River Queen
2005年 イギリス/ニュージーランド 114分
監督・脚本:ヴィンセント・ウォード
1854年のニュージーランド。軍医の娘サラ・オブライエンはマオリ族の青年トミーと出会って恋に落ち、トミーの死後、父親の反対を押し切ってトミーの子を出産する。
サラはこの子供を溺愛するが、6年後、トミーの父親ランギが現われて子供をマオリの村に連れ去ってしまう。サラは子供を捜し続け、そのあいだにイギリスはマオリの領域に軍を進め、戦闘のさなかにランギは死に、その復讐を酋長のテー・カイ・ポーが受け継ぐと、イギリス軍の前進基地は奇襲にあって壊滅し、サラの父親は国外に逃れ、サラはニュージーランドにとどまって軍医の助手に徴用されるが、そこへ唐突に現われたマオリの青年ウィレムに懇願されて川の上流はるかに隠されたマオリの村を訪れる。それというのも酋長テー・カイ・ポーがインフルエンザで死に掛けていたからであったが、酋長はサラの看護で回復し、サラはさらわれた子供と再会するが、子供はすっかりマオリの血に染まり、サラとともに帰ることを拒絶する。
その頃、イギリス軍はマオリの村に向かって進撃を続けていたが、進撃自体が実はマオリの罠であったため、側面から攻撃を受け、命令を撹乱され、大打撃を受けて撤退する。この戦闘でサラの友人であるアイルランド人兵士のドイルが重傷を負い、サラはドイルを送ってイギリス軍の基地に戻るが、イギリス軍の指揮官からマオリとの関係を非難されると、重傷を負ったままのドイルを連れて隠れ家に逃れ、そこへ唐突に現われたウィレムと関係を結び、戻ってくるとドイルが息絶えている。
一方、テー・カイ・ポーは抗戦のための軍勢を集め、イギリス軍は制圧のために出動し、サラもまた軍医の助手として同行する。このときマオリの元に残してきた息子がイギリス軍の捕虜となって命を奪われそうになるが、そこへ唐突に現われたウィレムに救われ、サラが騒いで双方の軍勢が発砲を始め(マオリ族は砲撃もする)、戦闘のなかをサラと息子、ウィレムが逃れ、そのあいだにテー・カイ・ポーが同盟軍の酋長の妻と関係を結んだためにマオリの戦線は崩壊し、マオリはその責任をサラに問い、サラはマオリの一員となることを決意して顎にマオリの刺青を刻み、もう何を考えているんだかさっぱりわからないけれど、川で厳かに沐浴などをしているところをイギリス側のマオリに狙撃される。サラの血が川に流されるが、それでサラが死んだわけではなく、ウィレムと所帯を持って子供と一緒に幸せに暮らしました、という話である。
いちおう歴史的な状況を扱ってはいるものの、視線はひたすらにヒロインにすりより、しかもこのヒロインは愛情の対象にいつもぶれがあり、目の前にいる相手にはたいていの場合、関心がなくて、いない相手を探している。この得体の知れないとめどのなさに何か絵に描いたような情動がどうやら隠されているようで、そこに共感することを前提にしないとまともに眺めているのは少々つらい(つまり、つらかった)。
どうにも落ち着かない目をしたサマンサ・モートンはこのヒロインに適役であった。ほかにヒロインの父親役でスティーブン・リア、アイルランド人兵士でキーファー・サザーランドが顔を出している。撮影はひたすらに美しく、ニュージーランドの山に挟まれた川の流れ、イギリス軍のわびしげな基地、幻想的なマオリの村と見ごたえのある絵が登場するが、そこに心象描写のような映像がかなり執拗に織り込まれ、これもちょっとうんざりする。美術、衣装などの水準もきわめて高く、戦闘シーンもそれなりに迫力があるので、映画本体が別物であったらもっとよかったような気がするのである。
Tetsuya Sato