宇宙戦争 The War Of The Worlds 2005年 アメリカ 114分 監督:スティーブン・スピルバーグ ニュージャージーの港湾労働者レイ・フェリエーは離婚歴があり、別れた妻は東部のエスタブリッシュメントと再婚している。子供たちとの面会の日、十代の息子と十歳の娘がフェリエーの家を訪れる。家のなかは散らかり、居間にはV8エンジンが置き去りにされ、食べる物はろくになく、別れた妻はフェリエーの冷蔵庫を開けて批判する。そして息子は反抗し、娘は意見し、噛みあわないまま仕事に疲れたフェリエーは床に入り、起き上がって外へ出ると空は暗雲で覆われている。激しい稲妻が地上を襲い、近所の十字路に穴がうがたれ、そこから恐ろしくもったいぶって三本足の戦争機械が出現し、光線兵器で逃げ惑う人類をなぎ払う。フェリエーは泡を食らって家へ戻り、子供たちを連れて町から逃れ、別れた妻の実家を目指して進み始める。 登場人物を取り巻く空気は常に不穏で緊張に満たされ、視野の片隅には気がつくといつも不気味な丘があり、その丘を乗り越えて不気味な戦闘機械が出現する。トム・クルーズは突発的な状況に投げ込まれた肉体労働者を好演し、視点はそこに固着して大局が見えることは一度もない。それだけに非力が際立ち、戦闘機械が放つ光線よりも、追い詰められた人間が放つ一発の銃弾のほうが恐ろしいし、侵略者たちが自滅したあとで再びそそり立つ階級差の壁も高く見える。視覚面でも音響面でもよく造形された見ごたえのある作品であり、原作と1953年版の幸福な融合がここにある。
宇宙戦争 The War Of The Worlds 1953年 アメリカ 85分 監督:バイロン・ハスキン 火星が大接近したある日、カリフォルニアの山中に怪隕石が落下し、そこから出現したウォーマシンが包囲する軍隊をなぎ払い、同様の機械が世界各地に出現するので人類文明が危うくなる。H・G・ウェルズの原作からコンセプトだけをもらってきて、人類対火星人の攻防を主軸に徹底して「SF映画」をした結果、そういう単純な脚本とバイロン・ハスキンの単純な演出がよく噛みあって、なかなかな傑作になっているのである。 ときどき引っ張り出しては見ているけれど、視覚的な豊かさ、音響設計のすごさ、ドキュメンタリー調のてきぱきとした筋運びはまったく古びてこない。人類側の最後の手段として原爆投下機が登場すると、これがノースロップYB-49「フライング・ウィング」の本物で、その勇姿、というか不可思議な姿を見ることができるのもありがたい。
スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー Sky Captain and the World of Tomorrow 2004年 アメリカ・イギリス 107分 監督・脚本:ケリー・コンラン 1939年。ニューヨークに突如として怪ロボットの大群が現われて発電機を掘り起こし、時を同じくして世界各地でも同様の怪事があって様々な物が盗難にあう。スカイキャプテンは愛機P-40を駆って怪ロボットの群れに立ち向かい、怪ロボットの群れが怪電波によって操られていることを突き止めるが、そこへ空を舞う怪ロボットの大群が現われ、スカイキャプテンの基地を襲い、スカイキャプテンの相棒デックスをさらうので、スカイキャプテンはかつて関係があった婦人記者ポーリーとともに怪電波の跡を追ってネパールを訪れ、謎の科学者トーテンコフの秘密を探って海へ飛び、英国海軍の空中空母部隊に助けられて謎の島へ潜入する。 1939年製作のフルデジタル映画、というのがあったとしたら、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。ストーリーは後景に退き、パルプマガジンのご都合主義が正義となり、やりたいことは単なる冒険絵入り物語なのでそちらに集中した結果、できあがったものがまったく半端ではない。新味はない替わりに、古めかしい物を極限にまで増殖させて、それを縦横無尽に動かしてみせているのである。