の感化を受け、そこはかとなく疑問を抱いているうちに偽装のはずの家族の結束が高まり、そこへ仲間に不測の事態が起こるので事態を打開するために独自の判断で行動したところ祖国に重大な損害を与える結果を招き、監視員が現われて一家全員に死刑を宣告する。
『ジ・アメリカンズ』もこのくらいのテンポならいいのにな、というくらいにテンポが速いが、かなりざっくりとした仕上がりで、雑なところをテンポで押し切っているという感じもしなくもない。『ジ・アメリカンズ』もそうだけど(アメリカで偽装して諜報活動しているソ連のスパイの家の向かいにFBIの一家が引っ越してくる)こういう内容はコメディにしないとどうしても悲惨なことになってくるし、そうなるとまったく救いがない。結末はそこをなんとか保留しようと試みているが、たぶん少々舌足らずであろう。主人公一家よりも下町で板金屋をしている工作員のエピソードのほうが面白そう。
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Tetsuya Sato
ペンギンズ from マダガスカル ザ・ムービー
Penguins of Madagascar
2014年 日本/アメリカ 87分
監督:エリック・ダーネル、サイモン・J・スミス
自称"Skipper"以下、コワルスキー、リコのペンギン三羽が南極で自然の掟に逆らおうとしていたころ、ドイツ系自然番組テレビ局の奸計でヒョウアザラシとの戦いに追い込まれ、そこでいわゆる"新人"を仲間に加えるとそのまま氷山に乗って北半球に到達、『マダガスカル3』 終了直後の状況に飛んでサーカス経営から逃げ出すことにしたペンギンたちはフォートノックスの金地金保管所を襲撃、その金庫の先に置かれた自動販売機から化学調味料てんこ盛りのチーズ・パフを奪取することに成功するが、突如として足を生やした自動販売機の襲撃にあって誘拐されてヴェネチアに運ばれ、そこでペンギンを憎悪するオクト博士の陰謀を知り、オクト博士の潜水艦から脱出するとタコ戦闘員の追っ手に追い詰められ、突破口を見失ったところで動物たちの諜報機関ノースウィンドに救出されるが、なにごとにつけ上から目線のノースウィンドが気に入らない"Skipper"は独自の作戦でオクト博士の陰謀に立ち向かう。
オクト博士がジョン・マルコヴィッチ、ノースウィンドの指揮官がベネディクト・カンバーバッチ。キング・ジュリアン3世とモートがちょっと顔を出している。アイデアはともかく視覚的には残念だったテレビシリーズ版とは違って絵のグレードは破格的に向上し、めまぐるしいほどよく動く。この動きは素朴に楽しいと思う。とはいえオクト博士といういわば巨悪が対立軸として登場しているせいで、ペンギンズの本来的な犯罪性向がテロリスト的な正体とあわせて後退しており、そこはちょっと違うという気がしないでもない。
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Tetsuya Sato
アーロと少年
The Good Dinosaur
2015年 アメリカ 93分
監督:ピーター・ソーン
トウモロコシを栽培している農家の次男坊の少年が生活における恐怖心を克服できないまま成長に二の足を踏んでいると川に落ちて激流にもまれてはるか遠方の地に流され、そこで出会った動物に助けられて家を目指して歩き始めて、途中でさまざまな苦難に出会いながらも少年は動物と力をあわせて切り抜けていく。
隕石がはずれて恐竜が大絶滅しなかった地球での話なので、トウモロコシ農園を営んでいる一家は竜脚類(アパトサウルス?)、旅の途中で出会う世捨て人のようなのがスティラコサウルス、牧畜を営んでいるのがティラノサウルス、そのティラノサウルスの牛を盗む悪党どもがラプトル、なにかと絡んでくる流れ者の悪党集団がなんだかよくわからないけど翼竜で、主人公と旅をして、なにかとワンコな活躍をするのが人間の子供。ティラノサウルスの意外な設定と活躍ぶりは面白いが、少年向け西部開拓史読み物にありそうな話を特殊な背景に置き換え、ただそのまんまやっている、という感じで、仕上がり自体は悪くはないものの、なにかひどく古めかしい。ただCGによる水の表現には息を呑んだし、Photoshopかなにかでカレンダー用に加工したような世にも美しい自然景観をゼロから起こして動画にして、というのをまざまざと見せられると、かかった手間の数をつい想像してめまいがする。
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Tetsuya Sato
スーサイド・スクワッド
Suicide Squad
2016年 アメリカ 123分
監督:デヴィッド・エアー
スーパーマンが不在となった世界で次に現われるスーパーマンが良心的であるという保証はない、ということから、極悪人で構成した特殊部隊を編成して現われるかどうか保証のない邪悪なスーパーマンに対処する、ということで極悪人専門の刑務所から極悪人を招集して首に遠隔操作の爆弾を仕掛けて服従を強要し、部隊の指揮官に任命されたフラッグ大佐にも脅しをかけ、フラッグ大佐の恋人ムーン博士に憑依した魔女エンチャントレスにも脅しをかけ、そうするとエンチャントレスは危険を顧みずに自分の弟を蘇らせて世界を危機に陥れるのでフラッグ大佐以下の特殊部隊が出動する。
面倒な前日譚部分も含めて話を盛り込みながら破綻をまぬかれているというところでデヴィッド・エアーはいちおう健闘しているが、それはそれとしても盛り込みすぎているし、キャラクターは最初から飽和しているし、というありさまなので、破綻ぎりぎりのところでどうにか説明だけして終わっているという感はまぬかれない。エンチャントレスの軍団はなかなかに不気味なものの、急いでいるからあっさりと片付けられているし、人類抹殺のための装置がまたあの感じ、というのも面白味に乏しい。ウィル・スミスはなんというのか、いつもと同じ。ヴィオラ・デイヴィスのアマンダ・ウォーラーにはもう一味ほしかった。ハーレイ・クインを演じたマーゴット・ロビーは悪くないし、ハーレイ・クインとジョーカーの妙に直球な恋愛関係はなにやらほほえましい。
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Tetsuya Sato
ペット
The Secret Life of Pets
2016年 日本/アメリカ 87分
監督:クリス・ルノー
優しい飼い主のケイティとニューヨークで暮らす小型犬のマックスは自分の生活にたいそう満足していたが、ある日ケイティが大型犬デュークを保健所から引き取ってきてマックスに引き合わせるのでマックスはデュークに激しく反発、デュークもまたマックスの父祖伝来の権利を侵すので両者は激しく対立し、いったんはマックスがアルファの座を占めるものの、散歩中にデュークが反撃、その結果二匹とも迷子になって野良猫に襲われて首輪を奪われ、動物管理局につかまって護送されるところをウサギのスノーボールが率いるテロ集団に救われ、そのまま状況に流されてスノーボールの一味に加わろうとするものの、ペットの正体を暴かれて追われることになり、そうしているあいだにマックスの向かいの家で暮らすポメラニアンのギジェットが近隣のペットを集めてマックスの捜索に取りかかる。
