Trishna
2011年 イギリス 114分
監督:マイケル・ウィンターボトム
ラジャスタンの村で暮らすトリシュナはふとしたことから金持ちの息子ジェイと出会い、トリシュナの父親が事故を起こして一家が経済的に困窮するとジェイはトリシュナに救いの手を差し伸べ、トリシュナはジェイの父親が所有するホテルで働くようになるが、ふとしたことからジェイと関係を持つことになり、ホテルから逃れたトリシュナは家に戻り、まもなく妊娠していることがわかり、父親が命じるままに親戚の工場へ働きに出ることになって、そこで働いているとトリシュナを追ってジェイが現われ、トリシュナはジェイに誘われるままにムンバイを訪れてそこでジェイとの同棲を始め、ジェイはトリシュナへの愛を告白しながら自分の女性関係も告白し、トリシュナが妊娠と堕胎について告白するとジェイはいきなり顔をしかめ、そこへジェイの父親が倒れたという知らせがあってジェイはトリシュナを置いてロンドンに発ち、取り残されたトリシュナはムンバイで無為に日を送り、そうしているとジェイが現われてホテル経営のためにラジャスタンに戻ると告げ、世間体の問題から同棲状態を解消されて従業員となってジェイに同行したトリシュナは『カーマ・ストーラ』を読みふけるジェイの肉欲のはけ口となり、そういうことを繰り返しているうちにおそらく我慢の限界に達したのであろう、ある日ジェイを刺し殺して実家へ帰り、荒れ野へ出るとジェイを刺した包丁を使って自らの命を絶つ。
原作はトーマス・ハーディの『テス』ということになっているが、ヒロインの人格はほとんど意味不明なまでに後退し、一方エンジェル・クレアとアレック・ダーバヴィルはジェイというひとつの人格に統合されている。ひとりでエンジェル・クレアとアレック・ダーバヴィル、というのはまったくの話、最低としか言いようがないので殺されるのはしかたがないとしても、それが上映時間を圧縮する関係でそうなったのか、19世紀のドーセットを現代インドに翻案する過程でそうなったのか、いまひとつ意図がわからない。前向きに眺めれば後者ということになるのかもしれないし、ヒロインのことさらな無性格ぶりとヒロインが受ける抑圧も含めて考えると現代インドの現状を反映した結果ということになるのかもしれない。確信が持てないのはたぶんに演出に原因があって、この監督の『日陰者ジュード』と同様、やたらと短いカット割りと落ち着きのないカメラ・ワーク、叙情に流れがちな表現のせいで正体が見えなくなっている。トリシュナを演じたのは『スラムドッグ$ミリオネア』のフリーダ・ピントで、文句なしに美しい。あくまでもイギリス映画なので登場人物が歌って踊るというシーンはないが、ボリウッドをかすめる瞬間があって、そこではダンスシーンが登場する。丹念に写し取られた現代インドの風俗はいろいろと面白い。
Tetsuya Sato