木に縛りつけて時間をかけて切り刻むと、売人の口が軽くなった。村のはずれの木のうろに注文書と金を入れておくと、夜のあいだに魔法玉に交換されるという。誰がそれをやっているのか、見たことはなかった。誰がやっているのか、見てはならないと言われていた。 「そういうことなら」とヒュンが言った。「俺がこの目で確かめてやる」 売人から聞き出した木のうろに紙の束を押し込んで、藪に隠れて夜を待った。夜中を過ぎたころになって、白髪を乱した予言者が杖をついて現われた。一人ではなかった。二人でもなかった。あとからあとからやって来て、数十人で木を囲んだ。一人が木のうろに手を入れて紙の束を引っ張り出した。予言者たちが怒り始めた。杖をふりかざして怒りを叫ぶと、暗雲が、とか、雷が、とか、この声を聞けっといった声が切れぎれに聞こえた。クロエが立ち上がって突進した。腰だめに構えたショットガンで予言者たちに散弾を浴びせた。白髪を乱した予言者たちが次から次へと、白い衣を鮮血で染めて倒れていった。だが半分を片付けたところで弾が尽きた。生き残った予言者たちがこの声を聞けっと叫んで杖を振った。そのあいだにヒュンが背後にまわっていた。古い銃で数人をしとめ、弾がなくなると剣を抜いて予言者たちの背中を突いていった。倒れてうめいている者はキュンが羊飼いの杖を使ってとどめを刺した。生き残った者はいなかった。死体が山ほども転がったが、クロエの心は晴れなかった。
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キュンは旅に焦がれていた。ヒツジやヤギの世話から逃げ出して未知の世界に飛び込んで、思うままに冒険がしたいと考えていた。 「なにしろ俺は若いのだから」とキュンは思った。「何にだってなることができる。英雄にだって、なることができる」 「俺は運命を受け入れている」とヒュンが言った。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」 「あんたの運命を分けてくれ」とキュンが言った。「俺も世界を救う英雄になる。だから俺も邪悪な黒い力と戦うんだ」 ヒュンとクロエは羊飼いのキュンを仲間に加えた。三人で強い酒を酌み交わし、夜になるとヒュンとクロエがともに休んだ。二人の寝床から言葉にならない声がもれた。キュンはそれを最後まで聞いた。 「親方に挨拶をする」 朝になるとキュンが言った。親方の家は山をひとつ越えた先にあった。前掛けをかけて出てきた寝ぼけ顏の親方を、キュンは羊飼いの杖を振って殴り倒した。倒れた親方を蹴りつけて、顔に向かって唾を浴びせた。続いてヒュンとクロエが家に飛び込み、めぼしい物を奪い取った。古い銃があったので、ヒュンはそれを肩にかけた。親方の妻と息子がおびえていた。クロエが家に火を放った。親方の妻の髪に火がついて、火だるまになって転がるのをクロエは笑って見下ろしていた。動かなくなるまで笑っていたが、それでもクロエの心は晴れなかった。 青い魔法玉は親方がキュンに与えたものだった。親方は村の売人からそれを手に入れていた。ヒュンとクロエはキュンを連れて村へ行った。堂守の小屋で売人を見つけて取り囲んで締め上げた。
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ヒュンとクロエは手配を逃れ、街道を避けて山道を進んだ。山は危険に満ちていた。忍び寄る小鬼を追い払い、オークの気配を察して藪に散弾を撃ち込んだ。姿がどうであろうと怪物だと思えば剣を抜いて斬りかかって、道を切り開かなければならなかった。ヒツジやヤギを捕えて空腹を満たし、陽が暮れると木の根を枕に横たわり、夜明けとともに起き出して旅を続けた。旅人に出会うと笑顔で近づいていって前方にひそむ危険や罠を探ろうとした。なかなか口を割ろうとしない旅人は疑わしいのでヒュンが剣で突き殺した。あるいはクロエがショットガンで吹き飛ばした。至近距離で散弾を浴びた旅人がはらわたを見せて転がっても、クロエの心は晴れなかった。 山をひとつ越えたところで一軒の小屋に行きあたった。扉を蹴破って小屋に入って、金目の物を探して部屋を荒らした。めぼしい物が何もないのに怒ったところで宝箱に気がついた。ヒュンが宝箱をこじ開けようとしていると、今度はクロエがひとの気配に気がついた。部屋の隅の暗がりで誰かが息を殺していた。クロエがショットガンを構えて近づいていった。暗がりを破って若い羊飼いが進み出た。純朴そうな目をしていた。ヒュンは羊飼いの様子を横目に見ながら宝箱をこじ開けた。透き通るような光を放つ青い魔法玉が入っていた。 「おっと」とヒュンが声を上げた。「こいつはなんだか、見覚えがあるぜ」