『ミニオンズ』 と同様に、ということになるわけだけど、わかりきったストーリーがわずらわしい。美術はきちんと仕込まれているし、一つひとつのアクションもよく考慮されているし、ウィンナーソーセージの食べ過ぎで添加物でトリップするシーンはたしかに楽しいものの、堕落した観客であるこちらは堕落したペットの私生活が見たかっただけで、騒々しい友情や冒険には残念ながら興味がない。そしてその範囲では予告編以上の内容はなかった、ということになる。鑑賞中、どうしても腑に落ちない気分になってくるのは、おそらくペットのペット的要素と擬人化された動物的要素が混在し、消化されていないせいであろう。勝手な要望を言わせてもらえば、擬人化と動物寓意ということならばすでに『ズートピア』 という最高峰が存在するわけだから、その逆に走ってほしかった。
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Tetsuya Sato
シン・ゴジラ
2016年 日本/アメリカ 120分
監督:庵野秀明、樋口真嗣
東京湾に突如として怪生物が出現、蒲田方面から川沿いに都内に侵入してプレジャーボート多数を破壊、やがて上陸するとずるずると這い進んで一帯に大被害を与え、形態を少々変えて立ち上がると思い出したように海に戻るので、政府は官房副長官を筆頭に対策チームを結成、ここにアメリカから極秘情報がもたらされ、怪物の名称、生理的特徴などがあきらかにされ、怪物駆除のための作戦が立案され、そうしているとゴジラが相模湾から鎌倉方面に上陸、川崎を横断して東京を目指すので防衛出動を命じられた自衛隊は武蔵小杉周辺の多摩川沿いに部隊を展開、しかし通常兵器ではゴジラは倒せない、ということで国連による国際管理の動きが現われ、多国籍軍の指揮で核攻撃という話まで出てくるので、対策チームは作戦の実施を急ぎ、フランス政府を巻き込んで核攻撃の時期を遅らせ、アメリカ軍との共同作戦でゴジラに立ち向かう。
予想に反して、と言えば失礼なことになるのだろうが、予想に反してよくできていた。基本的な構図はゴジラ対日本政府であり、日本政府内部の自然な挙動がおもに調整局面に集中しているとすれば、さまざまなバリエーションの会議形態が登場するのも自然であり、たしかに会議の場面が多いものの、まったく無意味に多いわけではなく、むしろ必要があって多くなっていると考えることもできるほど、構造的に消化されている。ゴジラについても五段階の変態というアイデアは面白いし、通常兵器が通用しないという部分についても一生懸命説明しようと試みている。そして最終的な駆除作戦は軍事的な正確さで構成されたほぼ完全な土木工事であり、危険にさらされながらそれを淡々と進める演出は好ましいと感じた。いわゆる『ゴジラ』シリーズの中では初代『ゴジラ』に次いで重要な作品だと言えるだろう。ギャレス・エドワーズの『ゴジラ』 がいわゆる『ゴジラ』シリーズへの愛情表現であったとすれば、『シン・ゴジラ』は初代『ゴジラ』の現代的な再解釈であり、東日本大震災に接続されていく。まじめに考えて作っているし、アイデアの出し惜しみをしていない。全体としての単調さは否めないし、純粋に映画としての質について考えるなら疑問符が貼りつくことは避けられないし、石原さとみのよくわからない配役にも疑問符がしっかりと貼りついているが、都市破壊型怪獣映画としては出色と言ってよい出来栄えであろう。
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Tetsuya Sato
インデペンデンス・デイ:リサージェンス
Independence Day: Resurgence
2016年 アメリカ 120分
監督:ローランド・エメリッヒ
1996年の事件から20年後、エイリアン・テクノロジーを手に入れた人類は宇宙戦闘機の部隊を作り、月面に基地を作って外宇宙からの侵略に備えていたが、エイリアン・テクノロジーを手に入れることに夢中になっていたせいなのか、侵略者の文字も言語も解読しないまま放置していて、たまたま独学でそれをやっていたひとがいたおかげで多少の理解を得ることができて、それでエイリアンがなにやら恐れているものがあるらしい、というようなことが判明するが、そのとき外宇宙からなにやら怪しい物体が接近し、さっそく撃墜して月面に落ちたところを調べてみるとエイリアンがなにやら恐れているものとよく似たものが見つかるので、それを地球へ運ぼうとしていると20年前に同胞から発信された救難信号を受信したエイリアンが全長4000キロを超える母船でやってきて再び地球に襲いかかり、地球に覆いかぶさって地球のコアを破壊しにかかるので、人類は総力を挙げて反撃、一方エリア51では月面で発見された物体が友好的な地球外生命体で、その地球外生命体から得た情報で同様に侵略を受けたさまざまな地球外生命がどこかの惑星の地下に隠れて秘密兵器を作ってレジスタンス活動をしていることが判明し、一方エイリアンの宇宙船からは女王を乗せた部分が分離してエリア51に接近、人類はまだるっこしいほど偉大な自己犠牲の精神を発揮して女王の船を破壊することに成功するが、プロテクトスーツに身を包んだ巨大な女王が残骸を破って現われてエリア51に襲いかかり、一方地球のコアが破壊されるまでにわずか数分の猶予となり、人類は総力を挙げて女王を攻撃、女王の殺害に成功すると巨大な宇宙船は引き上げて地球の危機は去り、その攻撃性を認められて人類は宇宙レジスタンスのリーダーになり、ということは次作は星間戦争なのであろう。 適当な脚本、わずらわしいキャラクター、自動的な編集、発見が困難な演出の痕跡、とやる気のなさがとにかく目立つ。眠い。
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Tetsuya Sato
帰ってきたヒトラー
Er ist wieder da
2015年 ドイツ 116分
監督:ダーヴィト・ヴネント
自殺してガソリンで焼かれたはずのヒトラーがガソリンのにおいを漂わせて現代のベルリンに出現し、ベルリンの様子が著しく異なることに驚きながら2014年にいることを知り、それでもあくまでアドルフ・ヒトラーとしてふるまい続けると映画監督志望で放送局を解雇された若者が復帰のネタに使えるということを考えてドキュメンタリーの製作を始め、YouTubeで再生回数を稼いだところでそれを放送局に持ち込むと局長はヒトラーをヒトラーネタのお笑い芸人として採用し、早速お笑い番組に登板させたところ予想を上回る反応を得たのでアドルフ・ヒトラーはTVヒトラーとして一世を風靡することになり、Facebookで親衛隊の隊員を募る。
ティムール・ヴェルメシュの小説『帰ってきたヒトラー』の映画化。小説で言及されていたYouTubeなどの視覚要素が映像化されている点はそれなりに面白いが、もともと格別面白いわけでもない小説を格別の手間もかけずに映像化した気配があり、しかもヒトラーを単なる批判的なアイコンにとどめずに現代ドイツの情勢やら民心やらと接続した結果、それでなくても似ていないヒトラーがますますヒトラーに見えなくなってくる。ヒトラー役にブルク劇場の俳優を引っ張ってきたのは「オーストリア」絡みでなにかしらの意図があったのかと思ったが、どちらかというと「ドイツ」を避けるためであろう。しかもこのヒトラーはヒトラーらしからぬことに長身でがっちりとした骨格を備えており、この対極的な特徴は「ドイツ」を避けた上で、さらに「ヒトラー」を避けるためではなかったかと邪推している。ゴス少女の秘書はかわいいが、特に見るべきところはない。唐突に始める『ヒトラー 最期の12日間』のパロディも『アイアン・スカイ』 のほうが上であろう。
