2017年4月3日月曜日

ベン・ハー(2016)

ベン・ハー
Ben-Hur
2016年 アメリカ 141分
監督:ティムール・ベクマンベトフ

ユダヤの豪族の息子ジュダ・ベン・ハーと汚名を着て孤児となったローマ人メッサラはユダヤの地でともに暮らして義兄弟の契りを交わしていたが、自らがハー家の食客であり、無一文であることを恥じたメッサラはベン・ハーの妹ティルザに求婚する資格を得るためにローマに戻ると軍団兵士となって各地を転戦、名誉を得て第十軍団に属する指揮官となってユダヤに戻ってベン・ハーをはじめとするハー家の人々の歓迎を受けるが、ポンティウス・ピラトがエルサレム市内を行軍した折、ハー家から弓矢が放たれたことから状況は一変、メッサラは自らの立場を守るためにハー家の人々の捕縛を命じ、ジュダ・ベン・ハーはガレー船奴隷となって復讐と憎悪を糧に五年を生き延び、イオニア海における海戦で船が沈むと鎖から逃れて脱出を果たし、海岸にたどり着いたところで族長イルデリムに救われ、イルデリムはそもそも馬術に秀でていたベン・ハーを所有する戦車の騎手に採用し、エルサレムを訪れると相手に断れない条件でピラトを誘ってユダヤの代表選手にベン・ハーを使う同意を得るとベン・ハーを相手に戦車競技の指南にかかり、ベン・ハーは競技場でローマ代表選手のメッサラと対決する。
ウィリアム・ワイラーの1959版が原作の精神に対する誠実な映画化であったとすれば、ティムール・ベクマンベトフによるこの2016年版は原作は馬術競技をするために用意された都合の良い薄皮である。開巻、戦車レースが始まるところがまず映し出されていったい何が起こっているのかと驚いていると時間は八年前にいきなり戻り、ベン・ハーとメッサラが仲良く馬を走らせている。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。話が進んでベン・ハーがエスターとの関係を進め、一頭の馬に仲良くまたがって街中に出る場面がある。二人が身にまとっているものはどう見てもTシャツにジーンズである。なにしろカジュアルにデザインされているので登場人物もとにかく軽い。イエスもその辺に住んでいて、大工の仕事をしながらそれらしい言葉をかけてくる。これに対してローマ人は軍装が微妙に重たくなり、ふるまいは類型化を超えてナチのように描かれており、ゼロテ党はほぼレジスタンスに位置付けられている。プロットは終盤のレースのために集約されて余計な要素は切り落とされ、筋書だけを追っている限りではこれは『ベン・ハー』ではなくて『ベン・ハー』によく似たなにかにしか見えてこない。だからメッサラの野心も最後には愛の前にくじけることになるのである。で、だから面白くないかというとそういうことは決してなくて、全体に軽量化はされているもののふつうに見ていればそれなりに面白いし、海戦の場面では漕ぎ手座からその様子が見えるだけ、という演出が効果的に使われているし、なにしろベクマンベトフだから、ということになるのかもしれないが、馬の扱いが非常にうまく、戦車レースのシーンはちょっとない見物になっている(ピットインしないのが不思議なくらいモダンだけど)。いやあ、いいんじゃないですか、というのが素朴な感想である。
Tetsuya Sato