第五話 | |
呪われた時計 |
天井から吊るされた白熱灯が四メートル四方の白い部屋を照らしていた。トロッグは手錠のはまった両手を机に預けて、不敵な面持ちで前を見据えた。壁にかかった時計が耳に障る音を立てて時を刻み続けていた。ローマ数字をめぐらした文字盤の上で針が時刻を告げていたが、それが昼を意味しているのか、夜を意味しているのか、トロッグにはすでにわからなかった。
トロッグの赤い肌が汗ばんでいた。
壁の時計が音を立てて時を刻んだ。
ドアにうがたれた四角い覗き穴の蓋が開き、冷たい灰色の目がトロッグを見た。蓋が閉ざされ、ドアを押し開けて刑事のデュクロが入ってきた。三十代のなかばを過ぎた長身でハンサムな男だったが、肉のない頬にはさまれた薄い口にはチリソースと酷薄さが染みついている。その灰色の目は疑うことに慣れすぎて信じることを忘れていた。デュクロは間近に立って脚を開き、わずかに首を傾けてトロッグを見下ろした。腰のベルトに手を這わせるとプレスのかかった上着が開いた。ホルスターに収まったリボルバーの黒い銃把が丸見えになった。
続いてクリヨンが現われた。刑事のクリヨンは頭に白髪をたくわえた小柄な男で、重たげなまぶたの下に鋭い眼差しを隠していた。クリヨンがその眼差しをトロッグに向け、背を丸め、机に近寄りながら手を上着の内ポケットに差し入れた。ポケットからしわくちゃになった紙巻き煙草の箱を引っ張り出し、箱から一本引き出してトロッグの前に差し出した。断る理由はない。トロッグは手錠のはまった手を動かし、煙草を取って口にくわえた。クリヨンも一本取って口にくわえ、煙草の箱をポケットにしまった。おもむろにマッチを擦って揺れる火を手に身をかがめ、トロッグがそこへ顔を寄せた。煙草に火がついた。トロッグが目を閉じ、うまそうに煙を吸い込んだ。クリヨンも同じマッチで自分の煙草に火を点し、白い煙を吐き出しながらマッチの棒を強く振った。マッチ棒の頭から煙が流れ、一瞬、鼻をつく硫黄の臭いが漂った。クリヨンはマッチ棒を投げ捨てて、トロッグの向かいに腰を下ろした。唇の端に小さく笑みのようなものを浮かべていた。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。事件の前にカーラ・オスマンと会っていたな?」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの目がクリヨンを見た。
「トロッグ」クリヨンが言った。「こっちには証人がいるんだ。カーラ・オスマンと会っていたな?」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの口は閉ざされている。
「トロッグ」クリヨンが言った。「頼むから、話をしてくれ。おまえが意地を張る理由はないはずだ」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの口に笑みが浮かんだ。
「おいっ」デュクロが怒鳴った。躍り出てトロッグの口から煙草をもぎ取り、床に捨てた。「カーラ・オスマンと会っていたな? ええっ」
四メートル四方の白い部屋で、壁の時計が音を立てて時を刻む。
クリヨンの手が揺れ動いた。デュクロがそれを見て引き下がる。
壁の時計が耳に障る音を立てながら、執拗なまでに時を刻んだ。
「煙草が落ちた」トロッグが言った。「もう一本、くれないか」
「ああ」クリヨンが煙草の箱を取り出した。「もう一本やろう」
トロッグに向かって煙草を差し出す。トロッグが一本取って口にくわえた。「火を」トロッグがそう言った瞬間、デュクロの手が伸び、煙草を奪い取って床に捨てた。
「いいさ」トロッグが笑った。「フィルター付きは嫌いなんだ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「起きろっ」デュクロが怒鳴った。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「なあ、クリヨン」トロッグが言った。「もう一本もらえないか」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「起きろっ」デュクロが怒鳴った。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
クリヨンが上着の胸ポケットからハンカチを取ってトロッグに渡した。トロッグが口元にハンカチを当てた。青いシルクのハンカチに火星人の血がにじんだ。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
デュクロが壁に歩み寄り、時計を裏返して電池をはずした。
それでも時計は音を立てて時を刻んだ。
「だめなんだ」クリヨンが言った。「その時計は呪われてる」
わはははははとトロッグが笑った。傷が開き、火星人の血が顎を伝った。