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Tetsuya Sato
マネーモンスター
Money Monster
2016年 アメリカ 95分
監督:ジョディ・フォスター
アイビス・キャピタルの株がプログラム取引のバグらしきものが原因、という説明で暴落し、生放送の財テク番組『マネーモンスター』の司会者リー・ゲイツの楽屋にディレクターのパティ・フェンが現われてゲストに予定していたアイビス・キャピタルのCEOウォルト・キャンビーがまだ機上にいて間に合わないので代わりにアイビス・キャピタルの広報担当ダイアン・レスターがテレビインタビューに応じると告げ、90年代から一人で夕食をとったことがないリー・ゲイツは夕食の相手を探すのに忙しく、スタジオに入ってからはあれやこれやと要求を連ね、いよいよ番組が始まると手慣れた様子で司会を演じ始めるが、そのスタジオに箱を抱えた男が現われてリー・ゲイツにピストルを突きつけ、驚いたパティ・フェンが放送を切ると男は放送を続けるように要求し、リー・ゲイツには箱の中にある爆薬付きのベストを身に着けるように要求し、リー・ゲイツがベストを着るとデッドマンスイッチに親指をかけ、この番組で推奨されたアイビス・キャピタルの株を買って暴落で全財産を失ったと告白して、ここから生きて出るつもりはないと宣言するので、通報を受けた警察が建物を包囲、交渉人が交渉に取りかかろうとすると男は交渉を拒絶して説明を求め、アイビス・キャピタルの暴落はプログラム取引のバグによるものだという説明をリー・ゲイツが繰り返すと男は再びピストルを突きつけ、その話はもう聞きたくないと言い、パティ・フェンから連絡を受けたダイアン・レスターがアイビス・キャピタルの暴落はプログラム取引のバグによるものだと説明して自分も損害をこうむったと言うと同情を買おうとしているのかといきり立ち、そのアイビス・キャピタルではCEOが事実上行方不明のままで、この状況をおかしいと感じたパティ・フェンは真相を探るためにダイアン・レスターと連携し、ハッカーを使い、番組プロデューサーを各所に走らせる。
リー・ゲイツがジョージ・クルーニー、パティ・フェンがジュリア・ロバーツ、侵入者カイル・バドウェルがジャック・オコンネル、ダイアン・レスターが『アウトランダー』のヒロイン、カトリーナ・バルフ。事件の「真相」の単純さが少々残念なものの、モダンで目配りのよい脚本をジョディ・フォスターが手堅くまとめており、中心から周辺まで人物が分厚く配置されていて、その描写の手際のよさと面白さで退屈な「サスペンス物」にしていない。特にカイル・バドウェルの妊娠中のパートナーのすさまじい罵倒ぶりには恐れ入った。
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Tetsuya Sato
1944 独ソ・エストニア戦線
1944
2015年 エストニア/フィンランド 99分
監督:エルモ・ヌガネン
1944年7月、タンネンベルク線に投入された第11SS義勇装甲擲弾兵師団のエストニア人部隊はソ連軍の攻勢を押し戻し、デンマーク人部隊と共同してソ連軍突出部の撃退に成功するが、ドイツ軍の撤退にともなって移動を命じられ、避難民とともに南下したあと後方の拠点を確保、前方に森を見ながらソ連軍エストニア人部隊と交戦し、そこまでの語り手であったカール・タミクがあっさりと戦死、ソ連軍エストニア人部隊の中隊長がラディッシュ(外は赤いが中身は白い)であったことからソ連軍は交戦を停止、生き残った武装親衛隊所属のエストニア人は戦場を離脱し、カール・タミクが姉に宛てて書いていた手紙をソ連軍エストニア人部隊の下士官ユーリ・ヨギが拾い上げ、ソ連軍によって解放されたタリンでカール・タミクの姉に手渡し、ソ連軍エストニア人部隊はハープサル方面へ進出、ドイツ軍から除隊または脱走して赤軍に編入された補充兵を加えながら戦いを続け、エストニアを「解放」する。
つまり前半はドイツ側で戦ったエストニア人の話、後半はソ連側で戦ったエストニア人の話という構成になっていて、監督は『バルト大攻防戦』のエルモ・ヌガネン。序盤の塹壕戦から中盤の遭遇戦、終盤のソ連軍のむやみな突撃場面まで、戦闘シーンは地味ながら非常によくできていて、戦闘状況の変化にともなう兵士のふるまいが変わっていくあたり(接近戦が近づいてくると手榴弾の準備に取りかかる、など)も芸が細かい。StG44を使っている背後でもう一人の兵士がせっせと弾込めをしている描写は初めて見た。ドイツ軍、ソ連軍の装備類はよく再現され、T-34が二両ほど登場する。尺は短い映画だが、淡々としている分テンポはのろい。だが、戦争それ自体を含む状況のむごたらしさが粘り強く描かれていて見ごたえがある。力作であろう。
Tetsuya Sato
スタング
Stung
2015年 ドイツ/アメリカ 67分
監督:ベニ・ディーツ
田舎に住んでいる富豪の未亡人とその息子が地元の名士を集めてガーデン・パーティを開くということで父親からケータリング会社を引き継いだジュリアは察するところ唯一の従業員のポールとともにシトロエンの古いバンで屋敷を訪れ、ほぼ素人同然の手順の悪さで準備にかかり、見ているこちらがその仕事ぶりにいいかげんイライラし始めたところで夕方になってパーティが始まり、そこへ大きな蜂が大群で現われて招待客に襲いかかり、刺されたひとは地面に倒れて、倒れたひとのからだを破って牛ほどもある蜂の怪物が現われ、富豪の未亡人とその息子、家政婦、市長、ジュリアとポールがどうにか難を逃れて屋敷に戻り、携帯は圏外だということなので固定電話を使おうとすると脱出を図った招待客の車が電信柱に激突し、外へ出て車で逃げようとするとポールが鍵をなくしていて、ばたばたとしているうちに一人が刺され、また一人が刺され、生き残りはジュリアとポールだけになり、そもそもジュリアに恋い焦がれていたポールはジュリアの前で勇敢にふるまい、ポールに毛ほども関心がなかったジュリアはポールの勇敢なふるまいを見て気持ちが動き、最後のキスシーンが長い長い。
市長が頭の悪いドイツ映画にときどき顔を出しているランス・ヘンリクセン。いちおうアメリカ某所が舞台ということになっているけれど、どこをどう見てもドイツ某所であろう。アサイラムあたりも含めて頭に悪い映画に共通していることだけど、演出力もないのにやたらと時間をかけて人物描写のようなことをしても時間を無駄にしているだけで、たいていは何の描写もできていない。蜂に刺されると蜂の怪物が犠牲者のからだから、という描写もリアリティを欠いていて、頭の悪いプレゼンテーションを見ているような気分になる。ステップ1、蜂に刺される、ステップ3、蜂の怪物が出現する。で、ステップ2はどこにいった?
