The Lost Weekend
1945年 アメリカ 101分
監督:ビリー・ワイルダー
酒浸りになって書けなくなった(あるいは書けなくなって酒浸りになった)作家が酒に浸って週末を過ごす話である(どうでもいいことだが、わたし自身の経験からすると、飲んで書いた文章はまず使えない)。当人はアル中だと自嘲的に告白するが、一晩にライウィスキー一本程度という軽いアル中で、ただ、飲み始めると時間を忘れて飲み続ける。だから約束は忘れるし、どうかすると約束をすっぽかすために酒を飲むし、三十三歳で一文無しで、支出はすべて兄に頼り、その兄から禁酒を言い渡されている関係で、飲み続けるために少々汚い真似をしなければならなくなっている。ということで出入りのお手伝いの給金をくすね、盗みを働こうとして叩き出され、とうとうタイプライターを質入れしなくてはならなくなると、ヨム・キプールの祭りのせいで非ユダヤの質屋までが店を閉めていて、絶望のあまり町をさまよい、顔見知りに金を無心し、つまらないことで失神して依存症患者の治療施設に叩き込まれる。で、最後は幻覚を見るようになるのである。
レイ・ミランドはこのアル中男を熱演し、じわじわと状況が進行する有様はほとんどホラー映画の乗りであった。酒に浸って居直るのではなく、ひたすら羞恥心にまみれているので、アル中男はただ恥じ入って事実上の怪物と化し、ホラー映画や怪奇系SF映画の場面でよくあるように、心配した恋人がやってくるとドアを閉ざし、それでも押し入ってくると「見るな」と叫ぶのである。こういう役なので、レイ・ミランドには似合っていた、ということになるのかもしれない。
ビリー・ワイルダーの演出も実にたくみに恐怖をあおり、そこへミクロス・ローザがミュージカル・ソウかなにかを使って本当にホラー映画のような音楽をつけている。乗り、というよりも、まるっきりのホラー映画なのかもしれない。実際、開巻間もなくレイ・ミランドが一杯のショットグラスを求めてバーを訪れ、バーテンが背を向けたところでグラスに口を近づけていく様子などは鏡が効果的に使われているせいもあってドラキュラ映画を見るようだったし、治療施設の夜の場面も、あっちで幻覚を見た男が狼男のように「うぎゃー」と叫べば、こっちでも誰かが「うぉう」と叫び、それが薄暗がりのなかで動く不気味な影として描き出され、そこらのホラー映画などは裸足で逃げ出すような迫力があった。結果としては、要求される文体にまったく差異がなかった、ということになるのであろう。
Tetsuya Sato