第九話 | |
宇宙監獄からの脱出(後篇) |
そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
「スイッチを切れ」博士が叫んだ。
白衣の技師が制御卓に向かってあわただしく指を走らせた。巨大なレンズのなかの像がかすみ、表面が波打つ銀色の膜に覆われていった。その波打つ膜からあがくようにして人間が飛び出し、かと思う間もなくその上半身がすっぱりと斜めに切られて床に落ちた。ロイド博士が吐息をもらし、白衣の技師が額に浮いた汗をぬぐった。
「これ、はずしてもらえませんか?」アルタイラが手錠のかかった手を差し出した。
「しかし君は囚人ではないのかね?」博士が訊ねた。
「違いますよ」アルタイラが言った。アデライダが手錠に手を伸ばした。
「それでも、警察には連絡しないと」
「あたし、悪いことはしていません」
「ではなぜ、刑務所にいたのかね?」
「はずれたわ」アデライダが言った。「お父さま、手錠がはずれました」
「ありがとう」アルタイラが言った。「ねえ、あなたも、きれいな髪ね」
「ありがとう」アデライダが言った。「いいトリートメントがあるのよ」
「それって、もしかしたらシュピーゲル社のテラキューティクルかな?」
「そう、それよ。うれしいわ、わたしたちトリートメントも一緒なのね」
「そんなことはどうでもいいから」博士が叫んだ。「質問に答えなさい」
「たぶんあたし、消されかけたんだと思います」
「いったい誰に、消されかけたというのかね?」
「あれは、たぶん、アダー執政官の秘書でした」
「まさか、ラグーナか」博士の顔が蒼くなった。
「お父さま」アデライダの顔に不安が浮かんだ。
「ラグーナ」白衣の技師が声を恐怖で震わせた。
「おならの臭いがするわ」アルタイラが言った。
「まずい」博士が言った。「ラグーナに目をつけられているのだとすれば、ここにもすぐに手がまわるぞ」
そのころ、アダー執政官の執務室では。
赤毛の美女ラグーナが颯爽とした足取りで現われ、執政官に報告した。
「あの小娘が、ニューゲイト7から逃走しました」
「しくじったのか?」アダー執政官が眉を上げた。「ラグーナ、失敗のつぐないは死だと、わかっているのだろうな?」
「はい、わかっています」
「では、命乞いをすればよい。おまえの前任者たちがそうしたように、おまえもわたしの情けにすがるのだ。わたしのまったくあてにならない情けにな」
「いいえ、命乞いはいたしません。覚悟はできています」
「そうか、それはよい心がけだ。その心がけに免じて、もう一度だけ、おまえにチャンスをやろう。今度は必ず成功させるのだ。テラシティの敵アルタイラを始末しろ」
そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
白衣の技師が荒々しく手を伸ばして、アルタイラの腕をつかんだ。
「ロイド博士、この女をいますぐラグーナに引き渡しましょう」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「そんなことをしてはだめ」
「なぜだ」白衣の技師がアデライダをにらんだ。「この女をかくまえば、我々もあのラグーナに目をつけられることになるんだぞ。石になるのは、おれはごめんだ」
「だって、わたしたち、もう、お友だちになったんですもの」
「博士」技師が叫んだ。「面倒に巻き込まれたいんですか?」
「あなた」アルタイラが言った。「おならの臭いがするわよ」
「嘘だ」技師が叫んだ。「おならの臭いなんてするものか。博士、博士がしないなら、わたしがこの女をラグーナに渡します」
アルタイラが逃れようとして身をよじり、そこへアデライダが駆け寄った。
「この手を放して」
アデライダの手が技師の手をつかんだ。すると技師はアルタイラから手を放し、胸をつかんで宙をにらんだ。
「し、心臓が」
それだけ言って床に倒れた。
「まあ」アデライダが言った。「何があったのかしら?」
「大丈夫だ」博士が言った。「何も起こっていないから」
このとき、白衣をまとう技師の一人が高らかな笑いの声を放ってこのように言った。
「わははははは。何も起こっていないとは、ロイド博士、まったくどうかしているな」
「お父さま」アデライダが不安の色を顔に浮かべた。「このひとは何を言ってるの?」
ロイド博士は眉をひそめ、それから男を指差した。
「わたしはここで働いている者全員の顔を知っている。しかし、君の顔は見たことがない。君はいったい何者だ?」
「知りたいか? 知りたければ教えてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から緑の髪が、仮面の下から赤い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども低くなった。
「火星人だ」と白衣をまとう技師たちが叫んだ。「火星人の悪党だ」
「そうだ」と火星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はトロッグ、火星から来た悪党だ。ロイド博士、このおれがここにいる以上、何も起こっていないなどとは言ってほしくないものだ
「トロッグ?」技師の一人が眉をひそめた。
「トロッグ?」技師たちが顔を見合わせた。
「聞いた覚えのある名前だ」博士が言った。
「このひと」アルタイラが指差した。「アダム・ラーに捕まったはずです」
わはははははとトロッグが笑った。
「そのとおりだ。たしかに一度は逮捕されたが、取り調べを担当した刑事たちが勝手に向こうの世界へ行ってくれたおかげで、逃げ出す機会をつかむことができたのだ」
「向こうの世界とは」博士が訊ねた。「どこのことだ?」
「向こうの世界は向こうの世界だ。そんなことはどうでもいい。とにかくおれは警察から逃れ、それから夜も寝ないで考えた。もっと効率的で、効果的な悪事についてな。そしてある日、たまたま手にした統計資料からすばらしいアイデアを思いついた。怪物を使って建物を破壊するのはもう古い。ロイド博士、おれはあんたとあんたの実験室を狙うことに決めたのだ」
博士が訊ねた。「いったいどのような統計資料を見てそう決めたのか、差し支えなければ教えてもらえないか?」
「そんなことはどうでもいい」
「このひとが使った怪物って」アルタイラが言った。「ネリーのパパだったのよ」
「まあ」アデライダが言った。「どうしてネリーのパパなんかを。信じられない」
「そんなことはどうでもいい、と言っているのだ」
