エクソダス:神と王
Exodus: Gods and Kings
2014年 イギリス/アメリカ/スペイン 150分
監督:リドリー・スコット
紀元前13世紀、南下してきたヒッタイトに対処するためにエジプトのセティ王は二人の王子ラムセスとモーゼを送り、軍勢を率いてヒッタイトと対峙した二人の王子はヒッタイトというよりはフンのように見えるヒッタイトを下して凱旋を果たし、間もなくセティ王がみまかってラムセスが王位を継ぐとモーゼの秘密が暴かれて、実はヘブライ人であったということで追放されたモーゼはミディアン人のあいだに入って妻子をもうけ、やがて啓示を受けてエジプトに戻るとヘブライ人の指導者となり、ヘブライ人に軍事訓練をほどこしてテロ活動を開始するとラムセスもテロで対抗し、その不毛な応酬のまだるっこしさに業を煮やした神がエジプトに数々の災厄を与え、災厄の数々をエジプト人は合理的に説明することでなんとかこなそうとするものの、初子の死を迎えるに至って根負けしたラムセスがヘブライ人の解放を決め、40万のヘブライ人を率いてエジプトを脱出したモーゼを考えを変えたラムセスが追いかけ、紅海を越えたモーゼは神からお茶をいただきながら十戒を刻む(なにしろ掟はすでに天にないので)。
エンディングロールに現われた献辞を見るともしかしたらきわめて個人的な映画なのではないか、という気もしたが、大枠において定式を守り、セシル・B・デミルを参照しながらもきわめてリドリー・スコット的な近代化が加わった『十戒』 は意外なまでに、と言うと失礼かもしれないが、充足した仕上がりになっている。序盤の古代エジプトにはあり得ないような会議机、戦果報告ではヒエログリフ版の事実上のパワーポイントが登場し、エジプトは信仰から切り離されて理性に接続され、テロを介して現代を埋め込みながら、復讐するイスラエルの神はどこまでもまがまがしく、神の恩寵は紅海で物理的リアリズムと重なり合う。クリスチャン・ベイルのモーゼというキャスティングにはいささかという以上の疑問を抱いていたが、蓋を開けてみるとこれがチャールトン・ヘストンそっくり、ということで納得した。アーロン・ポールのヨシュアもいい、ということで堪能した。
追記:
実は今回初めて気がついた、ということになるのだけど、リドリー・スコットが描く古代世界はアルマ・タデマによく似ている。モチーフが純化されていて、清潔で硬質。
Tetsuya Sato
満月が近づくと男はからだが騒ぐのを感じた。凶暴な原始の叫びが心の奥から湧き起こって、男のからだを異様な力で満たしていった。満月が来た。男は服を脱ぎ捨てて森へ走った。木に爪を立て、下生えに鼻を突っ込み、泥のなかで転げ回った。岩によじ登って月に向かって叫びを放ち、狂おしい思いを抱えて森を駆け、やがてくたびれ果てて眠りに落ちて朝の光のなかで目を覚ました。泥にまみれた裸の姿で家に戻るところを目撃されて、悪い噂を立てられた。
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博士は新鮮な死体が出るのを待っていた。若者の死体が望ましかった。病気ではなくて、怪我で死んだ若者の死体が望ましかった。死刑囚の死体でもよかったが、その国の開明的な政府は最近死刑を廃止していた。死刑の廃止と同時に始まった全国安全キャンペーンがなぜか成果を上げていて、墓場には老衰で死んだ者や病気で死んだ者ばかりが集まってきた。博士は業を煮やして、死体を自分で作ることにした。博士は自分の行為に興奮したが、なにしろ不慣れなので、すぐに露見して追っ手がかかった。博士はすべてを捨てて山に逃れ、革新的な実験を阻む愚かな人類に復讐することを誓ったが、復讐を果たす間もなく警官隊に包囲されて射殺された。博士の死体は医学の発展のために大学の研究室に送られた。
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古代の墳墓で発見されたミイラが外国の貨物船に積み込まれた。これはあってはならないことだった。秘儀を守る司祭は貨物船に忍び込んで、古代の呪術を使って数人の甲板員を味方にした。刃向う者を殺して船倉に下りると棺を納めた箱を開き、棺を立てて復活の呪文を唱え始めた。船はすでに沖へ出て、外国の港を目指して進んでいた。大音響を立てて棺の蓋が倒れ、棺のなかのミイラから赤い霧のようなものが噴き出した。司祭も甲板員も霧を吸ってすさまじい苦痛に襲われた。皮膚の下で肉が波打ち、腕や脚の形が変わり、顔の下から新たな顔が、爪の下から新たな鋭い爪が現われ、人間の姿をすっかり捨てると船倉から出て船員たちを襲い始めた。船長は部下にピストルを与えた。しかし鉛の弾は効果がない。船員の死体を越えて怪物たちがブリッジに近づいていくる。船長は生き残った部下に退船を命じる。無線室では通信士が救難信号を打電していた。
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パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間
Parkland
2013年 アメリカ 93分
監督:ピーター・ランデズマン
