ゼロ・ダーク・サーティ Zero Dark Thirty 2012年 アメリカ 158分 監督:キャスリン・ビグロー 高卒でCIAにリクルートされたという女性分析官がパキスタンの支局に派遣されてオサマ・ビンラディンの追跡にあたり、捕虜を尋問し、推理をめぐらし、腰のすわらない上司を恫喝し、テロにねらわれ、テロによって同僚を失い、ようやく糸口をつかんでペシャワルに監視チームを送り出し、ついにビンラディンの隠れ家を探し当てるとそれからはワシントンで政治の重たい腰に苛立ち、それでもようやくシールズの部隊とともにアフガニスタンを訪れてステルスヘリコプターの発進を見送り、作戦終了後、部隊が持ち帰った死体を検分する。 無駄口をいっさい叩かずに強烈な158分を作り出したキャスリン・ビグローの手腕は確実に『ハート・ロッカー』を超えていて、自信に満ちた文体が自在に流れるありさまに、こちらはただもう口を開けて見入っていた。映像はリアリティと厚みを備え、物語性はほぼ排除され、視点は対象に距離を取って安易な感情移入を阻み、その結果としてほとんど一切が非人間的で鈍感な物理現象にからめ取られ、パキスタンの夜空を舞うステルスヘリコプターの雄姿はもっぱら不安のみをあおり、続くシールズの作戦は暴力的で、どうかすると滑稽で、人間の品位をおとしめるために作られた気味の悪い機械のように見えなくもない。驚くほどモダンで、ものすごい映画が誕生した。
ハンガー・ゲーム The Hunger Games 2012年 アメリカ 143分 監督:ゲイリー・ロス パネムという国があって、そこはどうやら13の地区にわかれていて、そのうちの12の地区がかつて反乱を起こして鎮圧されて、国家はその記憶を国民が失わないように、という配慮から、ということらしいのだけど、年に一度、反乱を起こした12の地区から12歳から18歳の男女一人ずつを選び出して最後の一人になるまで殺し合いをさせる行事をおこなっていて、第12地区に暮らすカットニス・エバディーンは自分の妹の身代わりにこの行事に志願する。 最初の一時間をだらだらと状況説明に使い、一時間を過ぎたあたりからようやくゲームが始まって、それで少しはましになるのかと思ったら、結局最後までだらだらしておしまいで、この二時間半はかなり長い。プロットはお粗末で演出はまるでやる気がない。しかも肝心のゲームがいんちきばかりで面白くない(途中でルールを変えるのは問題外だし、都合よく遺伝子改造されたスズメバチの巣があったりとか、致死性の毒を持った木の実があるとか、小学生が書いた小説じゃあるまいし、だいたい、いきなり飛び出してくるCGの怪物はいったいなんですか)。反乱地域の取ってつけたような貧困描写は背景を欠いているので説得力がまるでないし、集められた少年少女もヒロインがやたらとクローズアップされる一方で影らしい影も与えられていない。周辺のおとなも魅力がなくて、ウディ・ハレルソンも役柄がよくわからないし、ドナルド・サザーランドはまったくのアルバイトに徹している。未来都市の描写もいただけない、というか、美術は全体に凄惨なことになっている。
ダイ・ハード/ラスト・デイ A Good Day to Die Hard 2012年 アメリカ 98分 監督:ジョン・ムーア ニューヨーク市警の皆殺し専門刑事ジョン・マクレーンはかれこれ数年も音信不通の息子がモスクワで逮捕されて公判を待っていることを知ってモスクワの裁判所まで出かけていくが、そこで爆発が起こって裁判所の壁が吹き飛ばされ、武装した男たちが裁判所へ突入し、かわって息子が公判の被告ユーリ・コマロフを連れて路上に現われ、武装した男たちが逃走する息子とユーリ・コマロフを追いかけるのでジョン・マクレーンも追跡に加わって道を車の墓場に変え、ジョン・マクレーンがようやく息子と言葉を交わすと、そのときにはすでになにやらの面倒の渦中にある。 で、そのなにやらの面倒がいまひとつすっきりとしていないし、面倒を引き起こすロシア側のキャラクターの造形もあわせていまひとつすっきりとしない。 ブルース・ウィリスはジョン・マクレーンという看板を背負っているだけで、息子役のジェイ・コートニーを含め、登場人物は全体に魅力に乏しく、90分ほどの短い尺にもかかわらずだれ場があって、ダイアログに無駄が目立つ。