「いいだろう」博士が言った。「君はたしかにここに現われた。しかし、それだけだ。君が現われたくらいで、何かが起こったとは言えないのだ」
「それだけだと?」トロッグがほくそ笑んだ。「本当にそれだけだと思っているのか。よく見ろ、この実験室の惨状を、床に転がる技師たちの死体を。それでも何も起こっていないと言い切れるのか?」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたし、なんだか怖いわ」
「大丈夫だ」博士が言った。「何も起こってはいないのだから」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、おならの臭いがする」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「おならの臭いなどするものか。火星人はおならをしないのだからな。それよりも、この実験室の惨状を、床に転がる死体を見ろ。そしてなぜこんなことが起こったのかを考えてみろ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたしが、転んだから?」
「いや違う」博士が言った。「おまえは何も心配しなくていい」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、やっぱりおなら臭い」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「火星人はおならをしないのだ、おならをしない火星人がおなら臭いはずがないだろう。それよりも、考えろ。この実験室の惨状を見て、なぜこんなことが起こったのかを考えてみろ」
「まさかと思うが」博士が言った。「君がやったと主張するのか?」
わはははははとトロッグが笑った。
「そうだ、そのとおりだ。おれだ。すべては、おれがやったことだ」
「なるほど」博士が言った。「それで、何をやったというのかな?」
「聞いて驚くなよ。まず、クラウディアの楽屋の座標を書き換えた」
「それから?」
「それから真空管を少しいじって、手を触れたら倒れるようにした」
「それから?」
「まだあるぞ。危険な放電が起きるように、放電球に仕掛けをした」
「それから?」
「まだある。電源ケーブルの被膜のところどころに切れ目を入れた」
「それから?」
「コンピューターの配線を少しいじった。すぐに爆発するようにな」
「それから?」
「キャットウォークの足場に手を加えた。すぐに崩壊するようにな」
「それから?」
「実験用の毒ガスのボンベに亀裂を入れた。壊れやすくするために」
「それから?」
「実験用の溶解液の容器にも亀裂を入れた。壊れやすくするためだ」
「それから?」
「実験用の水槽に水を張った。気づかれないように、こっそりとな」
「それから?」
「もちろん、まだある。実験用の熱線砲が暴走するように仕組んだ」
「それから?」
「まだ不足か? 実験用の冷凍光線砲も暴走するようにしておいた」
「それから?」
「それから最後に、実験用のライオンの檻のとびらを開けておいた」
「それから?」
「そうだ、そう言えば、あの技師の心臓がとまるように仕組んだな」
「なるほどな」博士が言った。「すべては君のしわざというわけか」
わはははははとトロッグが笑った。
「そうだ、そのとおりだ。おれだ。すべては、おれがやったことだ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたしは関係なかったのね?」
「いや違う」博士が言った。「アデライダ、おまえを傷つけないためにいままで嘘をついていたが、これ以上隠し続けてもこの火星人が増長するだけだ。そもそも火星人というのはたいしたことのない連中で、どいつもこいつも空想と現実の区別がつかないばかばっかりで、口では偉そうなことを言っていても実際にはたいしたことなどまったくできないのだ。そのような火星人にこまかい細工ができるものか。アデライダ、真実を言おう。すべてはおまえがやったことだ。お母さんが入院することになったのも、実はおまえのせいなのだ。おじいさんとおばあさんが爆死したのも、実はおまえのせいなのだ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「やっぱり、そうだったのね?」
「嘘をつけ」トロッグが叫んだ。「すべては、おれがやったことだ」
「ねえ」アルタイラが言った。「本当に、おならの臭いがするのよ」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「おれはおならなど、したことがない」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「それでもわたし強く生きます」
「おお、アデライダ」博士が叫んだ。「それでこそ、わたしの娘だ」
博士がアデライダを抱き締めた。アルタイラが感動の涙を流した。
わはははははとトロッグが笑った。
「さすがはロイド博士。テラシティが誇る天才科学者という評判も、どうやら伊達ではないようだ。おれの嘘をよく見破ったな。しかし、これで終わりではない。博士、あんたが発明したテラホール、このおれに引き渡してもらおうか」
白衣の技師たちがざわめき、顔色を変えた。
「なんだと」博士が叫んだ。「テラホールを手に入れて、どうするつもりだ?」
わはははははとトロッグが笑った。
「もちろん、悪事に使わせてもらう。テラホールに海中の座標を入力すれば、テラシティを水浸しにできる。テラホールに宇宙の座標を入力すれば、テラシティのすべては宇宙に吸い出されることになるだろう。テラホールの力があれば、テラシティを簡単に破壊することができるのだ」
「なんという恐ろしい」白衣の技師たちが声を合わせた。
「ねえ」アルタイラが言った。「だったら、まず博士の娘を人質に取らなきゃ」
「そうだ」博士がうなずいた。「まず娘を人質に取るのが、順序というものだ」
「お父さま」アデライダが言った。「わたし、お父さまのために人質になるわ」
「いや」トロッグが首を振った。「せっかくだが、それは遠慮しておこう」
「そうはいかん」博士が言った。「まず人質を取るのだ。話はそれからだ」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、なんだか、怖がっているみたい」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「怖がってなどいないぞ」