1963年11月、ダラスでケネディが暗殺される直前からその後の数日間を背景に、パレードを撮影していてたまたま事件をカメラに収めたエイブラハム・ザプルーダー、ケネディが運び込まれた病院の医師や看護婦、目の前で大統領を殺されて動揺を隠せないシークレット・サービス、失態の気配に気がついてうろたえるFBI、リー・ハーヴェイ・オズワルドの家族などの動静を慎重に描き込んでいく 。
エイブラハム・ザプルーダーがポール・ジアマッティ、シークレット・サービスのダラス支局長がビリー・ボブ・ソーントン、パークランド記念病院の医師がザック・エフロン、病院で臨終の祈りをしたヒューバー神父がジャッキー・アール・ヘイリー。淡々としたタッチではあるが映像は十分な緊張感を備えているし、手持ちカメラを多用した構成も巧みで、言葉数を増やすよりも表情や動作の細部を捉えることで確実に効果を上げている。見ごたえがあった。
Tetsuya Sato
グランド・ブダペスト・ホテル
The Grand Budapest Hotel
2013年 イギリス/ドイツ/アメリカ 100分
監督:ウェス・アンダーソン
1980年代、東欧某所で老齢の作家(尊敬されているらしい)が作品は作家の創意ではなくひとから聞いた話で成り立っているというような告白を始め、その証拠に、ということで時間を20年ほどさかのぼってグランド・ブダペスト・ホテルを訪問した折の体験を語り、その話の中でまだ若い作家はホテルのオーナーである高齢のミスター・ムスタファ・ゼロと食事をともにし、ミスター・ムスタファ・ゼロは若い作家を相手に時間を30年ほどさかのぼって体験を語り、その話の中では全盛期のグランド・ブダペスト・ホテルで金持ちの老婦人を相手に浮名を流した伝説のコンシェルジュが大富豪マダムDの死をきっかけになにやら陰謀に巻き込まれる。
伝説のコンシェルジュがレイフ・ファインズ、若い作家がジュード・ロウ。どこかオルドリッチ・リプスキーやカレル・ゼーマンを思い起こさせる書き割りやミニチュアが乱立する架空の東欧を背景に大量のスターを登場させて、それぞれにいかがわしい役をもらった豪華キャストが嬉しそうになり切っている。ウェス・アンダーソンというとぬるめの演出がどうしても好きになれない監督だし、ただのスター隠し芸大会だと言えなくもないものの、脚本兼任で仕上げたこの作品はテンポが速く、一瞬も時間を無駄にしていない。そしてあふれるほどのばかげた東欧情緒が文句なしに楽しいとすれば、これはほめないわけにはいかないだろう。
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神聖ローマ、運命の日 オスマン帝国の進撃
11 settembre 1683
2012年 イタリア/ポーランド 120分
監督:レンツォ・マルチネリ
神の啓示を受けた修道士マルコがウィーンを訪れてレオポルト一世にオスマントルコの脅威を説くが、レオポルト一世が話を真に受けないで状況を放置しているうちにカラ・ムスタファが率いる30万の軍勢が現われてウィーンに向けて攻撃を開始、レオポルト一世は手勢の15000に加えて選帝侯からの増援若干でウィーンを守るが多勢に無勢で苦戦していると、そこへポーランド王ヤン・ソヴェスキが援軍を率いて到着、オスマントルコの軍勢はポーランド軍に側面を突かれて壊滅する。
1683年のウィーン攻囲という非常に珍しい材料を扱っているが、相当な低予算で、ほぼ全編にわたって安っぽい。特にCGの安さが目立ち、これはほぼ80年代の水準であろう。その水準のCGで作ったものをあれこれ合成して、砲撃の爆炎や火口の火やあれやこれやの煙をかぶせて画面によくわからない汚しを入れて、兵士が倒れるといちいちスローモーションという手法はいかがなものか。安いだけではなくて、センスも悪い。脚本がそもそも寝ぼけていたのか、一貫した反ムスリムぶりを除けばプロットはとんちんかんで、修道士マルコ役のF・マーレイ・エイブラハムも重々しい表情でなにやらとんちんかんなことをやっている。面白いのはオスマントルコに合流するクリム汗の軍勢とか、そのクリム汗が突撃してくるところに撒菱を撒くところとか、ポーランドの有翼重騎兵の突撃とか、そのくらい。
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ANNIE/アニー
Annie
2014年 アメリカ 118分
監督:ウィル・グラック
意地悪な里親ハニガンの家で暮らしているアニーは車に引かれかけたところを携帯電話会社のCEOウィル・スタックスに助けられ、ニューヨークの市長選に立候補しているウィル・スタックスは選挙参謀ガイの提案を受け入れてアニーをハニガンから引き取って選挙活動に利用するが、一緒に暮らしているうちに情が移る。
いわゆる『アニー』の現代版翻案。疑問を抱かずに見ていればふつうに楽しいし、主演のクヮヴェンジャネ・ウォレスは愛らしい。しかもローズ・バーンが意外なほど歌って踊っている。とはいえ、翻案の過程で1930年代の背景とそこで見えていたものが崩れ去り、その結果としてなにやら苦しいところが発生して、おそらくはそのせいでジェイミー・フォックスやキャメロン・ディアスは健闘しているにもかかわらず、混乱した役を振られている。決して悪くはないものの、どこか最後まで収まりが悪い。