デュクロが舌打ちをして時計を戻した。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。おまえがタフなのはよくわかった。このあともだんまりを決め込んで痛い目を見たいなら、デュクロにメリケンサックを取ってこさせる」デュクロが悪魔的な笑みを浮かべた。クリヨンが続ける。「だがな、トロッグ、おまえにだってわかるはずだ。こんなことをいつまでも続けたって意味はない。ネタはあらかたあがってるんだ。テラパークの一件はカーラ・オスマンが仕切っていた。おまえが何を信じていたのか知らないが、おまえはあの女の駒だったんだよ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
「捨て駒だったのさ」デュクロが笑った。
トロッグがデュクロを見上げて言った。
「そうかい。あんた、鼻毛が見えてるぜ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「くそったれめが」デュクロが怒鳴った。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。たしかにカーラ・オスマンはいい女だ。だが義理立てをするほどの女じゃない。特に火星人のおまえがな。あの女がふだんから何を言っていたか、おまえもその耳で聞いたはずだ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグの視線が白い壁を這いまわる。
「トロッグ」クリヨンが言った。「カーラ・オスマンはテラパークの一件を仕切っていたが、計画を練ったやつはほかにいる。これを見ろ」一枚の紙片を机に広げた。「ミスカトニック大学から取り寄せたカーラ・オスマンの成績証明書だ。見ていて気の毒になるほどCがたくさん並んでいる。この残念なおつむであれだけのヤマが張れたとは、おれにはとうてい信じられない。間違いなくどこかに黒幕がいたはずだ」
「おれだと言ったら」トロッグが言った。
「トロッグ」クリヨンが言った。「おまえには無理なんだ。だっておまえは火星人だろ。火星人というのはそもそもはたいしたことのない連中で、どいつもこいつも空想と現実の区別がつかないばかばっかりで、口では偉そうなことを言っていても実際にはたいしたことなどまったくできないってことくらい、おれだって知っている。逆立ちしたっておまえにはできない。だからつまらない見栄を張るのはやめておけ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグがゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうかい。あんたも鼻毛が見えてるぜ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「くそったれめが」デュクロが怒鳴った。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
クリヨンが立ち上がった。ゆっくりとした足取りで机をまわり、トロッグを静かに見下ろした。トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。教えてくれ。カーラ・オスマンがおまえに名前を言ったはずだ。その名前を言えば、おまえの罪については少しくらい考えてやる。さあ、トロッグ、迷うことは何もない。そいつの名前を教えてくれ」
「メテオブレイン」トロッグが言った。
「小惑星帯を根城にしている悪党か?」
「そうだ。そいつだ。そいつが黒幕だ」
「メテオブレインか」クリヨンがうなずいた。「本名はガストン・ラリュー、地球出身。とんでもない悪党で、しかも頭がよく切れる。やはりやつが黒幕だったか」
「ああ、そのとおりだ」トロッグが言った。「ただし、おれが最後に会ったときにはバスティアン・ギーと名乗っていた」
「バスティアン・ギー?」デュクロが顔をしかめた。
「バスティアン・ギー?」クリヨンが胸をつかんでよろめいた。「そんなばかな。やつはおれがこの手で三年前に…」
このとき部屋のドアが音もなく開いた。クリヨンがかすむ目を向ける。そこに立っていたのは赤いトレンチコートを着たブロンドの女だ。
「モニーク」クリヨンが震える声を絞り出した。
モニークと呼ばれた女がコートのポケットからピストルを出し、腰だめに構えて二発撃った。薬莢が飛び、白い部屋に銃声が轟き、クリヨンが床にくずおれる。ドアが静かに閉じて女の姿を覆い隠した。
「クリヨンっ」叫びを放ってデュクロが駆け寄り、血まみれのクリヨンを抱き起した。
「ちくしょう」クリヨンがあえいだ。「おれにはわかっていた。いずれはこうなるとわかっていた。あの泥沼からは、一人として逃げ出すことはできないんだ」
クリヨンの口から血があふれた。
「誰か、誰か」デュクロが叫んだ。「誰か、こいつを助けてやってくれ。この地獄からこいつを助け出してやってくれ」
白い部屋の床に赤い血が広がっていく。トロッグが立ち上がった。クリヨンの青いシルクのハンカチで唇を押さえ、壁に歩み寄って時計を見上げた。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
Copyright ©2015 Tetsuya Sato All rights reserved.