「お父さま」アデライダが言った。「わたし、怖いわ」
「ほら」アルタイラが言った。「人質が待ってるのよ」
「悪党なら」博士が言った。「娘を人質に取りたまえ」
「断る」トロッグが叫んだ。「その娘は、危険すぎる」
「失礼ね」アデライダが叫んだ。
「失礼よ」アルタイラも叫んだ。
「失礼な」博士が言った。「娘は少しばかり、うっかりしているだけなのだ。うっかりしていると実験室を破壊したり、助手の心臓をとめたりするが、うっかりさえしなければ、これほど気立てのいい娘はない。それから、ここが肝心なところだが、わたしは娘を愛している。溺愛していると言ってもいい。もし娘を人質に取られたら、どのような発明も悪の手に引き渡してしまうことになるだろう。もちろん、良心の呵責にさいなまれながら」
「まあ、お父さま」アデライダが叫んだ。「わたし、とってもうれしいわ」
「人質など必要ない」トロッグが叫んだ。「おれには、これがあるからな」
トロッグの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、床を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、白衣をまとう技師たちが悲鳴を上げてあとずさった。
わはははははとトロッグが笑った。
「驚いたか。これは火星で初めて独自に開発された熱線銃MM88だ。これを使えばおまえたちなど、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのMM88か」ロイド博士が悔しそうに首を振った。「火星人は独自に開発したと恥知らずにも主張しているが、その特徴的な外見からあきらかなようにサタンバグ65のコピーにほかならない。きわめて洗練された普及モデルであるサタンバグ65を参考にしたセンスはいちおうほめておくべきだが、なにしろ火星人の仕事なので品質が悪い。不良品が多い上に、一つひとつが事実上の手作りなので、同じ型式であっても部品に互換性がない。どうにか動かすことができたとしても、出力制御に問題があって熱線放射が安定しない。つまり子供のおもちゃに毛が生えたようなしろもので、オリジナルとの類似点はかろうじて外見に認められるに過ぎないが、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と技師の一人が声を上げた。「やつは一人です。熱線銃も一丁だけです。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とトロッグが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
トロッグが熱線銃を振り上げると小柄な火星人がどこからともなく三人現われ、全員があのMM88を構えて白衣をまとう技師たちを狙った。
「万事休すだ」と白衣の技師が声を合わせた。
「いいえ」アルタイラが叫んだ。「まだ大丈夫よ。博士、あれは無線機ですか?」
アルタイラが指差す先には最新鋭の通信装置テララジオがあった。
「そうだ」ロイド博士がうなずいた。「あれは最新鋭の通信装置、テララジオだ」
「助けを呼びます」アルタイラがテララジオに向かって駆け出した。
「そうはさせるか」トロッグが叫んだ。
「わたしも行くわ」アデライダがアルタイラを追って駆け出した。
「あの小娘を狙え」トロッグが叫び、トロッグの子分がアルタイラを狙った。
アデライダの銀色のブーツの先が焼け焦げたケーブルを引っかけた。アデライダのからだが前にのめり、手がかりを求めて差し出した手がトロッグの子分にぶつかった。トロッグの子分はアデライダに突き飛ばされ、手にした熱線銃の引き金をうっかり引いて仲間二人を消し炭に変えた。
「よくもやったな」トロッグが叫んだ。
アデライダはよろける手を前にかざし、なおも重心を失ったままトロッグにぶつかり、トロッグは手にした熱線銃の引き金をうっかり引いて自分の子分を消し炭に変えた。トロッグの三人の子分は消し炭になった。
「よくもやったな」トロッグが叫んだ。
「いまだ」技師の一人が声を上げた。
白衣をまとう技師の群れがいっせいにトロッグに向かって飛びかかった。トロッグの熱線銃から容赦を知らない赤い光がほとばしり、数人の技師を消し炭に変えた。一方、アルタイラは無事にテララジオの前にたどり着き、武骨なヘッドセットを頭にのせて太いマイクを握り締めた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。悪党トロッグがロイド博士の新発明を狙っています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
そのころ、赤毛の美女ラグーナの秘密の司令室では。
円形をした広大な部屋の壁に沿って無数のランプをちかちかと点滅させるコンピューターのような物、あわただしくリールを回転させる磁気テープ装置、何に使うのかわからないメーターのたぐい、放電球、丸いブラウン管に際限もなく波を打たせるオシログラフなどがずらりと並び、部屋の中心には腎臓型の大きな会議テーブルのかわりに今度は訊問用の椅子が置かれている。その椅子に縛りつけられた男の前で赤毛の美女ラグーナが黒光りする失神棒を振り上げ、このように言った。
「口のかたい男ね。これ以上痛い目にあいたくなかったら、いいかげんに白状なさい。アルタイラはどこにいるの?」
男は憔悴した顔を上げ、ひからびた唇を動かした。
「そんな名前は、聞いたこともない。誰のことだ?」
ラグーナが冷たい笑みを唇に浮かべた。「タフな男は嫌いじゃないわ。でも、わたし今日は機嫌が悪いの。お願いだから、手間をかけさせないでちょうだい。さあ、最後にもう一度だけ訊くわ。アルタイラはどこにいるの?」
男は再び顔を上げ、不敵な笑みを浮かべてこのように言った。
「おれは、アルタイラなど、知らない」
「そう、そうなの」ラグーナが言った。「だったら、あの世でも好きなだけその台詞を言うといいわ」
ラグーナが床に仕込まれたペダルを踏んだ。椅子の背後で床が割れて黒い穴が口を開き、それと同時に椅子がうしろへ倒れて男を暗い穴に投げ込んだ。短く悲鳴が上がり、燃え盛る炎が穴の縁に舌を這わせた。ラグーナがペダルから足を上げると穴が閉じ、倒れた椅子がもとに戻った。