実際のところ、正味としてそれだけなので、まともな映画を期待してはいけない。つまり、いかにカスタムメイドとはいえ、カーチスP-40がアメリカからネパールまでいきなり飛んでいってしまうような映画なのである。しかもこのP-40は水にも潜るし、水に潜る戦闘機はこれだけではなくて、あとのほうでは英国海軍のマンタ部隊とかいうのが大挙して登場し、みんなで一斉に水に潜る。ヒンデンブルクの「3号機」が登場するし、ロボットはことごとくが怪ロボットだし、怪電波は空中を駆け巡るし、空中空母は空中空母だし、敵の迎撃ロケットはこれ以上にはないような見事な構図で海を割って飛び出してくるし、恐竜は登場するし、崖をまたぐ丸木の橋は どこかで見たような風情だし、 敵の秘密基地は超科学しているし、それがもう小松崎茂が描いた少年マガジンの口絵みたいだし、ジュード・ロウとグウィネス・パルトローの間抜けな掛け合いもそれなりに出来ているし、というわけで、わたしとしては悪いことは何もない。
アイ・アム・レジェンド I Am Legend 2007年 アメリカ 100分 監督:フランシス・ローレンス マシスン『地球最後の男』の三度目の映画化。今回のロバート・ネヴィルは陸軍中佐のウィルス学者で隠れ家に立派な研究施設を作っていて、そこで感染者を相手に人体実験を繰り返している。タイトルが原作と同じになっていたので、どうなるのかと思っていたら、血清が完成して人類は未来に希望をつなぎ、それでロバート・ネヴィルは伝説になるという文脈になっていて、つまり話は1971年の『オメガマン』と同じである。 ウィル・スミス扮するロバート・ネヴィルの硬直した精神状態が一方にあり、他方では感染者側のアルファ・オスがなにやら社会行動らしきことをしていたので、原作に沿った発展になるのかと一瞬期待したが、そういうことにはならなかった。問題は原作と違うとかなんとかいうことではなく、本作におけるロバート・ネヴィルのキャラクターが結局硬直したまま垂れて終わり、ひとつとして解釈を加えられないところにある。というわけでどうしても凡庸さが目立つものの、構成そのものに破綻はなく、演出自体もテンションはおおむね高い。無人となった都市(ニューヨーク)の荒廃した光景も見ごたえがあり、感染者たちの怪物じみた挙動もよくできている。
サラマンダー Reign of Fire 2002年 イギリス・アイルランド・アメリカ 101分 監督:ロブ・ボウマン 現代のロンドン。地下鉄の拡張工事現場で奇怪な空洞が発見され、そこからドラゴンが現われる。地上に出現したドラゴンはいかなる方法によってか大増殖を果たし、そこら中に火をかけて灰にして、遂に人類の文明を滅ぼしてしまう。それから20年ほどが経過して、イギリスではわずかな生き残りがノーサーバーランドの古い城に立て篭もり、飢えに苦しみながらドラゴンに脅えて暮らしている。そこへなぜかケンタッキー義勇軍が戦車や装甲車、ヘリコプターまで連ねて到着し、俺たちはドラゴンをやっつけると宣言する。恐るべきドラゴンの群れは実は一匹を除いてすべてがメスで、だったらただ一匹のオスを殺せば状況が打開できるのではないかとケンタッキーの人々は考えたのであった。ということで苦労しながらロンドンまで出かけていくのである。 城を抱え込むようにして翼を畳む巨大なドラゴン、スカイダイビングを使ったドラゴン狩り、ヘリコプターとドラゴンの空中戦、少々ゴシック調に荒廃した地上、というビジュアル・デザインの方が全体に先行していて、話の方はあまりうまくついていっていない。核兵器でも殺せなかったという割にはローテク兵器でやっつけているし、俺たちは飢えていると言う割には皆太っていて酒を飲んでいたり、と辻褄の合わないところも多かった。とはいえ城の中では幼い子供たちの楽しみのために『スターウォーズ』が「上演」されていたり(『ジョーズ』という演目もあるらしい)、ところどころでダイアログに妙なずれがあったりして、そのあたりはやっぱりイギリス映画なのであろう。ちょっと惜しい。