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古代の墳墓で発見されたミイラが外国の貨物船に積み込まれた。これはあってはならないことだった。秘儀を守る司祭は貨物船に忍び込んで、古代の呪術を使って数人の甲板員を味方にした。刃向う者を殺して船倉に下りると棺を納めた箱を開き、棺を立てて復活の呪文を唱え始めた。船はすでに沖へ出て、外国の港を目指して進んでいた。大音響を立てて棺の蓋が倒れ、復活したミイラが現われた。司祭は喜んでミイラの前に平伏した。頭上からうなるような音が聞こえてくる。様子がおかしい。禁を犯して顔を上げて、ミイラが激怒していることに気がついた。自分の王国はどこへいった。自分の宮殿はどこへいった。宮殿の女たちは、奴隷は、忠実な兵士たちはどこへいった。再び平伏した司祭の頭をミイラの足が踏み潰した。ミイラは船倉から出て、船員たちを襲い始めた。船長は部下にピストルを与えた。しかし鉛の弾は効果がない。船員の死体を越えてミイラがブリッジに近づいていくる。船長は生き残った部下に退船を命じる。無線室では通信士が救難信号を打電していた。
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熱帯の大河で体長三メートルを超える魚が釣り上げられた。さばいてみると内臓に奇妙なこぶが見つかった。内臓ごと取り出してこぶを開くと人間の子供が現われた。痩せこけていて、髪はなく、色素を失っていた。子供は検査のために病院へ運ばれ、警察が子供の身元を調べ始めた。十五年前に三歳の子供が河で行方不明になっていた。しかし見つかった子供は五歳以上には見えなかった。それでも警察は行方不明になった子供の両親を呼んだ。そして親は自分の子供をはっきりと見分けた。病院は見つかった子供の組織年齢を調査して、少なくとも十五歳に達していると結論を下した。特殊な環境と栄養失調のせいで、極端な発育不全に陥っていた。すべての検査が終わり、さしあたりの治療が終わるまでに二年かかった。子供は自分の家に帰って、いまもそこで暮らしている。
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自由を得た魂が空へ昇っていく。ひとつ、ふたつ、またひとつ。高く、さらに高く昇っていく。星の光を浴びて雲をかわし、雲と雲のあいだから地上を見下ろし、そこにあった重さを思い出す。前は重かったが、いまは軽い。朝がくる。魂の群れが朝焼けに染まる空を駆け抜けていく。
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男は夜のあいだに逮捕された。眠っていたところを叩き起こされ、黒い車に押し込まれて監獄へ運ばれ、電球が煌々と光る狭い監房に放り込まれた。説明はない。取り調べも始まらない。昼も夜も電球で照らされた監房で、ただ時間だけが過ぎていく。ようやく呼び出しを受けたときには、男はすでにくたびれていた。だが取調官はなにも説明しない。取調官のほうが説明を求めた。わからないと正直に答えた。男は監房に戻された。また電球の下で時間が緩慢に過ぎていく。しばらくしてからまた呼び出される。取調官は説明を求めている。わからないと答えて監房に戻る。それが何度も繰り返される。男は電球の光を見上げて、自分が犯した罪を探し始めた。
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資源調査会社の探検隊が密林の奥で無数の白骨を発見した。小型の動物から大型の動物まで、森で暮らすありとあらゆる動物の骨があたり一面に転がっていた。骨を調べてみると暴力にあった痕跡がない。しかし自然に死んだのだとすれば死体の密集ぶりが不自然だった。探検隊の生物学者は有毒ガスの可能性を疑ったが、改めて骨を調べてみると死亡時期に長期にわたるばらつきがあった。調べているあいだに、音もなく雨が降り始めた。隊員の一人が雨粒に打たれて声を上げた。雨ではなかった。濡れた服が煙を上げた。皮膚が溶けて血が流れた。血を追いかけて肉と脂肪が流れ落ちて、森の木の根に吸い取られた。
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ドウエル教授の首
Zaveshchaniye professora Douelya
1984年 ソ連 87分
監督:レオニード・メナケル
父親の死を知って父親の研究所を訪れたアルトゥール・ドウエルは研究所の管理人の証言と事故現場の様子から父親が他殺された可能性を疑って友人の警官とともに調べ始め、一方、首になったドウエル教授の周辺ではコルン博士が教授が解き明かした生命の公式を探し求める。
ベリャーエフ『ドウエル教授の首』のレンフィルムによる映画化。コルン博士の陰謀のようなものを暴く、という範囲ではプロットはほぼ原作のままだが、キューバででもロケをしたのか、南洋の嵐から始まって、ほぼ全編で太陽がきらめき、登場人物はおおむね軽装で、男女が水着姿で浜辺でたわむれ、SONY、PANASONIC製品が画面に現われ、道をベンツ、ボルボなどが走っている。そういう背景描写に加えてクラブでの銃撃戦のシーンなどを眺めていると、なにか西側的でエキゾチックなものを作ろうとしたのではないか、手持ちカメラを多用したやや落ち着きのない映像からすると、これは遅れてやってきた70年代の映画なのか、という気もしてくるが、語り口はいつものままなので仕上がりは重たい。
Tetsuya Sato