「次」
ラグーナが叫ぶと青いヘルメットをかぶった警官が新たな犠牲者を連れて現われた。手錠をかけられた犠牲者を椅子に追い上げ、ストラップで手足を固定する。そこへさらにもう一人、警官が一枚の紙を持って現われた。いたぞ、と叫んだ警官だ。
「ラグーナ」いたぞ、と叫んだ警官が言った。「アルタイラの居場所がわかりました。ロイド博士の研究所です」
「あの小娘、そんなところに隠れていたのね」
そう言うとラグーナは床に仕込まれたペダルを踏んだ。椅子に固定されたばかりの犠牲者が悲鳴とともに穴に消えた。
「ラグーナ隊、出動」ラグーナが叫んだ。「あの小娘を始末するのよ」
そのころ、銀色に輝くテラグローブでは。
テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの外壁に埋め込まれた梯子をつかみ、テラグローブのドーム状の屋根をのぼっていた。タップスとスパークスがあとに続く。屋根のいただきが見えてきた。そしてそこにいたものを目にして、アダム・ラーは息をのんだ。体長五メートルを超える巨大なフクロウがテラグローブの屋根にとまり、静かにつばさを休めていた。大きな目でまばたきをして、音もなく首をめぐらせた。
アダム・ラーがテラグローブの屋根に立った。タップスとスパークスが横に並んだ。
「あれは」アダム・ラーが巨大なフクロウを指差した。「テラシティのはるか北、神秘のテラ山脈に生息しているというテラフクロウに違いない」
「でかいフクロウだ」タップスが叫んだ。「道理で屋根のハッチが開かないわけだ」
「しかし、いったい」スパークスが言った。「なんでこんなところにフクロウが…」
このとき、どこかで笑いの声が高らかに上がった。
「何者だ?」アダム・ラーがテラグローブの屋根を見まわした。
「どこにいる?」タップスもテラグローブの屋根を見まわした。
「あ、あそこだ」スパークスが巨大フクロウの足元を指差した。
ふわふわとした羽毛の下から一人の男が現われた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で屋根を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、いかにもこれはテラフクロウだ。本来ならば神秘のテラ山脈にいるはずのテラフクロウが、なぜテラグローブに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」タップスが叫んだ。「さてはおまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」とスパークスが言った。「なんのために?」
「もちろん、このテラグローブを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、このテラフクロウを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とアダム・ラーが叫んだ。「そのリモートコントロール装置から電波を送ってテラフクロウを自在にあやつり、テラグローブを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送ってテラフクロウを自在にあやつり、テラグローブを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」とスパークスが言った。「なぜ?」
わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
アダム・ラー、タップス、スパークスが息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から桃色の髪が、仮面の下から黄色い肌が現われた。体型がいきなり二回りほども太くなった。
「木星人だ」とタップスが叫んだ「木星人の悪党だ」
「そうだ」と木星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はザンベリ、木星から来た悪党だ。さあ、アダム・ラー、おまえにテラグローブの最期を見せてやろう」
木星人ザンベリがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。テラフクロウがつばさを広げ、力いっぱいはばたいた。すさまじい風が起こり、木星人ザンベリのからだが宙に浮いた。そして見る間に吹き飛ばされて、地上に向かって悲鳴を上げて落ちていった。スパークスも飛ばされた。スパークスも悲鳴を上げて落ちていった。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
テラフクロウがつばさを閉じて、まばたきをした。
「待て」タップスがテラフクロウに目を凝らした。「まさか、まさか」それからこぶしを振り上げて絶叫を放った。「アルモンっ」
テラフクロウのくちばしが開いた。丸く開いた口のなかにアルモンの顔が現われた。アルモンが笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。悪臭が漂う暗い路地裏。どこからともなく聞こえる罵声と悲鳴。男が女を殴っている。冷たい雨。疲れが背中を覆い尽くし、肩に重くのしかかる。絶望。足がもう前に進まない。からだを支えることができない。軒下にもぐり込んで腰をかがめ、震える手で地面を押さえ、どうにか腰を下ろして冷えたからだを丸くする。自分の悪臭が鼻をさいなむ。不快なしびれが背筋を這い、頭が次第に重くなる。足音。足音が近づき、間近でとまる。まぶたを押し上げ、顔を上げる。かすんだ頭で考えている。警官がいる。警官が自分を見下ろしている。警官が警棒を抜く。唇に冷たい笑みを浮かべ、黒い警棒を振り上げる。警棒が振り下ろされる音が聞こえる。タップス、また会ったな、タップス、また会ったな。
「アルモンっ」
タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべてテラフクロウのつばさを広げた。
「タップス、また会おう」
テラフクロウが空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げて、タップスが叫んだ。
Copyright ©2015 Tetsuya Sato All rights reserved.