チームアメリカ ワールドポリス Team America World Police 2004年 アメリカ 98分 監督:トレイ・パーカー アメリカの大企業の利益を守るチームアメリカが9.11の100倍(91100)とか、9.11の1000倍(911000)のテロと戦っていると、テロの元締めである北朝鮮の金正日は9.11の2356倍(誰にも計算できない)のテロをたくらみ、チームアメリカに挑戦する。 登場人物はすべてマリオネット、特撮は『サンダーバード』、というよりは東映戦隊物を思わせるちゃちなミニチュア、それがまた確信犯的にちゃちに爆発し、エッフェル塔はひっくり返り、凱旋門は粉砕され、ルーブル美術館は炎に包まれ、ピラミッドには大穴がうがたれ、そしてスフィンクスは首が落ちる。すべてはテロリストと戦うチームアメリカの仕業なのであった。 アメリカというキーワードをおもにチームアメリカと俳優ギルドの二点に集約した結果、市民感覚的な歪んだ多様性が後景に退き、それによって単純化した部分を国際テロとハリウッド・メジャー批判で補ったところ、焦点が絞りきれずに終わったようなところがあり、その点で『サウスパーク(無修正映画版)』に比べると粗削りな部分が見えるが、それでもトレイ・パーカーの悪趣味は健在である。マリオネットの男女は様々な体位で恥ずかしげもなく交接をおこない、悪酔いしたマリオネットの男はしつこくゲロを吐きまくり、歌では『パール・ハーバー』とマイケル・ベイをこき下ろし、アレック・ボールドウィン、ジョージ・クルーニー、ショーン・ペン、サミュエル・L・ジャクスン、リヴ・タイラー、ヘレン・ハント、スーザン・サランドン、マット・デイモン、ティム・ロビンス、マーティン・シーンなどの著名俳優のマリオネットを登場させて皆殺しにした上(マット・デイモンの扱いについてはやりすぎだった、とあとでトレイ・パーカーが反省している)、マイケル・ムーアのマリオネット(そっくり!)に自爆テロをやらせている。 マリオネットの演技(頭部のメカニズムがすごいのである)、アクションは見ごたえがあり、挿入歌も悪くない。"America, Fuck Yeah!"はなかなかけっこうな仕上がりだし、金正日のソロナンバー"I'm so ronely"も聞けたし(エンディングクレジットでは二番も流れて、その歌詞では金正日の恐るべき正体があきらかにされる)、主人公ゲイリーの特訓シーンに流れる"Montage"は笑えた。金正日のネコたちもかわいいし、目に見える難点がいくらかあるとしても、この恐ろしく手間のかかった愚劣さは、おそらく無類と言うべきであろう。
ドクター・モローの島 The Island of Dr. Moreau 1977年 アメリカ 104分 監督:ドン・テイラー H・G・ウエルズの『モロー博士の島』のほぼ忠実な映画化。ただし動物改造が外科出術からDNA操作に変更されていて、原作ではいちばん肝心な最後の三分の一がカットされている。つまり文明批判的な部分はなくなっていて、ホラー部分だけが残されている。AIP末期の作品で、この会社としては信じられないようなオールスター・キャスト(バート・ランカスター、マイケル・ヨーク、バーバラ・カレラ)でもある。社運をかけていたのかもしれない。 ドン・テイラーの演出は凡庸だが、不気味な島の雰囲気を出すことには成功している。バート・ランカスターのモロー博士は非常に貫禄があり、こういう相手に「掟はなんだ」と指を突きつけられてしまうと哀れな改造動物ならずとも「四つ足では走らないこと」と答えたくなる。とにかく雰囲気だけはよく出ているので、けっこう気に入っている。