というわけでスクリーンを眺めながら、モスクワを訪れたジョン・マクレーンが息子を発見してみると息子はすっかり記憶を失っていて、いったいなにがと思っていると実は息子はトレッド・ストーンの犠牲者で、そこへクリス・クーパーが率いる得体の知れない組織が襲いかかって、などということをこちらで勝手に考え始めることになるのである。 監督は『マックス・ペイン』のジョン・ムーア。ある意味一貫している仕事ぶりで、ジョン・マクレーンが立った場所はあらかたが廃墟と化すというコンセプトは徹底しているし、冒頭のカーチェイスの二次被害ぶりも徹底しているだけあってある種の見物に仕上がっているが、これほどの騒ぎを起こす背景を欠いているので結果としてはバランスが悪い。劇中に登場して機関砲を撃ちまくるMi-24、Mi-8の雄姿は一見に値する。
お熱いのがお好き Some Like It Hot 1959年 アメリカ 121分 監督:ビリー・ワイルダー 禁酒法時代のシカゴ。二人の楽士が聖バレンタインデーの虐殺を目撃する。ギャングに消されることを恐れた二人はすでにもぐりの酒場での仕事を失い、なけなしの金もドッグレースに費やしてなくしていたので、女装して女ばかりの楽団へもぐり込んでそのままフロリダへ逃走する。フロリダに到着した二人のうちの一方は楽団の歌姫を攻略するために夜はシェル石油の御曹司に変身し、もう一方はどこかの金持ちの爺さんに粉をかけられて貞操の危機にさらされるが、そこへギャングの一行が会合のためにやってくる。 冒頭、いきなり始めるカーチェイスと銃撃戦から警察による酒場の手入れ、さらに聖バレンタインデーの虐殺とギャング映画的な見せ場を連ね、楽士二人が女装すると、今度は一転してほとんどパロディのような恋愛映画にもぐり込んでいく。改めて見ると、やや古びた印象があるものの、それぞれの場面は抜かりなく演出されていて、結果としては見どころが多い。楽団の歌姫シュガーに扮したマリリン・モンローは美しいものの、どこか荒んだ気配があって、私生活での結果がわかっているだけに見ているこちらを(いまだに)心配させてしまう。ワイルダー映画のモンローはある意味、きわめてモンロー的なモンローなので、そうした仮面のぶれがかえってよく見えるのかもしれない。
昼下がりの情事 Love in The Afternoon 1957年 アメリカ 134分 監督:ビリー・ワイルダー アリアーヌは私立探偵クロード・シャヴァスを父に持ち、コンセルヴァトワールでチェロを習う学生で、1822年からこちら、一度も問題を起こしたことのない家の出の若者とつきあっていたが、名うてのプレイボーイでアメリカ人の大富豪で、どうかすると父親ほども年が離れているフランク・フラナガンの姿を父親が盗撮してきた不倫現場の証拠写真に発見して好ましく思い、そのフラナガンを不倫相手の夫が射殺しようとたくらんでいると知って、急ぎホテルに駆けつけて不倫の現場に潜入し、名前も身分も明かさぬままに危険を伝え、そしてそこでフラナガンの現物と出会った結果、アリアーヌはいよいよ恋に落ちて、再びフラナガンの前に現われるとあたかも恋の玄人であるかのようにふるまい始める。 オードリー・ヘップバーンがとにかくチャーミングで、そのヘップバーンが父親の事件簿(不倫ばっかり)をネタにして思いつくままに架空の恋の経験を語り、恋人のリストを聞いて苛々し始めるゲイリー・クーパーがまた実にいい感じなのである。そしてモーリス・シュヴァリエはおとなを演じて、味わい深い。リッツの廊下を右往左往する給仕の群れとジプシー楽団、嫉妬にもだえるゲイリー・クーパーとジプシー楽団とのあいだを酒を載せて行ったり来たりするワゴン(ここの音楽の仕込み方が絶妙なのである)、オペラ座で連れの女を見失った瞬間にまわりの女を物欲しそうに眺め始めるゲイリー・クーパーといった楽しい描写が山ほどもあり、クライマックスの駅の場面では練り込まれたダイアログの勝利と力強い演出の勝利を目の当たりにさせられて、ちょっとないような感動を味わえる。