「スイッチを切れ」博士が叫んだ。
白衣の技師が制御卓に向かってあわただしく指を走らせた。巨大なレンズのなかの像がかすみ、表面が波打つ銀色の膜に覆われていった。その波打つ膜からあがくようにして人間が飛び出し、かと思う間もなくその上半身がすっぱりと斜めに切られて床に落ちた。ロイド博士が吐息をもらし、白衣の技師が額に浮いた汗をぬぐった。
「これ、はずしてもらえませんか?」アルタイラが手錠のかかった手を差し出した。
「しかし君は囚人ではないのかね?」博士が訊ねた。
「違いますよ」アルタイラが言った。アデライダが手錠に手を伸ばした。
「それでも、警察には連絡しないと」
「あたし、悪いことはしていません」
「ではなぜ、刑務所にいたのかね?」
「はずれたわ」アデライダが言った。「お父さま、手錠がはずれました」
「ありがとう」アルタイラが言った。「ねえ、あなたも、きれいな髪ね」
「ありがとう」アデライダが言った。「いいトリートメントがあるのよ」
「それって、もしかしたらシュピーゲル社のテラキューティクルかな?」
「そう、それよ。うれしいわ、わたしたちトリートメントも一緒なのね」
「そんなことはどうでもいいから」博士が叫んだ。「質問に答えなさい」
「たぶんあたし、消されかけたんだと思います」
「いったい誰に、消されかけたというのかね?」
「あれは、たぶん、アダー執政官の秘書でした」
「まさか、ラグーナか」博士の顔が蒼くなった。
「お父さま」アデライダの顔に不安が浮かんだ。
「ラグーナ」白衣の技師が声を恐怖で震わせた。
「おならの臭いがするわ」アルタイラが言った。
「まずい」博士が言った。「ラグーナに目をつけられているのだとすれば、ここにもすぐに手がまわるぞ」
そのころ、アダー執政官の執務室では。
赤毛の美女ラグーナが颯爽とした足取りで現われ、執政官に報告した。
「あの小娘が、ニューゲイト7から逃走しました」
「しくじったのか?」アダー執政官が眉を上げた。「ラグーナ、失敗のつぐないは死だと、わかっているのだろうな?」
「はい、わかっています」
「では、命乞いをすればよい。おまえの前任者たちがそうしたように、おまえもわたしの情けにすがるのだ。わたしのまったくあてにならない情けにな」
「いいえ、命乞いはいたしません。覚悟はできています」
「そうか、それはよい心がけだ。その心がけに免じて、もう一度だけ、おまえにチャンスをやろう。今度は必ず成功させるのだ。テラシティの敵アルタイラを始末しろ」
そのころ、テラシティが誇る天才科学者ロイド博士の実験室では。
白衣の技師が荒々しく手を伸ばして、アルタイラの腕をつかんだ。
「ロイド博士、この女をいますぐラグーナに引き渡しましょう」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「そんなことをしてはだめ」
「なぜだ」白衣の技師がアデライダをにらんだ。「この女をかくまえば、我々もあのラグーナに目をつけられることになるんだぞ。石になるのは、おれはごめんだ」
「だって、わたしたち、もう、お友だちになったんですもの」
「博士」技師が叫んだ。「面倒に巻き込まれたいんですか?」
「あなた」アルタイラが言った。「おならの臭いがするわよ」
「嘘だ」技師が叫んだ。「おならの臭いなんてするものか。博士、博士がしないなら、わたしがこの女をラグーナに渡します」
アルタイラが逃れようとして身をよじり、そこへアデライダが駆け寄った。
「この手を放して」
アデライダの手が技師の手をつかんだ。すると技師はアルタイラから手を放し、胸をつかんで宙をにらんだ。
「し、心臓が」
それだけ言って床に倒れた。
「まあ」アデライダが言った。「何があったのかしら?」
「大丈夫だ」博士が言った。「何も起こっていないから」
このとき、白衣をまとう技師の一人が高らかな笑いの声を放ってこのように言った。
「わははははは。何も起こっていないとは、ロイド博士、まったくどうかしているな」
「お父さま」アデライダが不安の色を顔に浮かべた。「このひとは何を言ってるの?」
ロイド博士は眉をひそめ、それから男を指差した。
「わたしはここで働いている者全員の顔を知っている。しかし、君の顔は見たことがない。君はいったい何者だ?」
「知りたいか? 知りたければ教えてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から緑の髪が、仮面の下から赤い肌が現われた。身長がいきなり十センチほども低くなった。
「火星人だ」と白衣をまとう技師たちが叫んだ。「火星人の悪党だ」
「そうだ」と火星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はトロッグ、火星から来た悪党だ。ロイド博士、このおれがここにいる以上、何も起こっていないなどとは言ってほしくないものだ
「トロッグ?」技師の一人が眉をひそめた。
「トロッグ?」技師たちが顔を見合わせた。
「聞いた覚えのある名前だ」博士が言った。
「このひと」アルタイラが指差した。「アダム・ラーに捕まったはずです」
わはははははとトロッグが笑った。
「そのとおりだ。たしかに一度は逮捕されたが、取り調べを担当した刑事たちが勝手に向こうの世界へ行ってくれたおかげで、逃げ出す機会をつかむことができたのだ」
「向こうの世界とは」博士が訊ねた。「どこのことだ?」
「向こうの世界は向こうの世界だ。そんなことはどうでもいい。とにかくおれは警察から逃れ、それから夜も寝ないで考えた。もっと効率的で、効果的な悪事についてな。そしてある日、たまたま手にした統計資料からすばらしいアイデアを思いついた。怪物を使って建物を破壊するのはもう古い。ロイド博士、おれはあんたとあんたの実験室を狙うことに決めたのだ」
博士が訊ねた。「いったいどのような統計資料を見てそう決めたのか、差し支えなければ教えてもらえないか?」
「そんなことはどうでもいい」
「このひとが使った怪物って」アルタイラが言った。「ネリーのパパだったのよ」
「まあ」アデライダが言った。「どうしてネリーのパパなんかを。信じられない」
「そんなことはどうでもいい、と言っているのだ」