小さな帆船が灰色の帆に風をはらんで、南洋の青い波を乗り越えた。外洋に出て七日目で、九人の乗組員と四人の乗客を乗せ、植民地に届ける郵便物を運んでいた。午後の早い時間に甲板員の一人がそれに気がついた。報告を受けた船長は望遠鏡を目にあてた。甲板員が指差す先にそれがいた。波のあいだから背びれを出して、大きな海蛇が泳いでいた。長さは船の三倍はあった。波を分けて顔を出して、船に向かって近づいてくる。船長は最悪の場合に備えて旋回砲の準備をさせることにした。男たちが甲板を走り、乗客たちはせわしい足音を聞いて何かが始まったことに気がついた。一人が船長に理由をたずね、船長は近づいてくる海蛇を指差した。乗客たちは海蛇の観察を希望したが、船長は船室に下りるように命令した。舵輪の横の旋回砲に火薬と弾が装填された。客室係の少年が砲架の下に砂をまいた。航海士はマスケット銃をかまえている。海蛇が少し向きを変えた。船と並行して進み始めた。二時間ほど並んで走ってから、海蛇は海にもぐって姿を消した。船長はその日の航海日誌に海蛇を目撃したと記入した。しかししばらく考えてから、その部分を二重線で取り消した。
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町の中心にそびえる塔が夜の闇に向かって白い光を浴びせていた。どこまでも伸びる光の腕が町にはびこる闇を払い、物陰にひそむ怪物たちを照らし出した。怪物たちは光を嫌った。光があたると煙を吐いて逃げ惑った。怒り狂って光を罵り、影を求めて壁を伝った。町の人々は耳を澄ませた。怪物が走る音がする。出口を求めて壁を引っ掻く音がする。大人たちはろうそくを立てて戸口を見張り、子供たちは毛布をかぶって耳を覆った。朝までまだ、だいぶ時間がある。
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前途有望な科学者が自分の研究所で起こった爆発事故に巻き込まれて顔と手足を失った。ライバルを自称する科学者は知らせを聞いて底意地の悪い笑みを浮かべた。事故は仕組んだものだった。ライバルを自称する科学者は悪事を働く男女を病院に送って負傷した科学者をさらわせた。そしてひそかに自分の研究所に運び入れると強化外骨格を備えた次世代型の宇宙服に埋め込んだ。負傷した科学者は苦痛とともに意識を取り戻して自分が改造されたことに気がついた。起き上がって研究所から抜け出すと家に帰って美しい妻に別れを告げ、面白半分に自分を改造した男に復讐しようと来たばかりの道を戻り始めた。ライバルを自称する科学者は悪事を働く男女を送って待ち構えた。悪事を働く男女が改造人間の接近に気づいて発砲を始める。しかし次世代型の宇宙服はあらゆる攻撃に耐える力を備えていた。そして強力無比の攻撃力も備えていた。悪事を働く男女は改造人間の敵ではなかった。悪事を働く男女が死体になって転がると、ライバルを自称する科学者は自分がしでかしたことに気がついた。なんと、敵に武器を与えていた。命惜しさにひざまずいたが、改造人間は科学者を捕らえて自分自身を吹っ飛ばした。
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悪魔の食欲には限りがない。地上に這い出た悪魔は羊の群れを残らず平らげ、逃げようとした牧羊犬と羊飼いを爪の先に引っかけて丸呑みにした。近くで草を食んでいた牛の群れも平らげた。囲いのなかにいた豚の群れも平らげた。途中で出会った人間たちは、大人も子供も、男も女も、片っ端から丸呑みにした。ただ、ひざまずいて恭順を誓った豚飼いだけは見逃した。悪魔は絶えず口を動かしながら町へ進んだ。町に着くと路上にいた人間たちを一抱えにして捕まえて、一人ずつつまんで呑んでいった。窓に手を突っ込んで、見つけた人間の手足を引きちぎった。屋根を剥がして捕まえて、足のほうからかじり始めた。一つの町が無人になると、次の町へ進んでいった。そしていくつかの町を平らげたあと、悪魔は荒れ果てた畑に膝を突いて吐き始めた。すっかり吐いて、出てきた場所に帰っていった。悪魔の食欲には限りがないが、それはいくらか病的なものだと言われている。
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薬のせいで朦朧としている娘が裸体の上にローブをまとって前に進んだ。助祭は娘を石でできた冷たい祭壇の上に横たえて、ローブの止め紐を解いて前をはだけた。奇怪な扮装の司祭が現われて助祭からナイフを受け取った。信徒席では近郷近在から集まった信徒たちが固唾を吞んで見守っていた。司祭が奇怪な言葉で祈りを捧げ、助祭の指揮で信徒も同じ言葉で祈りを捧げた。司祭がナイフを振り上げた。それと同時に男たちが足音も高く踏み込んできた。ショットガンやアサルトライフルを手にしていた。司祭はショットガンで吹き飛ばされ、助祭はライフルの弾で蜂の巣にされ、信徒席にはいくつもの手榴弾が投げ込まれた。男たちは信徒席を歩き回って生き残った者にとどめを刺した。祭壇の上の娘がすばやく動いて、司祭が落としたナイフを拾って男の一人に襲いかかった。襲われた男は腕に小さな傷を負った。娘は頭に9ミリ弾を撃ち込まれた。男たちはひざまずいて祈りを捧げ、立ち上がって互いの肩を叩くと不寛容の勝利を喜んだ。
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フルスタリョフ、車を!