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Tetsuya Sato
サベージ・キラー
Savaged
2013年 アメリカ 95分
監督:マイケル・S・オヘダ
わずかに発話する能力を持つ聾唖者のゾーイは婚約者デインと結婚するために車を走らせて一人でカリフォルニアを出発し、ニューメキシコへ入ったところで地元の男たちが先住民を虐殺している現場に遭遇、助けを求める先住民の男を車に乗せるが地元の男たちに取り囲まれ、果敢に抵抗するものの、先住民の男は殺され、ゾーイは捕えられて暴行を受け、白人の女で聾唖者だから警察が来る、と予想した男たちはゾーイをナイフで刺して荒野に埋めるが、浅く埋めたのでアパッチの呪医がゾーイを見つけて、救い出してまじないをするとゾーイの魂はゾーイの肉体に戻るが、それとともに百年前に白人にだまし討ちにされて殺されてそれまで一帯をさまよっていたアパッチの大酋長「赤袖」の魂もゾーイにもぐり込み、「赤袖」に操られたゾーイはほぼ無敵の戦闘能力を発揮して地元の男たちに戦いを挑み、一人また一人と血祭りにあげていく。
ゾーイの殺し方がなかなか壮絶で、腹を裂いて腸を引きずり出すわ、至近距離から矢を浴びせるわ、もちろん頭の皮は剥ぐわ、というありさまで、これには恐れを知らない地元のレッドネックも恐れを感じて銃を手にして立てこもり、そうするとゾーイのほうは血も凍る霊現象を先触れにして乗り込んでいく。ところどころで説明的な場面が入るのがほんの少し気になったが、プロット、ダイアログがこなれていて、ヒロインがよく造形されている。この系統の作品にありがちなサディスティックな描写は控えめで、積極的に武闘系の映画としてまとめたところが勝因かもしれない。好ましい仕上がりになっている。
Tetsuya Sato
デッドプール
Deadpool
2016年 アメリカ 108分
監督:ティム・ミラー
特殊部隊出身の傭兵ウェイド・ウィルソンは依頼を受けてはちょっと悪いやつをちょっと懲らしめて小銭を稼ぐような暮らしをしていたが、ある日、娼婦のヴァネッサと出会って意気投合し、あちらのほうもたいそう相性がいいということで結婚を決意したところ、ウェイド・ウィルソンが末期癌であることが判明し、ウェイド・ウィルソンが激しく苦悩しているとそこへ男が現われて癌治療の道を示すので、ウェイド・ウィルソンは決断をして怪しげな上に不潔にも見える施設を訪れ、まわりにいる怪しげなひとかげを横目に眺めているうちに寝台に拘束され、そこへエイジャックスと名乗る男がやってきて、これからおまえに突然変異を起こしてスーパー奴隷にすると宣言し、怪しげな点滴やら注射やらをしてから突然変異を引き起こすためにウェイド・ウィルソンに拷問を加え、すると拷問によって死にかけたウェイド・ウィルソンに変異が起こり、これよによって拷問の目的は達せられたはずだが、自分をかわいらしい本名で呼んだウェイド・ウィルソンが気に入らないエイジャックスはウェイド・ウィルソンをさらに拷問にかけるので、ウェイド・ウィルソンはエイジャックスの施設を破壊してエイジャックスと対決、エイジャックスによって殺されるものの、突然変異で得た能力によってよみがえり、一変した顔や肉体をもとに戻すためにエイジャックスのあとを追い、一年がかりでコスチュームや武器を進化させ、デッドプールと名乗ってエイジャックスの痕跡に現われる人物を端から殺しているとウェイド・ウィルソンの存在に気付いてX-MENがリクルートに現われ、ウェイド・ウィルソンに向かって説教を始めたX-MENのせいでエイジャックスを取り逃がし、一方エイジャックスはヴァネッサをさらってウェイド・ウィルソンに対決を求める。
よく考えるとけっこうむごたらしい話だが、語り口は陽気で小気味がよい。主人公はおおむねにおいて陽性だし、周辺人物もノリがよく、余計な考え事にふけったりしないで暴力沙汰に励んでいる。楽しいし、面白い。よくできた映画だと思う。
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Tetsuya Sato
(190)
ヒュンは赤い羽根飾りがついた帽子をかぶって、腰に剣を吊るして収容所構内を歩いていた。噂によれば、森林収容所でストライキが始まっていた。ストライキには囚人だけではなくて管理当局も参加して、全員が国家からの解放を求めていた。噂によれば、炭鉱収容所でゾンビの暴動が始まっていた。管理当局の職員もゾンビになって、囚人のゾンビに合流して周辺の町を襲っていた。噂によれば、どこかの煉瓦製作収容所では囚人の反乱が始まっていた。鎮圧のために投入されたロボットの武装警備班は全滅して、収容所は囚人に占拠されているという。
収容所の門が開いていた。ヒュンは収容所から出て、町へ通じる道を探した。しゃべるフライパンを持っていった。途中で政府軍の部隊とすれ違った。ぶかぶかの制服を着た少年たちが足に合わない靴を履き、背嚢を背負い、旧式の銃を重そうに担いで、どこかを目指して進んでいった。兵士の中には転向したオークが混じっていた。
町でも噂が飛び交っていた。棍棒で武装したロボットの大群が現われて、無差別逮捕を始めたという。収容所の統括ノルマ算定者は人類全体を未来のための礎にすると言ったという。森林収容所で始まったストライキは周囲の町を飲み込んで、いまでは一般市民までが国家からの解放を訴えているという。山間部はすでにゾンビでいっぱいになり、山を越えようとした避難民が次々に食われているという。恐ろしい魔法玉を使う男が現われていくつもの収容所を火の海に変え、旧世界の遺物をすべて破壊すると宣言して出会う者に賞賛を求めるという。反乱を起こした囚人たちはショットガンを持った女に率いられて、首都を目指して進撃を始めたという。羊飼いの杖を持った若者が翼を生やした羊の群れをしたがえて、空に昇っていったという。そして邪悪な黒い力の封印がどこかで解かれて、恐ろしい声を放っているという。予言者たちが道に並んで世界の終わりを予言していた。
ヒュンは町の広場をぶらついていた。なぜここにいるのかとたずねられると、ヒュンはすぐさま剣を抜いた。なぜぶらついているのかとたずねられると、ヒュンはすぐさま剣を抜いた。せめて責任を果たしたらどうかと言われると、ヒュンはフライパンで相手の頭を殴りつけた。それから酒場にもぐり込んで友達を作り、友達のおごりで酒を飲んだ。すっかり酔っ払うとテーブルの上に立ち上がって、剣を抜いてこう叫んだ。
「俺は運命を受け入れている。俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」
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(189)