「いいだろう」博士が言った。「君はたしかにここに現われた。しかし、それだけだ。君が現われたくらいで、何かが起こったとは言えないのだ」
「それだけだと?」トロッグがほくそ笑んだ。「本当にそれだけだと思っているのか。よく見ろ、この実験室の惨状を、床に転がる技師たちの死体を。それでも何も起こっていないと言い切れるのか?」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたし、なんだか怖いわ」
「大丈夫だ」博士が言った。「何も起こってはいないのだから」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、おならの臭いがする」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「おならの臭いなどするものか。火星人はおならをしないのだからな。それよりも、この実験室の惨状を、床に転がる死体を見ろ。そしてなぜこんなことが起こったのかを考えてみろ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたしが、転んだから?」
「いや違う」博士が言った。「おまえは何も心配しなくていい」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、やっぱりおなら臭い」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「火星人はおならをしないのだ、おならをしない火星人がおなら臭いはずがないだろう。それよりも、考えろ。この実験室の惨状を見て、なぜこんなことが起こったのかを考えてみろ」
「まさかと思うが」博士が言った。「君がやったと主張するのか?」
わはははははとトロッグが笑った。
「そうだ、そのとおりだ。おれだ。すべては、おれがやったことだ」
「なるほど」博士が言った。「それで、何をやったというのかな?」
「聞いて驚くなよ。まず、クラウディアの楽屋の座標を書き換えた」
「それから?」
「それから真空管を少しいじって、手を触れたら倒れるようにした」
「それから?」
「まだあるぞ。危険な放電が起きるように、放電球に仕掛けをした」
「それから?」
「まだある。電源ケーブルの被膜のところどころに切れ目を入れた」
「それから?」
「コンピューターの配線を少しいじった。すぐに爆発するようにな」
「それから?」
「キャットウォークの足場に手を加えた。すぐに崩壊するようにな」
「それから?」
「実験用の毒ガスのボンベに亀裂を入れた。壊れやすくするために」
「それから?」
「実験用の溶解液の容器にも亀裂を入れた。壊れやすくするためだ」
「それから?」
「実験用の水槽に水を張った。気づかれないように、こっそりとな」
「それから?」
「もちろん、まだある。実験用の熱線砲が暴走するように仕組んだ」
「それから?」
「まだ不足か? 実験用の冷凍光線砲も暴走するようにしておいた」
「それから?」
「それから最後に、実験用のライオンの檻のとびらを開けておいた」
「それから?」
「そうだ、そう言えば、あの技師の心臓がとまるように仕組んだな」
「なるほどな」博士が言った。「すべては君のしわざというわけか」
わはははははとトロッグが笑った。
「そうだ、そのとおりだ。おれだ。すべては、おれがやったことだ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「わたしは関係なかったのね?」
「いや違う」博士が言った。「アデライダ、おまえを傷つけないためにいままで嘘をついていたが、これ以上隠し続けてもこの火星人が増長するだけだ。そもそも火星人というのはたいしたことのない連中で、どいつもこいつも空想と現実の区別がつかないばかばっかりで、口では偉そうなことを言っていても実際にはたいしたことなどまったくできないのだ。そのような火星人にこまかい細工ができるものか。アデライダ、真実を言おう。すべてはおまえがやったことだ。お母さんが入院することになったのも、実はおまえのせいなのだ。おじいさんとおばあさんが爆死したのも、実はおまえのせいなのだ」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「やっぱり、そうだったのね?」
「嘘をつけ」トロッグが叫んだ。「すべては、おれがやったことだ」
「ねえ」アルタイラが言った。「本当に、おならの臭いがするのよ」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「おれはおならなど、したことがない」
「お父さま」アデライダが叫んだ。「それでもわたし強く生きます」
「おお、アデライダ」博士が叫んだ。「それでこそ、わたしの娘だ」
博士がアデライダを抱き締めた。アルタイラが感動の涙を流した。
わはははははとトロッグが笑った。
「さすがはロイド博士。テラシティが誇る天才科学者という評判も、どうやら伊達ではないようだ。おれの嘘をよく見破ったな。しかし、これで終わりではない。博士、あんたが発明したテラホール、このおれに引き渡してもらおうか」
白衣の技師たちがざわめき、顔色を変えた。
「なんだと」博士が叫んだ。「テラホールを手に入れて、どうするつもりだ?」
わはははははとトロッグが笑った。
「もちろん、悪事に使わせてもらう。テラホールに海中の座標を入力すれば、テラシティを水浸しにできる。テラホールに宇宙の座標を入力すれば、テラシティのすべては宇宙に吸い出されることになるだろう。テラホールの力があれば、テラシティを簡単に破壊することができるのだ」
「なんという恐ろしい」白衣の技師たちが声を合わせた。
「ねえ」アルタイラが言った。「だったら、まず博士の娘を人質に取らなきゃ」
「そうだ」博士がうなずいた。「まず娘を人質に取るのが、順序というものだ」
「お父さま」アデライダが言った。「わたし、お父さまのために人質になるわ」
「いや」トロッグが首を振った。「せっかくだが、それは遠慮しておこう」
「そうはいかん」博士が言った。「まず人質を取るのだ。話はそれからだ」