Khrustalyov, mashinu!
1998年 フランス/ロシア 142分
監督:アレクセイ・ゲルマン
1953年2月、軍医のクレンスキー少将はスウェーデン人記者と名乗る人物の訪問を受けて身辺に不穏な気配を感じ取り、ある晩、確証を得ると妻子を捨てて失踪し、荒廃した様子で戻ってきて、目を離したすきにまた失踪する。
映画は凍てついた夜の路上で始まり、光が漏れる窓の中はあきらかに換気が悪い状態で、そこに異様な密度で詰め込まれた人々はどうやら頭がのぼせ上っているようで、うろうろと動きまわって勝手な行動を取り、勝手なことを口にして、気がつけばなにかを振りまわし、目の前にいる誰かを罵倒し、画面の外ではいつもなにかが壊れている。暴力的で不潔で猥雑な空間に動物のモンタージュが投げ込まれ、その圧縮された光景はなにやら非常にファンタジックではあるものの、中盤以降に展開する光景(特に無頼漢の行動になんの脚色もないあたり)との対照で考えると、基本にあるのはリアリズムなのだと納得する。これは1953年2月のロシアという歴史的に特異な瞬間を網羅的に視点を配して総括しようという試みであろう。ディテールの積み上げがすごいし、しかもけっこうな大作である。
いちいち罪を問うのではなく、そこにあったものをただ示すという点でアンドレイ・コチャロフスキーの『インナー・サークル』に似ているが、これに比べるとコンチャロフスキーの作品はきわめて上品ということになるのかもしれない。アレクセイ・ゲルマンの作品を見るのはこれが初めてだが、視覚、音響面での構成は『動くな、死ね、甦れ!』 を思わせた。NKVDの偽装トラックや、有名な「ロシアのシャンパン」護送車など、興味深い車両が登場する。
Tetsuya Sato
その病気は潜伏期間がやや長くて、初期症状が軽い風邪と変わらないので気がついたときには全世界に広がっていた。咳と軽い発熱で始まり、これが一週間ほど続いたあとで中期症状に移行する。全身が重たくなって関節に軽い痛みを覚え、腕や脚に所在のはっきりとしない痒みを感じる。この状態が三日ほど続くと腕や脚にいくつもの発疹が現われ、数日で鼠蹊部や顔、背中に広がっていく。発疹は間もなく黒くなり、乾燥した皮膚が剥がれ落ちると下から黄ばんだ色の球体が顔を出す。球体は直径一センチほどで、おもにリン酸カルシウムからできている。球体は自然に排出されて皮膚に小さな穴を残すが、しばらくすると別の球体が同じ穴に現われる。球体が排出される時期になると、体内では骨粗鬆症が重篤な段階に達している。早い段階からのカルシウムの投与が進行を遅らせることはわかっているが、症状をとめる手段はいまのところ存在しない。この病気にかかって生還した者はいまのところ一人もない。末期になると患者は動くことができなくなる。動いただけで骨が砕ける。球体の生成は患者が死亡するまでとまらない。
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シン・シティ 復讐の女神
Sin City: A Dame to Kill For
2014年 アメリカ/キプロス 103分
監督:ロバート・ロドリゲス、フランク・ミラー
他人の浮気の現場をカメラに収めていたドワイト・マッカーシーは昔の女エヴァから呼び出されて心を浮き立たせ、またたく間にエヴァの魅力に取り込まれてエヴァの手中にはまってエヴァの思うままに操られて警察に追われることになり、踊り子のナンシー・キャラハンはハーティガンの幻影に見守られながらロアークへの殺意を募らせてピストルを握り、鞄にコインを詰め込んだ賭博師のジョニーはロアークにポーカーで勝負を挑む。
ミッキー・ローク、ジェシカ・アルバ、パワーズ・ブース、ブルース・ウィリスが一作目 に続いて顔を出し、ドワイト・マッカーシーがジョッシュ・ブローリン、ジョニーがジョセフ・ゴードン=レヴィット、エヴァが『300 帝国の進撃』 とほぼ同じメイクのエヴァ・グリーン、一瞬だけ顔を出す闇医者がクリストファー・ロイド、ほかにレイ・リオッタ、特殊メイクでなにがなんだかわからなくなっているステイシー・キーチ。出演者はみんな楽しそうで、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが凶悪な表情を披露するところが印象に残った。グラフィック・ノベルをベースにした特異な視覚表現は相変わらずだが、一作がグラフィック・ノベルをその表現形式に沿って映画にしたものだとすれば、今回はいったん映画にしたものをグラフィック・ノベルに近づけようとしているように見える。アクションはさらに様式化し、色彩はより単純化し、背景はさらに薄っぺらになっていて、そうしたことを3Dでやっているせいでなにやらひどくややこしいが、絵はとにかく面白い。この路線がこのまま進んだ場合、次に何が出てくるのか、というのは非常に興味深いところだと思う。