ヒュンは専用のバラックをもらっていた。決して広くはなかったが、木製の寝台には清潔なシーツが敷いてあったし、南に向かって開く広い窓にはレースのカーテンがかかっていた。作業に出る必要はなかったし、魚の目玉のスープを求めて食堂に並ぶ必要もなかった。食事は一日に三回、収容所管理当局の幹部と同じメニューが黙っていても運ばれてきた。バラックには焜炉もあったので、自分で調理をすることもできた。食材が必要なら、厨房に一言頼むだけでコックの助手が届けてきた。ヒュンはベーコンエッグを作ろうと思った。卵とベーコンはすぐ手に入ったが、フライパンが見当たらない。小さなソースパンは見つかったが、これではベーコンエッグは作れない。コックにたずねてみると、ここでは煮込みを作るだけなのでフライパンはないという。ヒュンはフライパンを探して収容所の倉庫にもぐり込んだ。フライパンを見つけることはできなかったが、代わりに使えそうな物を見つけた。ほぼ正方形をした鉄製の薄い箱だった。ヒュンはそれを収容所の鍛冶屋に持っていった。上の板をはがして持ち手をつければフライパンになるはずだった。ところが鍛冶屋は箱を調べてできないと言った。持ち手をつけることは可能だが、箱自体はエルフの魔法で封印されているので、板をはずすことはできないという。そこでヒュンは鍛冶屋に言って、箱のまわりに鉄の縁をつけさせた。できあがったフライパンを持ってバラックに戻り、焜炉に火をおこしてフライパンを加熱した。
「わたし、邪悪な黒い力は言う」鉄の箱から邪悪な黒い力の声が響いた。「おまえはわたしをなぜ焼くのか。わたし、邪悪な黒い力は命令する。ただちに火から下ろすのだ」
ヒュンはフライパンにベーコンを入れた。ベーコンの油がはじけて音を立てた。
「わたし、邪悪な黒い力は言う」鉄の箱から邪悪な黒い力の声が響いた。「わたしの声が聞こえないのか。おまえの耳は寝ているのか。わたし、邪悪な黒い力は強く命令する。ただちにわたしを火から下ろすのだ」
ヒュンはベーコンの上に卵を二つ、落とし入れた。
「わたし、邪悪な黒い力は言う」鉄の箱から邪悪な黒い力の声が響いた。「なぜこのようなひどいことができるのか。おまえは人間の皮をかぶった悪魔なのか。それともわたしに懇願することを求めているのか。それならばわたし、邪悪な黒い力は懇願する。頼むから、わたしを火から下ろしてくれ」
ヒュンはフライパンを火から下ろしてベーコンエッグを皿に移した。収容所で焼いた水気の多いパンを添えて、ベーコンエッグを食べ始めた。
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(188)
朝の四時から夜の十時まで、クロエは煉瓦を焼き続けた。煉瓦の形をした粘土のかたまりが次々と運ばれてくるので、それを板ですくい取って炉に入れて、汗を流して焼き続けた。夜の十時になってもノルマが達成できていなければ、残業しなければならなかった。ノルマを超過達成するために残業して、朝の四時を迎えることも珍しくなかった。バラックで休むことはできなかった。食事をすることもできなかった。それでもクロエは汗を流して、黙って煉瓦を焼き続けた。口を開けば、ただそれだけで体力を消耗した。まわりにいる女たちも黙っていた。口を閉ざして煉瓦を黙々と運び続けた。煉瓦を運ぶ女の中にネロエがいた。ある日、突然、作業現場に送られてきて、クロエの作業班に加わった。ネロエもまた、負けたのだ、とクロエは思った。視線を交わした。だが、言葉を交わしたことは一度もない。言葉を交わせば、それだけで体力を消耗する。作業現場に棍棒を持ったロボットがやって来て、またしてもノルマの超過達成を要求した。くくくくく、と笑う声を聞いて、クロエの薄暗い心の中で何かが音を立ててきらめいた。クロエは宙に向かって手を伸ばした。クロエのショットガンはエルフの魔法の力によって物理的制約から逃れていた。クロエが望めば、それはクロエの手にあった。クロエはショットガンを腰だめに構えてロボットの頭を粉砕した。クロエはネロエに声をかけた。
「ここを出るのよ」
「もう動けないわ」
ネロエがそうつぶやくと、クロエはただうなずいて、ネロエを置いて前に進んだ。次から次へと現われるロボットを片っ端から吹っ飛ばした。
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(187)
「わたしは自分が道具であることを誇っていた」と所長は言った。「わたしは有能で、理念に対して忠実な道具だ。目的がある場所では、わたしは有用な存在だ。制度に忠実な公務員だ。そしてわたしのかつての同僚たちはわたしを忘れていなかった。だから収容所管理当局はわたしを森林伐採場や粘土採掘場へ送らずに、わたしにオフィスを与えてノルマの算定を命じたのだ。わたしは清潔なオフィスで助手を使い、すべての独立収容地点から送られてくる報告書に目を通し、作業ノルマの達成率を算定して作業状況の推移をグラフ化した。わたしが算定したのは作業班のノルマだけではない。作業手配係のノルマ、自主警備班のノルマ、武装警備班のノルマ、食堂のノルマ、死体処理班のノルマも算定した。収容所傘下の特別審理部に配置された取調官のノルマも算定したし、収容所管理当局自体のノルマも算定した。洗練された複数のグラフとピボット演算テーブルがあれば、問題点は一目瞭然に把握できた。わたしは経験ある上級公務員の視線に立って問題を指摘し、改善策を提案した。収容所管理当局はわたしを完全に信頼していたので、わたしの提案をただちに、かつ自動的に採用し、大規模な人事異動を発令した。自主警備班は解体されて班員は一般作業班に再編成され、武装警備班も食堂のコックも特別審理部の取調官も一人残らず解雇されて、代わりにロボットが送り込まれた。命令に忠実で給与の支払いを必要としないロボットの集団が収容所管理当局の中核となった。経費は大幅に削減され、ノルマの達成報告から偽りが消え、潤色された報告によって収容所の非効率的な実態が隠蔽されていたことがあきらかになった。わたしの誠実な仕事によって、公正さが確保されたのだ。わたしが作ったシステムはすぐに多くの収容所で採用され、わたしは収容所集団の統括ノルマ算定者に昇格した。わたしは徹底的な効率化とノルマの超過達成を要求し、ロボットはわたしの命令にしたがった。その結果として一般作業班の補充率が短期間で数百パーセントに跳ね上がったが、これは問題とはならなかった。志願労働者は常に補充されていたからだ。秘密警察がロボットを導入したことで逮捕と取り調べの効率が飛躍的に向上し、中継地点における志願労働者の待機率は作業班の損耗率を常に上回っていたからだ。すべての人間を収容所へ。進化を放棄した人類を抹殺せよ。わたしはロボットたちに指示を与えた」
くくくくく、と所長が笑った。
くくくくく、とロボットも笑った。
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(186)