「ねえ」アルタイラが言った。「あなた、なんだか、怖がっているみたい」
「嘘だ」トロッグが叫んだ。「怖がってなどいないぞ」
「お父さま」アデライダが言った。「わたし、怖いわ」
「ほら」アルタイラが言った。「人質が待ってるのよ」
「悪党なら」博士が言った。「娘を人質に取りたまえ」
「断る」トロッグが叫んだ。「その娘は、危険すぎる」
「失礼ね」アデライダが叫んだ。
「失礼よ」アルタイラも叫んだ。
「失礼な」博士が言った。「娘は少しばかり、うっかりしているだけなのだ。うっかりしていると実験室を破壊したり、助手の心臓をとめたりするが、うっかりさえしなければ、これほど気立てのいい娘はない。それから、ここが肝心なところだが、わたしは娘を愛している。溺愛していると言ってもいい。もし娘を人質に取られたら、どのような発明も悪の手に引き渡してしまうことになるだろう。もちろん、良心の呵責にさいなまれながら」
「まあ、お父さま」アデライダが叫んだ。「わたし、とってもうれしいわ」
「人質など必要ない」トロッグが叫んだ。「おれには、これがあるからな」
トロッグの右手に熱線銃が現われた。熱線銃の先から容赦を知らない赤い光がほとばしり、床を黒く焼き焦がした。泡立つような音がはじけ、白衣をまとう技師たちが悲鳴を上げてあとずさった。
わはははははとトロッグが笑った。
「驚いたか。これは火星で初めて独自に開発された熱線銃MM88だ。これを使えばおまえたちなど、一瞬で消し炭に変えることができるのだ」
「なんと、あのMM88か」ロイド博士が悔しそうに首を振った。「火星人は独自に開発したと恥知らずにも主張しているが、その特徴的な外見からあきらかなようにサタンバグ65のコピーにほかならない。きわめて洗練された普及モデルであるサタンバグ65を参考にしたセンスはいちおうほめておくべきだが、なにしろ火星人の仕事なので品質が悪い。不良品が多い上に、一つひとつが事実上の手作りなので、同じ型式であっても部品に互換性がない。どうにか動かすことができたとしても、出力制御に問題があって熱線放射が安定しない。つまり子供のおもちゃに毛が生えたようなしろもので、オリジナルとの類似点はかろうじて外見に認められるに過ぎないが、それでもあれが恐ろしい武器であることに変わりはない」
「しかし」と技師の一人が声を上げた。「やつは一人です。熱線銃も一丁だけです。みんなでいっせいに飛びかかれば、もちろん犠牲が出るかもしれないが、しかし…」
「あいにくだな」とトロッグが笑った。「愚かなおまえたちの考えなど、こっちは最初からお見通しだ。おれには三人の子分がいる。熱線銃も一丁ではない」
トロッグが熱線銃を振り上げると小柄な火星人がどこからともなく三人現われ、全員があのMM88を構えて白衣をまとう技師たちを狙った。
「万事休すだ」と白衣の技師が声を合わせた。
「いいえ」アルタイラが叫んだ。「まだ大丈夫よ。博士、あれは無線機ですか?」
アルタイラが指差す先には最新鋭の通信装置テララジオがあった。
「そうだ」ロイド博士がうなずいた。「あれは最新鋭の通信装置、テララジオだ」
「助けを呼びます」アルタイラがテララジオに向かって駆け出した。
「そうはさせるか」トロッグが叫んだ。
「わたしも行くわ」アデライダがアルタイラを追って駆け出した。
「あの小娘を狙え」トロッグが叫び、トロッグの子分がアルタイラを狙った。
アデライダの銀色のブーツの先が焼け焦げたケーブルを引っかけた。アデライダのからだが前にのめり、手がかりを求めて差し出した手がトロッグの子分にぶつかった。トロッグの子分はアデライダに突き飛ばされ、手にした熱線銃の引き金をうっかり引いて仲間二人を消し炭に変えた。
「よくもやったな」トロッグが叫んだ。
アデライダはよろける手を前にかざし、なおも重心を失ったままトロッグにぶつかり、トロッグは手にした熱線銃の引き金をうっかり引いて自分の子分を消し炭に変えた。トロッグの三人の子分は消し炭になった。
「よくもやったな」トロッグが叫んだ。
「いまだ」技師の一人が声を上げた。
白衣をまとう技師の群れがいっせいにトロッグに向かって飛びかかった。トロッグの熱線銃から容赦を知らない赤い光がほとばしり、数人の技師を消し炭に変えた。一方、アルタイラは無事にテララジオの前にたどり着き、武骨なヘッドセットを頭にのせて太いマイクを握り締めた。
「アダム・ラー、アダム・ラー、こちらテラシティ、聞こえますか。テラシティの危機です。悪党トロッグがロイド博士の新発明を狙っています。アダム・ラー、聞こえますか。お願いです。どうか、わたしたちを助けてください」
そのころ、赤毛の美女ラグーナの秘密の司令室では。
円形をした広大な部屋の壁に沿って無数のランプをちかちかと点滅させるコンピューターのような物、あわただしくリールを回転させる磁気テープ装置、何に使うのかわからないメーターのたぐい、放電球、丸いブラウン管に際限もなく波を打たせるオシログラフなどがずらりと並び、部屋の中心には腎臓型の大きな会議テーブルのかわりに今度は訊問用の椅子が置かれている。その椅子に縛りつけられた男の前で赤毛の美女ラグーナが黒光りする失神棒を振り上げ、このように言った。
「口のかたい男ね。これ以上痛い目にあいたくなかったら、いいかげんに白状なさい。アルタイラはどこにいるの?」
男は憔悴した顔を上げ、ひからびた唇を動かした。
「そんな名前は、聞いたこともない。誰のことだ?」
ラグーナが冷たい笑みを唇に浮かべた。「タフな男は嫌いじゃないわ。でも、わたし今日は機嫌が悪いの。お願いだから、手間をかけさせないでちょうだい。さあ、最後にもう一度だけ訊くわ。アルタイラはどこにいるの?」
男は再び顔を上げ、不敵な笑みを浮かべてこのように言った。
「おれは、アルタイラなど、知らない」
「そう、そうなの」ラグーナが言った。「だったら、あの世でも好きなだけその台詞を言うといいわ」
ラグーナが床に仕込まれたペダルを踏んだ。椅子の背後で床が割れて黒い穴が口を開き、それと同時に椅子がうしろへ倒れて男を暗い穴に投げ込んだ。短く悲鳴が上がり、燃え盛る炎が穴の縁に舌を這わせた。ラグーナがペダルから足を上げると穴が閉じ、倒れた椅子がもとに戻った。