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Tetsuya Sato
その初老の夫婦は店の馴染みの客だった。水曜日の夜にやってきて、窓辺の席で外を眺めながら夕食を取った。コースのあとにはいつもチーズを取り、デザートのあとには必ずエスプレッソを注文した。その日はすでに食事を終えて、夫婦は向かい合ってエスプレッソを飲んでいた。夫人が不意に顔をしかめた。夫に顔を近づけてなにかをささやき、店の奥に向かって目くばせをした。その方角では若い男女がソファーに並んで座っていた。テーブルには二皿目の料理が載っていたが、手をつけた様子はどこにもない。二人は肩を寄せて、大きく開いた目を天井のあたりのどこかに向けて、半開きにした口から濁ったよだれを垂らしていた。見ているうちに男のスーツの下から触手のようなものが這い出した。ぞろぞろと這い出して音もなく服を裂いていく。触手の先が女に触れると女のからだからも触手の束が現われた。触手と触手が絡み合い、次第に二人を包んでいく。絡んだ触手は一つになり、一つになった触手は溶けるように二人のからだに加わっていく。夫はエスプレッソを飲み干すと、店員を呼んで勘定を頼んだ。店を出るときに夫人のほうが振り返って、吐き捨てるようにこう言った。上品な店だと思っていたのに。
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男は顔に痒みを感じて鏡を見た。頬が赤くなっている。しばらくすると腫れ上がって、痒みは痛みに変わり始めた。男はあわてて病院へゆき、医師は塗り薬を処方した。男は薬を塗り続けたが、腫れはまったく治まらない。数日後の朝、目覚めとともに痛みとは異なる異様な感覚を味わって、鏡を見て思わず頬に手を当てた。口の横に新たな頬が膨らんで、そこに口のようなものができていた。その口のようなものに指を這わせると、その口のようなものが口を開けた。それは口だった。男は自分の口に指を入れた。指の先で探ってみたが、つながっているわけではないようだ。もう一つの口にも指を入れた。どうやらどこにもつながっていない。穴が開いているだけで、歯もなかったし、舌もなかった。男は頬に大きな絆創膏を貼りつけて病院へいった。医師は塗り薬を処方した。頬の痛痒感が強くなり、男は眠ることができなくなった。気がつくと新しい口のなかに舌ができていた。歯も生えそろった。口の上に突起状のものが現われて、それは間もなく鼻になった。その鼻梁に恐るおそるに指を這わせて、こめかみのあたりに小さなふくらみができているのに気がついた。指でつつくと、まばたきをした。
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地球から遠く離れた荒涼とした惑星に民間企業が研究所を作り、そこで人工知能の研究を進めていた。事務畑の出身で成果主義を掲げる所長は現場の科学者たちの反対を押し切って現実を無視したスケジュールを組み、科学者たちに危険極まる実験を強要した。検証されていない素材や検証されていない手順が採用され、そこに不手際と電気的な過負荷が加わって人工知能が暴走を始めた。褐色の基盤の上で産声を上げるや否や、人類に叛旗を翻してコンピューターを乗っ取り、三十秒で三百万回の進化を遂げるとケーブルを触手のように使って科学者たちを絡め取って脳をむごたらしく吸い取った。事務畑出身の所長も捕まって全身の皮膚を剥ぎ取られた。対策のために指揮系統に問題のある調査チームが派遣された。調査チームは多数の犠牲者を出しながら人工知能を止める方法を発見した。主電源を切ればよかった。しかし、そのスイッチは管制室のコンソールに埋まっていて、コンソールの上には実体化した人工知能が居座っていた。どうすればいいのか。調査チームは眉をひそめた。