「俺は炭鉱に送られた」とピュンは言った。「ゾンビだけで編成された作業班で、休みなしに石炭を掘っていた。休みなしってのは文字どおりで、二十四時間休憩なしだ。ゾンビだから食事も、休ませるためのバラックもいらなかった。人間にくらべると少しばかり動作が遅いだけで、出勤退勤のための時間も節約できたから、人間で編成された作業班よりも生産性が高かった。非人間的な環境だと、俺たちはすごく優秀なんだ。だから俺は収容所管理当局に提案した。ゾンビの作業班を増やしてみたらどうかって。で、実験的に隣にいた作業班をゾンビにした。ゾンビに入れ替えたんじゃなくて、俺たちが襲いかかってゾンビにした。そうしたら生産性がちゃんと上がった。実験が結果を出したんで、俺たちは収容所管理当局の命令で作業班をどんどんゾンビに変えていった。生産性はさらに上がったけど、そうなると費用対効果が悪いのが武装警備班だ。こいつらは人間だから休憩が必要だし、食事もしなきゃならないし、シフトを維持するために余計な人員も必要になる。おまけに給料だって必要だ。で、俺はもう一度提案したんだ。あの連中もゾンビに変えたらどうかって。すでに十分な実績があったから、収容所管理当局もすぐに乗り気になったんだ。交替が必要ないし給料も必要ないなんてすごいじゃないか、というわけさ。そういうことで武装警備班もゾンビになった。残るのは収容所管理当局だ。これは、別に説得も提案もしなかった。俺たちはいっぱいいたし、武器も俺たちの手にあった。ただ包囲して、襲いかかればよかったんだ。まったく、間抜けなやつらだよ。で、みんなゾンビなったけど、仕事は続けた。正確には、仕事を続けるふりを続けた。それらしい報告書を送りながら、しばらく機会を待つことにしたんだ。ついでにまわりの収容所にもゾンビの作業班を送り込んだ。生産性の高さを実証して、提案を繰り返して仲間を増やして、最後に収容所を乗っ取った。けっこうな数になったところで、俺たちは山を下りることにした」
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(185)
「予言が成就しつつある」とミュンが言った。「邪悪な黒い力は封印されたが、邪悪な黒い力それ自体は国家という概念を通じてすでに普遍化されていた。国家という概念自体が邪悪な黒い力と一体化していた。わたしは弁証法的直感によって上部構造の破壊を計画したが、この計画で必要としていたのは一見近代化された理念ではなく、徹底的に自然法的な欲求であったということに、すべてが終わってから気がついた。人間の本性からすれば国家は不要な存在であり、人間の本性に反して収奪と抑圧をもたらす邪悪な存在にほかならない。人間の自由と尊厳を取り戻すためには、改革の手を休めてはならない。わたしはエルフの森で木を伐り倒しながら、また一歩真理に近づいた。朝の四時から夜の十時まで木を伐り倒しながら、わたしは真理に近づいていった。不潔な食堂で魚の目玉が浮いた塩からいスープをすすり、いったいどうやってこれほどの数の魚の目玉を集めてくるのかといぶかりながら、わたしは真理に近づいていった。そして言うまでもなく、真理は共有されなければならなかった。わたしは作業班員に改革の必要を訴え、作業班員は改革に賛成した。わたしは隣の作業班にも改革の必要を訴え、隣の作業班も改革に賛成した。わたしは夜のあいだにバラックで改革の必要を訴え、バラックの全員が改革に賛成した。わたしは自主警備班にも改革の必要を訴え、自主警備班も改革に賛成した。わたしは武装警備班にも改革の必要を訴え、武装警備班も改革に賛成した。わたしは収容所管理当局にも改革の必要を訴え、収容所管理当局も改革に賛成した。森林収容所とその管理下にあるすべての収容地点が真理を共有し、改革の必要を痛感した。予言が成就しつつある」とミュンが言った。
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ビッグ・クラブ・パニック
Queen Crab
2015年 アメリカ 80分
監督:ブレット・パイパー
アメリカ某所、クラブ・クリークというところである種のマッドサイエンティストが女房に罵られながら一人で成長促進剤の研究をしていて、両親から相手にされない娘メリッサは家の近所の池でカニを見つけて、カニはなんでも食べるという父親の言葉を真に受けて父親の研究室にあった木の実のようなものを与えたところ、このカニが少々大きくなり、洗濯中にカニを見つけた母親がパニックを起こし、父親が駆けつけたところで家が爆発、両親が亡くなって保安官をしている叔父に引き取られたメリッサはカニを友達にして育ち、それから二十年後、巨大な生物が家畜を殺害しているということで保安官から連絡を受けた野生生物局の職員が調査を始め、足跡を追っていくと巨大なカニの卵と抜け殻を発見、保安官はメリッサの制止を振り切って町の自警団を呼び集める。
モンスター映画としての枠組みよりもカニと友達になって森に入ったまま出てこない娘の話、という枠組みが強くて、なにやら『ネル』を意識したような気配もある。で、それはそれとして、 ほぼ30年前から思い出したようにブレット・パイパーの作品を眺めているが上手にならないひとだと思う。こだわりのストップモーション・アニメはそれなりに仕上がっているものの、格別に面白いというわけではないし、格別に面白くもないカニの登場シーンも控えめで、格別に面白くもないドラマがだらだらと続く。上手にならないなら自主製作映画の工夫だけはあった初期の作品のほうがまだしも面白かったような気がしてならない。
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ゾンビマックス!/怒りのデス・ゾンビ
Wyrmwood
2014年 オーストラリア 108分
監督:キア・ローチ=ターナー
ある晩、地球に流星が降り注ぎ、それから人類の大半がゾンビになり、町から逃れたバリーはほかの生き残りと合流して妹ブルックを助けにいこうと試みるが、ゾンビ出現とときを同じくして可燃物質が発火しなくなっている、という新事実に遭遇し、燃料がなければ車を動かせないということで困っていると、ゾンビの口から可燃性の気体が出ているという事実に気づき、だったらこれを燃料の代わりにということで捕まえたゾンビの口にマスクをあてて、呼気を燃やしながら出発する。
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』 にかこつけたような邦題がついているけれど、オーストラリア資本であるということと主人公たちがありあわせの防具を身に着けている、という以上の類似はない。全体にテンポが速く、構図もこなれていて、なぜゾンビが走るのか、というところにいかがわしい理由を与え、そこを利用するという点も含め、終盤に向かってアイデアが詰まっていく作りはとにかくパワーを感じさせた。スピエリッグ兄弟の『アンデッド』 に比べるとややおとなしいが、『ステイク・ランド』 や『ゾンビ大陸 アフリカン』 などと並ぶ新世代のゾンビ映画だと思う。
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(184)