「次」
ラグーナが叫ぶと青いヘルメットをかぶった警官が新たな犠牲者を連れて現われた。手錠をかけられた犠牲者を椅子に追い上げ、ストラップで手足を固定する。そこへさらにもう一人、警官が一枚の紙を持って現われた。いたぞ、と叫んだ警官だ。
「ラグーナ」いたぞ、と叫んだ警官が言った。「アルタイラの居場所がわかりました。ロイド博士の研究所です」
「あの小娘、そんなところに隠れていたのね」
そう言うとラグーナは床に仕込まれたペダルを踏んだ。椅子に固定されたばかりの犠牲者が悲鳴とともに穴に消えた。
「ラグーナ隊、出動」ラグーナが叫んだ。「あの小娘を始末するのよ」
そのころ、銀色に輝くテラグローブでは。
テラシティの守護者アダム・ラーはテラグローブの外壁に埋め込まれた梯子をつかみ、テラグローブのドーム状の屋根をのぼっていた。タップスとスパークスがあとに続く。屋根のいただきが見えてきた。そしてそこにいたものを目にして、アダム・ラーは息をのんだ。体長五メートルを超える巨大なフクロウがテラグローブの屋根にとまり、静かにつばさを休めていた。大きな目でまばたきをして、音もなく首をめぐらせた。
アダム・ラーがテラグローブの屋根に立った。タップスとスパークスが横に並んだ。
「あれは」アダム・ラーが巨大なフクロウを指差した。「テラシティのはるか北、神秘のテラ山脈に生息しているというテラフクロウに違いない」
「でかいフクロウだ」タップスが叫んだ。「道理で屋根のハッチが開かないわけだ」
「しかし、いったい」スパークスが言った。「なんでこんなところにフクロウが…」
このとき、どこかで笑いの声が高らかに上がった。
「何者だ?」アダム・ラーがテラグローブの屋根を見まわした。
「どこにいる?」タップスもテラグローブの屋根を見まわした。
「あ、あそこだ」スパークスが巨大フクロウの足元を指差した。
ふわふわとした羽毛の下から一人の男が現われた。金属繊維の服をまとい、姿形はテラシティの善良な市民と一つとして変わることがなかったが、広げた両脚で屋根を踏み締め、両手の甲を腰に当て、いったい何が楽しいのか、わはははははと笑っていた。そしてひとしきり笑いの声を放ってから、口を閉ざして唇の端に凶悪そうな笑みを浮かべ、それから再び口を開いてこのように言った。
「そう、いかにもこれはテラフクロウだ。本来ならば神秘のテラ山脈にいるはずのテラフクロウが、なぜテラグローブに出現したのか。本来ならば決してあり得ないはずのことが、なぜ今日、この場で起こったのか」
「わかったぞ」タップスが叫んだ。「さてはおまえのしわざだな」
「そうだ」と男が叫んだ。
「しかし、いったい」とスパークスが言った。「なんのために?」
「もちろん、このテラグローブを破壊するためだ。これを見ろ」男は小さな黒い箱を取り出して高々と掲げた。「これはリモートコントロール装置だ。この装置を使えば、このテラフクロウを好きなようにあやつることができるのだ」
「そうか」とアダム・ラーが叫んだ。「そのリモートコントロール装置から電波を送ってテラフクロウを自在にあやつり、テラグローブを破壊するつもりだな」
「そうだ」と男が叫んだ。「このリモートコントロール装置から電波を送ってテラフクロウを自在にあやつり、テラグローブを破壊するつもりなのだ」
「しかし、いったい」とスパークスが言った。「なぜ?」
わはははははと男が笑った。
「わからないのか? それはおれが悪党だからだ」
アダム・ラー、タップス、スパークスが息をのんだ。
「それもただの悪党ではない。おれの正体を見せてやろう」そう言いながら男は一瞬の動作で顔から仮面を、頭からかつらを剥ぎ取った。かつらの下から桃色の髪が、仮面の下から黄色い肌が現われた。体型がいきなり二回りほども太くなった。
「木星人だ」とタップスが叫んだ「木星人の悪党だ」
「そうだ」と木星人の悪党が叫んだ。「驚いたか。おれの名はザンベリ、木星から来た悪党だ。さあ、アダム・ラー、おまえにテラグローブの最期を見せてやろう」
木星人ザンベリがリモートコントロール装置のスイッチを入れた。テラフクロウがつばさを広げ、力いっぱいはばたいた。すさまじい風が起こり、木星人ザンベリのからだが宙に浮いた。そして見る間に吹き飛ばされて、地上に向かって悲鳴を上げて落ちていった。スパークスも飛ばされた。スパークスも悲鳴を上げて落ちていった。
「なんてこった」タップスが叫んだ。「スパークスが殺された」
「このひとでなし」アダム・ラーが罵った。
テラフクロウがつばさを閉じて、まばたきをした。
「待て」タップスがテラフクロウに目を凝らした。「まさか、まさか」それからこぶしを振り上げて絶叫を放った。「アルモンっ」
テラフクロウのくちばしが開いた。丸く開いた口のなかにアルモンの顔が現われた。アルモンが笑った。
「はーはっはっはっ。よく見破ったな。そうだ、おれだ、アルモンだ」
封印されていた暗い記憶がタップスの胸の底からよみがえった。悪臭が漂う暗い路地裏。どこからともなく聞こえる罵声と悲鳴。男が女を殴っている。冷たい雨。疲れが背中を覆い尽くし、肩に重くのしかかる。絶望。足がもう前に進まない。からだを支えることができない。軒下にもぐり込んで腰をかがめ、震える手で地面を押さえ、どうにか腰を下ろして冷えたからだを丸くする。自分の悪臭が鼻をさいなむ。不快なしびれが背筋を這い、頭が次第に重くなる。足音。足音が近づき、間近でとまる。まぶたを押し上げ、顔を上げる。かすんだ頭で考えている。警官がいる。警官が自分を見下ろしている。警官が警棒を抜く。唇に冷たい笑みを浮かべ、黒い警棒を振り上げる。警棒が振り下ろされる音が聞こえる。タップス、また会ったな、タップス、また会ったな。
「アルモンっ」
タップスが雄叫びを放ち、アルモンに向かって飛び出した。アダム・ラーも熱線銃を抜いてあとを追う。アルモンは不敵な笑みを浮かべてテラフクロウのつばさを広げた。
「タップス、また会おう」
テラフクロウが空に向かって飛び立っていった。
「ちくしょう」空を見上げて、タップスが叫んだ。
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