The Last Samurai
2003年 アメリカ・日本・ニュージーランド 144分
監督:エドワード・ズイック
1876年、アメリカ合衆国陸軍のネイサン・オルグレン大尉はウィンチェスター社との契約で73年型新式ライフルの宣伝役を務めていたが、飲酒癖が嫌われて解雇される。その後、戦友の誘いを受けてかつての上官バグリー大佐との会食に応じてみると、大尉はその席上で大村と名乗る日本人に紹介され、軍隊の編成のための教官として招聘されることになる。日本は北太平洋をはさんでアメリカの反対側にあり、天皇によって統治されているが、勝元という反逆者が徒党を組んで治安を乱しているのだという。大尉はバグリー大佐とともに日本に渡り、彼方に富士山を見て横浜から上陸すると宮城へ招かれて天皇に拝謁する。天皇は賢明そうな青年に見えるが、宰相大村のいいなりになっているように見えなくもない。任に就いたオルグレン大尉はさっそく軍隊の訓練にとりかかるが、そこへ大村が現われ、すぐさま出動するように命令を下す。勝元の一党が鉄道を襲撃したからであった。訓練不足を理由にオルグレン大尉は反対したが、バグリー大佐は出動を承諾する。そして新編成の軍隊が鉄道沿線にしたがって進軍していくと、シダが繁る怪しい森の奥深くから鎧姿のサムライが出現するのであった。ほら貝が重々しく吹き鳴らされ、兵士たちは脅えるが、オルグレン大尉は部隊を展開させて踏みとどまる。すると霧を破って戦国武者の一団が騎馬で現われ、兵士の一人が恐怖のあまりに発砲するとそこから先は乱戦になり、軍隊は壊滅的な打撃を受けて敗走し、オルグレン大尉は捕虜となるのであった。
捕虜となった大尉は吉野の里にある勝元の本拠地へ連れ去られ、そこに秋から春まで留め置かれたことで驚くべき変貌を遂げることになる。まず、アル中が直った。実は大尉は第七騎兵隊の関係者で、カスター将軍の自滅的行為とその後の先住民族への報復措置で心に傷を負っていたのであった。心を癒されて無の境地を学び、武士道の心に一歩また一歩と近づいていく。真相も明らかになった。実は勝元こそが天皇の真の忠臣であり、大村は私腹を肥やす逆賊だったのである。その大村は勝元暗殺のために夜陰に乗じて忍者の群れを村へ送り、オルグレン大尉は勝元を救う。二人はもはや敵同士ではなくなっていた。やがて春が訪れ、勝元は天皇の命によって東京へおもむき、元老院へと出席する。だがその直前に大村の奸計によって忌まわしい廃刀令が布告されていた。天皇の面前で刀を奪おうとする大村に勝元は抗い、遂に捕らわれの身となる。しかしオルグレン大尉の協力によって東京からの脱出を果たし、吉野の里で軍を起こす。集結したのは戦国の武者が五百名、対するは野砲とガトリング砲で武装した近代日本陸軍二個連隊。桜が散る中、遂に決戦の火蓋が切られたのであった。
『グローリー』以来、ということは、つまりほぼ最初から、ということになるのだと思うけど、エドワード・ズイックという監督は歴史的なリソースを個人的な空間に再構築した上で、それをきわめてエキゾチックな映像に仕立て上げるという習性があって、それがまたいつも奇妙に魅力的なので、今回の場合も明治の日本が明治の日本に見えるかというのは問題ではなくなってしまう。言い方を変えれば、ここにあるのは監督が消化した結果としてのサムライ日本であって、だから登場する武者姿も江戸時代を経験した武士階級とはまったく無縁な戦国のサムライばかりなのである。そちらの方がかっこいいと思ったのであろう。そして事実、素晴らしくかっこいいのである。殺陣は早いし重量感があって合理的だし気がつくとトム・クルーズは二刀流だし、最後の一大合戦シーンだけでもこの映画は見る価値がある(騎兵の突撃が実に美しい)。
Tetsuya Sato