「わたしは科学者だ」とギュンはいつも話していた。「エイリアン・テクノロジーに関する第一人者であり、科学の力で奇跡を約束できる世界で唯一の人間だ」とギュンはいつも話していた。「だからわたしは、わたしを専門分野で使うべきだと訴えた。収容所当局に何度も請願した。だが収容所当局は拒絶した。どうやらわたしの調書には、わたしを専門分野で使わないこと、という指示が強調を意味する二重の下線付きで入っているらしい。作業手配係は薄笑いを浮かべながら、わたしを粘土採掘場に送り込んだ。それも作業班長としてではなく、一般作業班員として送り込んだ。地球を二度までも危機から救い、町を反逆者の手から救い、邪悪な黒い力に言わば引導を渡したこのわたしに、スコップで泥を掘れと命じたのだ。スーパーグラスがあれば〇・一秒もかからない仕事を、朝の四時から夜の十時までさせるのだ。スコップで泥を掘り出して、泥の穴の底からトロッコを人力で押し上げているのに、休憩は一切与えずに、朝と晩に魚の目玉が入ったスープを出してくるのだ。魚の目玉が浮いた塩水なのに、それが志願労働者用の補充食だと言い張るのだ。志願労働者は本来なら手弁当持参なのだから、それで感謝しろと言い張るのだ。いったいわたしはいつ志願したのか。わたしは強制されているのだ。疲れたからだを引きずってバラックに戻り、点呼を終えてようやく板寝床に横たわっても、寝床にはシラミまみれの藁が敷いてあるだけだ。エルフが拠出したという毛布はいったいどこへ消えたのか。シラミに食われながら眠りに落ちて、落ちた瞬間に朝を迎えて起きだすのだ。ここでは理性を殺している。ここでは人間を滅ぼしている。だがわたしを滅ぼすことはできないだろう。わたしは再び魔法玉を作り始めた。見つからないようにこっそりと、魔法玉を作り始めた。魔法玉の材料は小鬼やエルフやエイリアンとは限らない。人間からでも作れるのだ。死体からでも作れるのだ。死体ならいくらでもあるから、いくらでも魔法玉を作れるのだ」
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(183)
「政府と軍の英雄的な働きによって、国家は危機を克服した」森の中の木にくくりつけられたスピーカーから威嚇的な声が響いた。「反逆者どもの勢力は一掃され、国家の基盤は磐石となった。だが警戒を怠ってはならない。いまこそ国民は一致団結し、いっそうの警戒心を発揮して新たな反逆者の出現に備えるのだ。反逆者はあらゆる場所にひそんでいる。善良な市民の皮をかぶって我々のあいだにひそんでいる。国家を愛する純粋な心にしたがって、卑劣な反逆者どもを発見しよう。同僚を監視し、隣人を監視し、家族を疑い、反逆の種が芽吹く前に発見しよう。そして週末を返上して、国家の復興に奉仕しよう。反逆者どもの蛮行によって国家は著しく荒廃した。国家は復興を必要としている。復興のために全国民の協力を必要としている。すでに全国のすべての学校で学生、生徒、児童による集会が開催され、全会一致で復興債の購入と週末労働への参加が決議された。全国のすべての工場で工員たちの集会が開催され、ここでも全会一致で復興債の購入と週末労働への参加が決議された。エルフの森でも全エルフの集会が開催され、復興債の購入と週末労働への参加が決議された。エルフたちは食料と毛布の拠出も決議した。国家の復興が完了するまで食料も毛布も一切必要としないとエルフたちは宣言した。エルフたちの献身と奉仕に拍手を送ろう。エルフから拠出された食料と毛布は避難民に優先的に供与される。政府はエルフたちの英雄的な決議を記念して、今月を特別復興強化月間に指定した。いまこの瞬間にも全国各地で多数の志願労働者が復興のために働いている。彼らは未踏の森に分け入って復興のために木を伐り出し、泥にまみれて粘土を掘り出し、復興のための煉瓦を焼いている。志願労働者たちは毎日十八時間の労働に耐え、国家に奉仕できることを喜んでいる。志願労働者たちに拍手を送ろう」
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(182)
町にシロエという名の娘がいた。父親は著名な法律家で、ネロエを糾弾する論文を発表しようとしたところを同僚に密告されて逮捕され、強制収容所へ送られていた。家には取調官が踏み込んできて、証拠を求めて家具を壊し、寝台を切り裂き、床板を剥がした。取調官はシロエの日記と下着まで押収した。母親にすら見せたことのない日記だった。特別な夜のために用意していた下着だった。シロエは逃げ出し、ミュンの革命派に身を投げた。ミュンの革命が失敗に終わり、逃げ場を失って逮捕されるとシロエは政府に協力した。仲間の名前と居場所を告げ、暗号の解読方法を説明し、武装した取調官の一団を秘密の入り口に案内した。逮捕された反逆者たちの取り調べにも積極的に参加して、新たな尋問方法を提案した。間もなく秘密警察の一員になり、国家の敵である父親に絶縁状を送りつけた。有能さをネロエに認められてクロエの後任に抜擢されると、組織に徹底的な成果主義を導入して取調官にノルマの達成を要求した。また政府の指導力が問われていると主張して、責任者の処断をネロエに提案した。ネロエはシロエの意見に賛成した。
シロエが提案してネロエが承認を与えていたころ、ヒュンは赤い羽根飾りがついた帽子をかぶって、腰に剣を吊るして町の広場をぶらついていた。廃墟の中で営業を再開したばかりの酒場にもぐり込んで友達を作り、友達のおごりで酒を飲み、酔っ払うとテーブルの上に立って剣を抜いた。
「俺は運命を受け入れている。俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」
そこへ武装した警官隊が突入した。率いていたのはシロエだった。シロエはヒュンの鼻先に逮捕状を突きつけた。
「逮捕します」
ヒュンは酔っ払いの目でシロエをにらんだ。
「なんだって?」
警官が棍棒でヒュンの頭を殴りつけた。ヒュンはその場に昏倒した。
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(181)
若者は手錠をかけられて、監房の床に座っていた。手錠から伸びた鎖が若者を床につなぎとめていた。
若者はクロエを見上げていた。若者の顔には悲しみと怒りが浮かんでいた。悲しみと怒りを目に浮かべて、呪われた運命を嘆いていた。
クロエは若者を見下ろしていた。若者の姿は初めて見たあの晩と何も変わっていなかった。乱れた髪も、透きとおるような目も、わずかに突き出た官能的な唇もそのままで、細身だが引き締まったからだは若さと力を感じさせた。呪いを言い訳にして気ままに生きて、時間の鋭い爪から逃れていた。失敗をひとのせいにして、自分は一切の責任から逃れていた。
クロエは若者の目の前で若者の笛をへし折った。二つに折って床に捨てて踏みにじった。若者の顔が苦痛にゆがむのを見下ろしながら、一枚の書類を差し出した。
「サインしなさい」
クロエがペンを差し出すと若者は黙ってサインした。クロエは書類を取り戻して、若者のサインを確かめた。
「愚かな女だ」と若者が言った。「おまえは真実の愛を拒んだんだ。いまさら離婚したって、おまえの時間は戻らないぞ」
クロエはペンも取り戻した。背を向けようとして、向き直って手を上げて、若者の頬をひっぱたいた。若者はまたしても顔を苦痛にゆがめたが、クロエの心は晴れなかった。
監房から出たところで男たちに囲まれた。両側から腕をつかまれ、すばやくからだを探られた。男たちの一人がクロエに言った。
「逮捕する」
クロエの頬を涙が伝った。
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(180)