巨大蟻の帝国 Empire of the Ants 1977年 アメリカ 89分 監督:バート・I・ゴードン 不動産会社の土地見学ツアーに参加した男女十人ほどがフロリダの海岸にある世にもいかがわしい開発予定地を訪れて、それぞれの事情をあれやこれやと勝手に口にしていると、そこへ放射能の影響で巨大化したアリが現われて襲いかかるので、生き残った人々はジャングルを抜け、沼沢地を抜け、どうにか近くの町にたどり着くが、その町はすでに巨大アリの支配下に置かれて住民は女王アリのフェロモンをかがされてすっかりアリの奴隷になっている。 いちおう文明批評的な側面があって、救いのない結末も含めてそのあたりはいちおう評価すべきかもしれないが、バート・I・ゴードン自身による脚本はダイアログも含めていろいろと寝ぼけているような気がするし、バート・I・ゴードン自身による特殊効果で作った巨大アリというのがおがくずを敷いたガラスケースの中のアリを接写で大きくして、それを固定マットでスクリーンの一角にはめ込む、というおそろしくシンプルなしろもので、そういうアリが建物にからむシーンではその建物が歴然と写真だったりすると(つまりビルの写真にバッタをたからせただけの1957年の『世界終末の序曲』から何も変わっていない)、工夫のなさには多少あきれることになるのである。
スペース・ウルフ キャプテン・ハミルトン Anno zero - guerra nello spazio 1977年 イタリア 90分 監督:アル・ブラッドレイ キャプテン・ハミルトンが指揮する宇宙船MK31では乗員の一人が規則によって二人でおこなうことになっている船外活動を一人で始めて、キャプテン・ハミルトンが危険だ戻れと叫ぶのを無視した乗員は大丈夫ですよおなどと言いながら、なぜか船外からしかアクセスできないバッテリーの修理に取りかかり、キャプテン・ハミルトンがやめろと叫ぶのをなおも無視して作業を進めるとバッテリーから塩酸が噴出して宇宙服を溶かすので、操縦室では別の乗員がやつの命はあと三分だ、などと言っているとキャプテン・ハミルトンが外へ出て悲鳴を上げる乗員を救い、もたもたと船に戻るところで時間が刻々と経過して、これはもう、いやおうもなくサスペンスが盛り上がっているところなのであろうと思って見ていると、それはそれとして宇宙船MK31は謎の怪電波に遭遇し、さらになにやら宇宙船らしきものと遭遇して攻撃を受け、どうやらエンジンにダメージを食らってどこかの惑星に引き寄せられて、このままでは衝突だ、などと言っているうちに乗員の一人がなにやらスイッチのようなものを押すと船はたちまちのうちに安定を取り戻すので、宇宙船MK31は謎の惑星に着陸してキャプテン・ハミルトン以下、乗員たちがあきらかにさほどの目的もなく調査に取りかかると一人が悲鳴を残して姿を消し、キャプテン・ハミルトン以下、残りの乗員が探しにいくと原住民が数人現われてテレパシーで話しかけ、どうやらその惑星にはかつては偉大な文明があり、人間は機械のおかげで安楽に暮らしていたが、そのうちに機械に支配されるようになって、いまではすっかり退化したと告白し、キャプテン・ハミルトンがその機械と戦うために武器を持って進んでいくと、工作用紙一枚と色つきセロファン数枚、豆電球三個くらいを使って作った機械の頭目が姿を現わし、自分は宇宙最強であると豪語した上でキャプテン・ハミルトンに自分を修理するように命令し、そもそも怪電波を飛ばし、宇宙船MK31に損傷を与えたのもキャプテン・ハミルトンをこの惑星に引き寄せて自分の修理をさせるためであったと説明を加え、キャプテン・ハミルトンが命じられるままに基盤を一つ交換すると、わははははなどと笑い出し、そこでキャプテン・ハミルトンが軽く攻撃を加えると機械はあっという間に爆発を起こし、惑星もまたまもなく爆発する、ということで、キャプテン・ハミルトン以下の一行はさほどの緊張感もなく脱出を果たすが、それでも話はまだ終わらないのである。 プロットは崩壊している上に台詞の半分は意味不明、カットのかなりの数も意味不明、というかなり恐ろしいしろもので、特殊効果も特殊効果と言えるようなものではなくて、小学生の夏休みの工作のレベルにも達していない。なぜか『スターウォーズ』とほぼ同時期の作品ということになっているけれど、見た目は1960年の『SOS 地球を救え』あたりよりも古めかしい。 スペース・ウルフ キャプテン・ハミルトン [DVD]