トロッグの赤い肌が汗ばんでいた。
壁の時計が音を立てて時を刻んだ。
ドアにうがたれた四角い覗き穴の蓋が開き、冷たい灰色の目がトロッグを見た。蓋が閉ざされ、ドアを押し開けて刑事のデュクロが入ってきた。三十代のなかばを過ぎた長身でハンサムな男だったが、肉のない頬にはさまれた薄い口にはチリソースと酷薄さが染みついている。その灰色の目は疑うことに慣れすぎて信じることを忘れていた。デュクロは間近に立って脚を開き、わずかに首を傾けてトロッグを見下ろした。腰のベルトに手を這わせるとプレスのかかった上着が開いた。ホルスターに収まったリボルバーの黒い銃把が丸見えになった。
続いてクリヨンが現われた。刑事のクリヨンは頭に白髪をたくわえた小柄な男で、重たげなまぶたの下に鋭い眼差しを隠していた。クリヨンがその眼差しをトロッグに向け、背を丸め、机に近寄りながら手を上着の内ポケットに差し入れた。ポケットからしわくちゃになった紙巻き煙草の箱を引っ張り出し、箱から一本引き出してトロッグの前に差し出した。断る理由はない。トロッグは手錠のはまった手を動かし、煙草を取って口にくわえた。クリヨンも一本取って口にくわえ、煙草の箱をポケットにしまった。おもむろにマッチを擦って揺れる火を手に身をかがめ、トロッグがそこへ顔を寄せた。煙草に火がついた。トロッグが目を閉じ、うまそうに煙を吸い込んだ。クリヨンも同じマッチで自分の煙草に火を点し、白い煙を吐き出しながらマッチの棒を強く振った。マッチ棒の頭から煙が流れ、一瞬、鼻をつく硫黄の臭いが漂った。クリヨンはマッチ棒を投げ捨てて、トロッグの向かいに腰を下ろした。唇の端に小さく笑みのようなものを浮かべていた。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。事件の前にカーラ・オスマンと会っていたな?」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの目がクリヨンを見た。
「トロッグ」クリヨンが言った。「こっちには証人がいるんだ。カーラ・オスマンと会っていたな?」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの口は閉ざされている。
「トロッグ」クリヨンが言った。「頼むから、話をしてくれ。おまえが意地を張る理由はないはずだ」
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグの口に笑みが浮かんだ。
「おいっ」デュクロが怒鳴った。躍り出てトロッグの口から煙草をもぎ取り、床に捨てた。「カーラ・オスマンと会っていたな? ええっ」
四メートル四方の白い部屋で、壁の時計が音を立てて時を刻む。
クリヨンの手が揺れ動いた。デュクロがそれを見て引き下がる。
壁の時計が耳に障る音を立てながら、執拗なまでに時を刻んだ。
「煙草が落ちた」トロッグが言った。「もう一本、くれないか」
「ああ」クリヨンが煙草の箱を取り出した。「もう一本やろう」
トロッグに向かって煙草を差し出す。トロッグが一本取って口にくわえた。「火を」トロッグがそう言った瞬間、デュクロの手が伸び、煙草を奪い取って床に捨てた。
「いいさ」トロッグが笑った。「フィルター付きは嫌いなんだ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「起きろっ」デュクロが怒鳴った。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「なあ、クリヨン」トロッグが言った。「もう一本もらえないか」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「起きろっ」デュクロが怒鳴った。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
クリヨンが上着の胸ポケットからハンカチを取ってトロッグに渡した。トロッグが口元にハンカチを当てた。青いシルクのハンカチに火星人の血がにじんだ。
壁の時計が音を立てて時を刻む。
デュクロが壁に歩み寄り、時計を裏返して電池をはずした。
それでも時計は音を立てて時を刻んだ。
「だめなんだ」クリヨンが言った。「その時計は呪われてる」
わはははははとトロッグが笑った。傷が開き、火星人の血が顎を伝った。
デュクロが舌打ちをして時計を戻した。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。おまえがタフなのはよくわかった。このあともだんまりを決め込んで痛い目を見たいなら、デュクロにメリケンサックを取ってこさせる」デュクロが悪魔的な笑みを浮かべた。クリヨンが続ける。「だがな、トロッグ、おまえにだってわかるはずだ。こんなことをいつまでも続けたって意味はない。ネタはあらかたあがってるんだ。テラパークの一件はカーラ・オスマンが仕切っていた。おまえが何を信じていたのか知らないが、おまえはあの女の駒だったんだよ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