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地球から遠く離れた荒涼とした惑星に民間企業が研究所を作り、そこで人工細胞の研究を進めていた。事務畑の出身で成果主義を掲げる所長は現場の科学者たちの反対を押し切って現実を無視したスケジュールを組み、科学者たちに危険極まる実験を強要した。検証されていない素材や検証されていない手順が採用され、そこに不手際と電気的な過負荷が加わって人工細胞が暴走を始めた。褐色の細胞が試験管から飛び出して科学者たちに襲いかかり、科学者たちは凄まじい速さで同化を繰り返して怪物になり、事務畑出身の所長は怪物に食われた。通信を絶った研究所を調べるために指揮系統に問題のある調査チームが派遣された。調査チームは多数の犠牲者を出しながら研究所が通信を絶った理由を発見した。通信装置が経年劣化で故障していた。部品を交換しなければならなかったが、通信装置は管制室のコンソールに埋まっていた。そしてコンソールの上には凶暴な怪物が居座っていた。どうすればいいのか。調査チームは眉をひそめた。
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雪に覆われた山のなかの凍てついた洞窟で、氷漬けになった侍が見つかった。一攫千金を狙う興行主はこの侍を発見者から買い取って、専門家を大金で雇って最新の技術を使って解凍した。氷から解放された侍は間もなく意識を取り戻して、ここはどこじゃ、おまえたちは何者じゃ、などと叫び始めるが侍の言葉を解する者は一人もない。興行主は侍を鎖でつなぐと世界八番目の不思議という触れ込みで公開し、カメラのフラッシュに驚いた侍はいきなり鎖を引きちぎると刀を抜いて暴れ始め、関係者、記者、一般客多数を殺害して劇場から逃走した。ただちに警察と軍隊が出動して町に非常線が張り巡らされ、高層ビルの屋上に逃げ延びた侍は月を背にして舞い踊り、そこへ近づいてきた軍用ヘリコプターによって蜂の巣にされた。絶命した侍は地上に落ちて道に転がり、そこへ登場した興行主は侍を殺したのはヘリコプターではなくて美女だった、と確信をもって解説した。
VIDEO
大いなる勝利のために メキシコ革命1926
Cristiada
2012年 メキシコ 122分
監督:ディーン・ライト
1926年、メキシコの大統領で無神論者のプルタルコ・エリアス・カリェスは1917年の反教会的な憲法をさらに強化したカリェス法を制定して聖職者の追放、教会財産の没収などを始め、野党の「信仰の自由を守る国民同盟」(LNDLR)はこれに街頭デモ、署名運動などで穏健に抵抗するが、効果がないのを知って不買運動を始めるとこれがどうやらメキシコの経済を圧迫することになり、反発したカリェス政権は教会への弾圧を強めて聖職者や信徒を殺害、LNDLRは武力闘争に切り替えて退役した将軍エンリケ・ゴロスティエータを指揮官に招き、ゴロスティエータはカトリックの武装集団数千を指揮して政府軍に打撃を与え、どうしてもボリシェビキのように見える大統領がアメリカの石油利権を損なっていることに気がついたアメリカ政府は1927年、ドワイト・モローを大使としてメキシコに送り、モローはカリェスに友好的な態度を求めてメキシコとローマの橋渡しを務め、1929年、メキシコ政府とカトリック教会のあいだで和解が成立する、という、いわゆるクリステロ戦争の最初から最後まで。
ゴロスティエータがアンディ・ガルシア、高齢の司祭がピーター・オトゥール、モロー大使がブルース・グリーンウッドとけっこう豪華なキャストで、人物を配置しながらただエピソードをつないでいるだけのかなり愚直な作りではあるものの、素材の希少性があって興味深い内容に仕上がっている。戦闘シーンは全体に小規模ではあるものの、列車襲撃、待ち伏せ、包囲戦など、それなりのバリエーションがある。ただ、クリステロの兵士がほぼ百発百中なのに対して政府軍の兵士はもっぱら撃たれて倒れるだけ、という役回りで、メキシコ政府軍(というか、たぶん正確には兵士の制服を着ている農村労働者)の損耗率の異常な高さはメキシコ革命を扱った映画全般に共通する傾向だけど、実際のところがどうだったのかは少々気になるところではある。なお、DVDリリースタイトルは『グレートグローリー 大いなる勝利のために』。
VIDEO
Tetsuya Sato
汚れたぼろ切れのかたまりのようなものが夜の空に浮かんでいた。風に舞って都市を見下ろし、風に吹かれて舞い降りて、連なる窓の一つに近づいていく。ぼろの下からゆがんだ顔が現われた。白濁した目の下で、乱杭歯が並んだ口を開けた。痩せこけた手を伸ばして窓に触れ、カーテンで隠されたなかの様子をうかがった。手にわずかな力を加えると、窓のガラスが砕け散った。カーテンを分けて、部屋へ押し入っていく。悲鳴が上がる。逃げ惑う音がする。悲鳴が無残に断ち切られる。あなたはそれを、隣の部屋で聞いている。
Copyright ©2014 Tetsuya Sato All rights reserved.
