2017年9月11日月曜日

ダンケルク

ダンケルク
Dunkirk
2017年 イギリス/オランダ/フランス/アメリカ 106分
監督:クリストファー・ノーラン

1940年5月、撤退する連合軍はダンケルクでドイツ軍の包囲を受けて退路を失い、これに対して軍艦、輸送船、民間の小型船舶を動員した脱出作戦が決行されておよそ35万人が脱出に成功する。
いわゆるダンケルクの戦いの映画化だが、ドイツ軍は「敵」という一語で抽象化され、イギリス軍に向かって発砲するドイツ軍兵士は最後まで姿を見せず、メッサーシュミットやハインケルの乗員も撃墜されても脱出しない。抽象化された「敵」が一瞬でも人間の姿を得るのは好ましくないからである。映画はダンケルクの浜に取り残されたイギリス軍兵士が体験する一週間と、政府に徴用されてその兵士たちを救出に向かうヨットの船上における一日、撤退援護に出撃したスピットファイア三機編隊の一時間という異なる三つの時間枠を時系列を前後させながら同一線上に配置して状況を立体的に描くという手法を採用し、これは見事に成功している。クリストファー・ノーランの話法としては『メメント』に近接しているが、はるかに洗練されていると思う。そしてこの三軸構造が時間の経過にしたがって接続の密度を高くしていって、そこにかかるハンス・ジマーの禁欲的な音楽が否応なく緊張を高めていく。映像と音、カットの切り返しの巧みさ、そして心地よさは半端ではない。しかし終盤にいたって燃料を失ったスピットファイアが延々と滑空を続けていくとこちらの不安がなぜか次第に大きくなり、そこにチャーチルの演説がかかってくると、それまでにおこなわれた抽象化の努力はいったいなんだったのかと首をかしげることになる。この瞬間、「状況」としてのダンケルクが「イギリスのトラウマ」としてのダンケルクに変貌するのである。戦意高揚映画じゃあるまいし。というような欠点はあるし、イギリス海軍の駆逐艦の役で出演しているフランス海軍の駆逐艦はどう見てもシルエットが違うとか、あまりにも小舟ばかりだとか、妙なところもあるものの、たいへん立派な映画であることに間違いはない。
Tetsuya Sato