「捨て駒だったのさ」デュクロが笑った。
トロッグがデュクロを見上げて言った。
「そうかい。あんた、鼻毛が見えてるぜ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「くそったれめが」デュクロが怒鳴った。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。たしかにカーラ・オスマンはいい女だ。だが義理立てをするほどの女じゃない。特に火星人のおまえがな。あの女がふだんから何を言っていたか、おまえもその耳で聞いたはずだ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグの視線が白い壁を這いまわる。
「トロッグ」クリヨンが言った。「カーラ・オスマンはテラパークの一件を仕切っていたが、計画を練ったやつはほかにいる。これを見ろ」一枚の紙片を机に広げた。「ミスカトニック大学から取り寄せたカーラ・オスマンの成績証明書だ。見ていて気の毒になるほどCがたくさん並んでいる。この残念なおつむであれだけのヤマが張れたとは、おれにはとうてい信じられない。間違いなくどこかに黒幕がいたはずだ」
「おれだと言ったら」トロッグが言った。
「トロッグ」クリヨンが言った。「おまえには無理なんだ。だっておまえは火星人だろ。火星人というのはそもそもはたいしたことのない連中で、どいつもこいつも空想と現実の区別がつかないばかばっかりで、口では偉そうなことを言っていても実際にはたいしたことなどまったくできないってことくらい、おれだって知っている。逆立ちしたっておまえにはできない。だからつまらない見栄を張るのはやめておけ」
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
トロッグがゆっくりと笑みを浮かべた。
「そうかい。あんたも鼻毛が見えてるぜ」
デュクロのこぶしがトロッグを打った。
トロッグのからだが吹っ飛んだ。床に転がってからだを丸めた。
「くそったれめが」デュクロが怒鳴った。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。
クリヨンが立ち上がった。ゆっくりとした足取りで机をまわり、トロッグを静かに見下ろした。トロッグがからだを起こし、手錠のかかった手を上げて口元をぬぐった。椅子の座面に肘をかけて立ち上がり、時間をかけて腰を下ろした。
「トロッグ」クリヨンが言った。「なあ、トロッグ。教えてくれ。カーラ・オスマンがおまえに名前を言ったはずだ。その名前を言えば、おまえの罪については少しくらい考えてやる。さあ、トロッグ、迷うことは何もない。そいつの名前を教えてくれ」
「メテオブレイン」トロッグが言った。
「小惑星帯を根城にしている悪党か?」
「そうだ。そいつだ。そいつが黒幕だ」
「メテオブレインか」クリヨンがうなずいた。「本名はガストン・ラリュー、地球出身。とんでもない悪党で、しかも頭がよく切れる。やはりやつが黒幕だったか」
「ああ、そのとおりだ」トロッグが言った。「ただし、おれが最後に会ったときにはバスティアン・ギーと名乗っていた」
「バスティアン・ギー?」デュクロが顔をしかめた。
「バスティアン・ギー?」クリヨンが胸をつかんでよろめいた。「そんなばかな。やつはおれがこの手で三年前に…」
このとき部屋のドアが音もなく開いた。クリヨンがかすむ目を向ける。そこに立っていたのは赤いトレンチコートを着たブロンドの女だ。
「モニーク」クリヨンが震える声を絞り出した。
モニークと呼ばれた女がコートのポケットからピストルを出し、腰だめに構えて二発撃った。薬莢が飛び、白い部屋に銃声が轟き、クリヨンが床にくずおれる。ドアが静かに閉じて女の姿を覆い隠した。
「クリヨンっ」叫びを放ってデュクロが駆け寄り、血まみれのクリヨンを抱き起した。
「ちくしょう」クリヨンがあえいだ。「おれにはわかっていた。いずれはこうなるとわかっていた。あの泥沼からは、一人として逃げ出すことはできないんだ」
クリヨンの口から血があふれた。
「誰か、誰か」デュクロが叫んだ。「誰か、こいつを助けてやってくれ。この地獄からこいつを助け出してやってくれ」
白い部屋の床に赤い血が広がっていく。トロッグが立ち上がった。クリヨンの青いシルクのハンカチで唇を押さえ、壁に歩み寄って時計を見上げた。
呪われた時計が音を立てて時を刻んだ。