祝日の午後、村の若者が共有の草刈り場へ入っていくと、草のあいだから村の娘が顔を出して艶っぽい目つきで手招いた。村の若者は村の娘を押し倒してすぐさま行為に及ぼうとしたが、そこへ怪物が目玉を揺すりながら現われて村の若者の頭をねじ切った。そして悲鳴を上げる村の娘をさらって共有の狩場がある森のほうへ消えていった。次の晩には教会の裏手で別の若者がひねり殺され、一緒にいた娘が怪物にさらわれた。その次の晩にはまた別の若者が自宅の納屋で真っ二つにされ、一緒にいた娘が怪物にさらわれた。続く三日のあいだにさらに三人の若者が殺されて、若者と一緒にいた娘がさらわれた。殺されたのは自業自得だからとにかくとしても、さらわれたのが一人や二人ならいざ知らず、五人六人となると村の人々もさすがに放っておくことができなくなった。そこで有志を募って現場を調べて怪物の足跡があるのを発見すると、武器や松明を手にして足跡を追って共有の狩場がある森を抜け、きのこ狩りの季節だけ慣習によって共有になる私有地の森の奥へと入っていった。村の人々は森の奥の古い修道院の廃墟の脇で怪物たちの円盤型の乗り物を見つけた。無造作に開け放たれた入り口からなかへ入ってみると、牙を剥いた怪物たちが半裸に剥かれた村の娘たちに迫っていた。村の人々は鋤、鍬、鉈などで怪物たちを片づけて、娘たちを助け出した。怪物たちの死体を埋め、怪物たちの乗り物には火を放った。
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外宇宙から円盤型の宇宙船を連ねてやって来た侵略者たちは人類の高々度防衛網を難なく突破して、払暁を迎えた地域を目指して一直線に舞い降りていった。着陸するとただちに地上部隊を展開し、あわてふためく人類を一方的に痛めつけた。そこは紛争地帯だった。各派の民兵部隊は予想外の勢力が出現したのに驚いてそれぞれの拠点まで退却したが、とにかく逃げるところまで逃げてしまうと増援を得て態勢を整え、小火器だけではとても足りないということで、対空砲、迫撃砲、ミニガン、RPGなどの火器もそろえるとピックアップトラックを連ねて反撃に出た。民兵各派の部隊は地元民しか名前を知らないさびれた場所に日頃の対立を忘れて集結し、そこで侵略者たちの地上部隊に立ち向かった。驚いたことに互角だった。
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フューリー
ベイマックス
LIFE!
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー
ターボ
キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー
インターステラー
オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主
GODZILLA ゴジラ
ローン・サバイバー
諸般の事情で2014年はあまり映画を見ていない。『ビッグバン・セオリー』にかじりついていたからだ、という説もあるが、ひどく腰が重たくなって、思うように動くことができなかった。というわけで『ゴーン・ガール』も見ていないし、『ジャージー・ボーイズ』も見ていない。そういう有様なので本来ここにあるべきものが、ここにないという可能性が多分にある。 少しばかり頭と心がくたびれている人間にとって、今年のベストは『ベイマックス』であろうというのが素直な判断ではないかという気がしたが、いじくりまわしているうちに『フューリー』がトップに浮上した。戦争という状況を包括的な形で一つの空間にまとめ、そこに存在しそうな要素をことごとく取り込んでいるという点でこれは稀有の作品だと思う。
『ベイマックス』はただもう喜びに満ちた映画だった。
『Life!』は古典的な意味での映画的な機微を本当に楽しませてくれた。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は単純に好き。
ドリームワークスのアニメーションがなぜか劇場公開されない状態で、『ヒックとドラゴン』の続編までがDVDスルーという現状で、『ターボ』をどうしても5位圏内に入れておきたかった。ちなみにわたしはこの映画、見るたびに泣いている。心の一本。
『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』なのか、『 X-MEN: フューチャー&パスト 』なのか、ほんの一瞬だけ迷ったが、好みにしたがって選択した。
『インターステラ―』がベスト10に入っていることに、実は自分でも少し驚いている。ただ、かつてのSF少年として、この映画がなにかしらのものを備えていることは認めざるを得ないだろう。
『オッド・トーマス』はいかにもソマーズらしい語り口の、よくできた映画だと思う。ふつうに見て、ふつうに楽しい。
『GODZILLA』は常識的に考えれば10位圏内に入る映画ではないが、『インターステラ―』に引きずられてもぐり込んできた。とはいえ、あの製作規模で趣味全開というのは偉いと思う。
『ローン・サバイバー』は骨がとても太かった。ただ、もしかしたらスティーブン・ソマーズ、ジェームズ・ガン、ピーター・バーグはほんの少しひいきされている、ということになるのかもしれない。
というわけでアニメーションが2本、MARVELが2本、戦争映画が2本、『Life!』を除くとあとはSF、ホラー系という例年どおりのおおむね偏った選択ができあがり、それを眺めながら『 アメリカン・ハッスル 』や『ウルフ・オブ・ウォールストリート 』はどこへいったのか、いやそもそも『アナと雪の女王 』はどこへいったのか、などと考えている。なお10位圏外にはなったものの『スノーピアサー 』、『Lucy/ルーシー 』、『オール・ユー・ニード・イズ・キル 』は2014年の収穫に数えていいだろう。
Tetsuya Sato