翼よ!あれが巴里の灯だ The Spirit of St. Louis 1957年 アメリカ 136分 監督:ビリー・ワイルダー チャールズ・リンドバーグは大西洋無着陸横断飛行に旅立つ前夜からパリ到着まで。その合間にリンドバーグの郵便飛行機時代、どさ回り時代、空中サーカス時代、陸軍航空隊時代の回想が織り込まれ、さまざまなエピソードが紹介されていく。 ジェームズ・スチュワートは実用主義的な冒険家のリンドバーグを好演し、それぞれの回想シーンはよく作り込まれ、大西洋無着陸横断飛行の場面では実際にリンドバーグが経験したであろう孤独、睡魔、不安、恐怖などが巧みに練り込まれている。よくできた映画であると同時に優れた航空映画でもあり、"Spirit of St. Louis"については細部にわたる描写があって、離陸から着陸までがすばらしく魅力的に描かれているので、見終わった頃にはこの不格好な飛行機がなぜか好きになっていた。いろいろとすごい場面があるけれど、燃料切れの郵便飛行機からパラシュートで脱出すると、そのパラシュートに向かって無人となった飛行機が旋回しながら追ってくる場面はなかなか恐ろしかった。
ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 Life of Pi 2012年 アメリカ/台湾 127分 監督:アン・リー ボンディシェリで動物園を営む一家に生まれたパイ・パテルは母親からヒンドゥー教徒としての教育を受け、やがてキリスト教にも関心を抱き、さらにイスラム教にも関心を抱き、内的世界で異なる宗教の習合を進めながら青年期に達したころ、動物園を経営する父親が廃業してカナダに移住することを決め、察するに動物園の動物をアメリカまで運んで売りさばくためであろう、パイ・パテルは家族、動物園の動物一式ととも貨物船に乗り込み、そこで粗暴なコック、肉汁をライスにかける仏教徒の船員と出会い、マリアナ海溝周辺海域に達したところで激しい嵐に遭遇し、その嵐のなかで甲板に出たパイ・パテルは危険の予兆をつかんで家族のいる船室に戻ろうとするが、いまどきの船としては珍しいことに下部デッキはすでにたっぷりと浸水していて、船倉にいたはずの動物たちがなにをどうやったのか逃げ出しにかかり、家族から切り離されたパイ・パテルは甲板に戻っていくつかの偶然によって救命ボートの上に投げ出され、その救命ボートが船から放たれて波を滑り、波のあいだに船を見ると救いようもなく沈没していく最中で、嵐がどうにか静まってみると、ボートの上にはパイ・パテルのほかにシマウマ、オランウータン、ハイエナ、トラがいて、ハイエナがシマウマに襲いかかり、オランウータンがハイエナに反撃を加え、ハイエナがオランウータンを倒すとそれまで黙っていたベンガルトラがハイエナを倒し、残されたパイ・パテルはベンガルトラと一緒に太平洋を漂流することになる。 トラのリチャード・パーカー氏は非常にいい演技をしていたと思う。開巻に映し出される動物園の微妙にぺらぺらとした様子にいささかという以上の危惧を抱き、漂流が始まってからはラッセンの悪夢としか思えないような、ひどく薄っぺらな太平洋の波間を破って現われる微妙に薄っぺらなクジラを見て同様の危惧を抱いたが、ここに現われる漂流の様子は最終的に神秘主義へと傾斜していく語り手の内的宇宙で純化され、聖化された体験の再話であり、わざわざ3Dであるにもかかわらず奥行きをまったくともなわないのは、自己完結した神秘体験が厚みを意味するところの異端を阻むというメカニズムから成立していることが理解される。ここで聖性がまとう他者性の表現はなかなかに興味深い。いかにもアン・リー的な、ということになるのかもしれないが、表層のデザインに特化したスタイルが、おそらくは意図した結果であろうと推察しているが、素材が求める構造にきわめてよく適合する結果となり、映画をひとかど以上の作品に仕上げている。『トラと漂流した227日』という副題は観客に誤解を与えるだけであろう。
わが命つきるとも A Man for All Seasons 1966年 イギリス 120分 監督:フレッド・ジンネマン ロバート・ボルトの舞台に基づく。ヘンリー八世の離婚問題で、カトリック教徒としての立場を固持してあくまでも反対し、反逆罪に問われて処刑されたトマス・モアの最後の季節を描いている。役者をよくそろえていて、ポース・スコフィールドのトマス・モアももちろんだけど、ロバート・ショーのヘンリー八世がいかにもという雰囲気を出していて実によろしい。ちなみに権力の臭いを嗅ぎつけてトマス・モアの周辺をうろちょろするのが若いジョン・ハート、ヘンリー八世の横にいてほとんど人形同然のアン・ブリンがヴァネッサ・レッドグレイブである。白眉はクライマックスの法廷場面になるが、これはもうなんとも言ってみようがない。演劇的に完成されたダイアログの最良の見本なのである。