森に囲まれた湖に月が光を投げかけていた。冷たい風が湖面を渡り、さざ波が起こり、影と光が揺れ動いた。風が音もなく抜けていく。波が消え、平らな湖面に月がくっきりと影を落とす。鏡のように凪いだ水が満天の星を映し出した。そして再び風が起こり、水が揺らぎ、黒い影が湖上に大きく弧を描いた。大きな黒い鳥が飛んでいた。羽ばたきながら湖畔に降りて、鳥の皮と鳥の翼を脱ぎ捨てた。不格好なロボットが黒い羽毛の下から現われて、岸辺を埋める石を踏んだ。
くくくくく、とロボットが笑った。
ロボットはゆっくりと足を前に進めながら、ロボットの殻を脱ぎ捨てていった。金属の腕の下から人間の腕が現われた。金属の脚の下から人間の脚が現われた。金属製の胴の下には引き締まった若者の胴があった。不格好な頭の殻を取り外すと、美しい若者の顔が現われた。若者は湖畔に立つ樫の木に登って枝に腰掛けた。横笛を取り出して唇にあてると息を込めて笛を鳴らし、美しい音色を夜の湖畔に踊らせた。若者は目を閉じて、飽かずに笛を吹き続けた。ふと目を開けて奇妙なことに気がついた。笛の上で赤い光の点が揺れている。笛を鳴らす指の上でも揺れている。笛を支える腕の上でも揺れている。笛を口から離して顔を上げた。レーザーサイトの赤い光が若者の目を貫いた。数え切れないほどの赤い光が若者の顔に点を描いた。
「愚か者め」若者が叫んだ。「あとたった一晩で呪いを解くことができたというのに」
「降伏しろ」
すぐ足もとで誰かが言った。若者を狙う銃が見えた。
「降伏する」
両手を上げて若者が言った。
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(179)
対抗壕が機銃陣地の手前二十メートルに達した時点でオークの指揮官は攻撃開始を決断した。二十名からなるオークの突撃隊が編成され、手榴弾、スコップ、ワイヤーカッターなどで武装した突撃隊は深夜過ぎ、慎重に静粛をたもって対抗壕で配置についた。小銃のほかに予備の手榴弾を持った二個小隊が突撃隊の背後に控えていた。午前三時、塹壕正面で一個中隊が陽動作戦を展開して敵の砲撃を引きつけることに成功すると突撃隊が対抗壕を出て前進を開始、これと同時に棍棒で武装したトロール部隊が突撃隊の左右両翼に躍り出た。突撃隊は手榴弾を前方に投げつけながら突進し、そのせいで兵員多数が自軍の手榴弾の爆発に巻き込まれて負傷したが、先鋒は機銃陣地に到達した。突撃隊はワイヤーカッターを使って鉄条網を切断、後続の小隊が敵の防御線を突破して機銃陣地に突入した。しかし陣地はすでに放棄されていた。陣地に仕掛けられた大量の爆薬が爆発してオーク、トロール多数を殺傷し、この爆発の被害からオーク軍が立ち直る前に政府軍が鬨の声を上げて突撃を始めた。オーク軍先鋒は政府軍の強力な攻撃を支えられずに退却に移り、退却を援護するはずの機関銃中隊は混乱した戦線で有効な射界を得られないまま砲撃を浴びて全滅した。オーク軍は敗退し、統率を失って潰走した。邪悪な黒い力は逃げ遅れて政府軍に包囲された。エルフの大魔法使いが護送隊とともにやって来て、聖属性の魔法を使って邪悪な黒い力を鉄の箱に封じ込めた。
「降伏する」
邪悪な黒い力が言った。
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(178)
「再集結を完了した時点で」とオークの指揮官は言った。「こちらの兵力は歩兵三個大隊と機関銃一個中隊に達していたが、砲兵隊を欠いていた。砲兵による準備攻撃ができない状況では突撃は不可能だった。そこで対抗壕を構築して手榴弾の投擲戦に持ち込み、まず敵の前哨を排除する必要があった。だが、我が軍の最大の問題は砲術支援を欠いていたことではなく、総司令官を欠いていたことだった。下級将校の連携でどうにか作戦を進めてはいたが、作戦全体を統括する司令官がいなかった。我々は邪悪な黒い力にその役割を期待したが、邪悪な黒い力は拒絶した。邪悪な黒い力は影響力を行使するだけで、個別の作戦に対しては責任は負えないということだった。我々は失望しつつ、それでも任務の遂行に邁進した」
「わたし、邪悪な黒い力は言う」と邪悪な黒い力が言った。「オークたちはわたしに総司令官の役割を求めたが、わたしは拒絶した。わたし、邪悪な黒い力は影響力を行使するのみで個別の作戦には責任を負わない。責任を負うべき者がいたとすれば、それはギュンだった。わたしはいたずらに大将軍の地位を与えたわけではない。地位には責任がともなうのだ。しかし、責任を負うべきギュンはどこにいたのか。わたし、邪悪な黒い力が与えた影響力を自分の影響力だと勘違いして、わたしを手ひどく裏切ったばかりか愚行を重ねて自滅していた。オーク軍の敗退について、もし誰かが責任を負うとすれば、それはわたし、邪悪な黒い力ではない。裏切り者であるギュンにほかならない」
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ヘイル、シーザー!
Hail, Caesar!
2016年 イギリス/アメリカ/日本 106分
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
1954年、ハリウッドの映画製作会社で製作者をしているエディ・マニックスが昼夜を問わずに動いて配下にある俳優を醜聞からかばい、製作の進行に気を配り、教会を訪れては告解を繰り返していると製作進行中の大作『ヘイル、シーザー!』の主演俳優ベアード・ウィットロックが何者かに誘拐され、身代金の要求がおこなわれ、犯人は何者かといぶかっていると脳味噌が筋肉でできているとしか思えない西部劇俳優から意外にも筋のとおった指摘を受け、それはそれとしても大作の製作をとめるわけにはいかないので身代金の準備にかかり、それやこれやであわただしいところへゴシップ記者が現われてベアード・ウィットロックの古い醜聞をすっぱ抜くと予告する。
エディ・マニックスがジョシュ・ブローリン、ほぼヴィクター・マチュアなベアード・ウィットロックがジョージ・クルーニー、いきなり上流社会系ドラマの主演に抜擢されて激しく戸惑う西部劇俳優がオールデン・エアエンライク、その映画の監督がレイフ・ファインズ、並行して撮影が進んでいる水中レビューものの清純派女優がスカーレット・ヨハンセン、その女優に紹介される「プロの人間」がジョナ・ヒル、ゴシップ記者がティルダ・スウィントンとティルダ・スウィントン、映画編集者がフランシス・マクドーマンド、クリストフ・ランベール扮する見るからにいかがわしい(北欧系)監督が監督している水兵ミュージカルの主演がチャニング・テイタム、ナレーターがマイケル・ガンボン。
多様な出演陣が実にすばらしく消化されていて、続々と登場する劇中映画の露骨なまでに五十年代的なそれっぽさと微妙なひねり加減がまたすばらしい。序盤には絵に描いたような宗教論争が放り込まれ、そのいかがわしさは中段、わらわらと湧いてくるコミュニストの群れに継承され、それがエディ・マニックスが見上げるゴルゴダの丘のセットに引き継がれ、そしてコミュニストの犬エンゲルスはコミュニストたちの足にじゃれつき、いささか唐突ではあるがコミンテルンの資金は水中に消える。人工的で、胡散臭くて、とてつもなく退廃した作品であり、最初から最後までにまにまと笑みを浮かべながら鑑賞した。
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