二〇二〇年が始まって未知のウィルスによる肺炎の流行が具体的な脅威として囁かれるようになったとき、そのあとの展開がどのようなものになるかを、わたしはまったく予想していなかった。コロナウィルスのふるまいに関する初期の情報は、特に疑いを抱くことなく受け入れていた。四日間の待機にしても、少ないように感じられる検査数にしても、なにかしらの疫学的根拠を備えたものだと考えていた。クラスター対策は有効で、適切な人員が適切な規模で投入されているのだと信じていた。たしかにクラスター対策は有効だったが、適切な人員が適切な規模で投入されていたわけではないとあとで知った。政府が招集した専門家委員会は手弁当の集まりで、政府の支援を受けていないとあとで知った。議事録を作っていないので議論の経過を検証できなくなっている、ということを知ったのは最近である。
二〇二〇年の三月を通じて、政府の奇妙なふるまいが見えるようになってくる。国民の理解、という以上に開催地である東京都民の理解を等しく得ていない、ということに加えて国民が税金の使い方に疑問を抱き、そのせいなのかボランティアの集まりも最低で、選手村のベッドを段ボール箱でこしらえた東京五輪の予定どおりの開催に奇妙なまでに執着する。三月時点の状況を見れば、仮に開催しても無観客の上に無選手という状態になるであろうことは明らかなのに判断を逡巡し続ける。明日の遠足が雨で中止になりそうなので、てるてる坊主をせっせと作って軒下に並べ続ける小学生のようなふるまいをして、一年の延期をようやく決定すると、一年後にはワクチンができあがっていて完全な形で開催できると自分自身に言い聞かせる。運よくワクチンが完成したとしても供給にはそれなりの年数がかかるということを、もしかしたら誰かから聞いたのかもしれないが、気がついていないふりをしている。それともこれも嘘だったのか。そうだとすれば誰に嘘をついているつもりだったのか。
二〇二〇年の四月に入ってアベノマスクという嘲笑的なキーワードが出現したあたりから、政府のふるまいはいよいよおかしくなっていく。いや、これは正確ではないだろう。政府のふるまいのもともとからのおかしさが、ただ見るだけで見えるようになっていく。見まいとしても見えるようになっていく。できることなら見たくなかった、というのが本音に近い。第一次安倍政権で安倍晋三が「美しい国」を連呼し始めたとき以来、わたしは政府を視界の外に押しのけていた。人生もすでに後半に入っていたし、そこで汚いものをわざわざ見て自分の時間を穢したくないと考えていた。わたしはそもそも発言する人間ではない。どちらかと言えば沈黙を好む。傍から見える限りにおいて無害であろうと努力していたし、不審な個人主義者であり続けることができるなら、あとはどうでもよいと考えていた。そのわたしが四月以降、政府の行動にいくらかの関心を抱くようになり、五月に入ったときにはほぼ逆上していた。自分の反応としては、これはまったく信じられないことである。
今日、六月に入った。東京は薄曇りで断続的に小雨が降っている。この日にいたるまでの自公連立政権の乱調乱脈ぶりのいちいちをここに並べるつもりはない。並べるだけで不愉快になるし、不愉快なことはこのあともまだまだ続くだろう。
『総理』というタイトルを与えたこの掌編集は、五月二十五日の朝、ツイッターに唐突に投降した一編から始まっている。なぜ書き始めたのかは、正直なところわからない。ただ習性によって、というのがおそらく答えになると思う。なお投稿の開始にあたっては、北野勇作さんの『ほぼ百字小説』の存在に強く勇気づけられたことをお知らせしておきたい。卓越した先行事例があるならば、いつでもそれに励まされるからである。
ということで、北野さん、ありがとう。
佐藤哲也
2020.6.1