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魔法玉の製造と販売を禁止する法律が成立して工場の認可も小売店の営業許可も取り消されると魔法玉産業は地下にもぐった。どの町でも魔法玉屋の看板が消え、裏通りを根城にする売人たちは粗悪な魔法玉を懐に隠して通行人に声をかけた。粗悪な魔法玉はよくポケットの中で爆発した。いきなり解放された魔法の力が酒場の隅で、寝室やパーティ会場で、あるいは中ボスとの対決の最中に、居合わせた者にやけどを負わせ、雷撃を加え、氷点下の地獄を味合わせた。それでも需要に変わりはなかったので粗悪な魔法玉の流通は続いた。魔法玉を買った者は持ち歩く代わりに宝箱に入れて封印した。そうとわかると金のない冒険者たちは他人の家に押し入って宝箱をこじ開けにかかり、見つかると宝箱の持ち主に襲いかかって金品を奪った。凶悪な事件が次々に起こり、警察の捜査は常に後手にまわっていた。捜査官たちは魔法玉の品質が変わってきていることに気がついた。粗悪な魔法玉はいつの間にか駆逐され、中級品以上が市場に多く出回っていた。ときには極上品も見つかった。捜査官たちは確信した。質の高い魔法玉を供給する秘密のルートが存在する。売人たちを締め上げていくうちに、いくつかのおぼろげな線が浮かび上がった。どの線も街道の南につながっていた。捜査官たちは街道の南に注目した。予言が成就しつつある、とミュンが言った。
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チュンの王国が崩壊するまでは単なる公然の秘密であったことが、チュンの王国が崩壊するのと同時に国家を震撼させる事件になった。魔法玉産業と政財界の癒着が暴露され、醜聞は政府の最高位とその身内にまで及んだが、政府は無難な地位にある数人の地方官吏を戒告処分にしただけで幕引きにかかった。しかし正義に目覚めた地方検事が独自の調査によって政府高官の告発に踏み切り、それが引き金となって政財界の重鎮の大量逮捕が始まると、有識者の一部から魔法玉が善良な市民の魂を堕落に導いているという声が上がり、この声に賛同する善良な市民が全国から集まってプラカードを掲げて行進を始めた。善良な市民からなるこの集団は行動の一環としてそろいの腕章をつけて道をふさぎ、通行人の持ち物を調べて魔法玉を没収した。魔法玉を売る店の前で集会を開き、悪臭がする白いペンキを店に浴びせた。対抗する市民集団は腕章をつけた市民に魔法玉で反撃を加え、衝突が全国各地で多発して、騒動に便乗した貧困層が店のショーウィンドウを叩き割って商品の略奪を繰り返した。情勢は不穏の一色に染まり、先行きへの懸念から株価が下がり、資本が海外へ逃げ出し、貨幣価値が急落した。二桁台で進行するインフレーションが家計を圧迫し、失業率が跳ね上がり、取り付け騒ぎを恐れた金融機関は窓口を閉ざして涙を流しながら死に絶えていった。千年にわたる平和と繁栄は崩壊の危機に瀕していた。予言が成就しつつある、とミュンが言った。
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コードネーム U.N.C.L.E. The Man from U.N.C.L.E. 2015年 アメリカ/イギリス 116分 監督:ガイ・リッチー CIAのエージェント、ナポレオン・ソロは東ベルリンを訪れて自動車整備工ギャビー・テラーの身柄を確保してギャビー・テラーの父親で核物理学者のウド・テラーの行方を探るとナチの残党がウド・テラー博士を働かせて核武装をたくらんでいることがわかり、これは東西両陣営の危機だということで、KGBから派遣されたイリヤ・クリヤキンとともにイタリアへ飛んで陰謀を探る。 ナポレオン・ソロがヘンリー・カヴィル、イリヤ・クリヤキンがアーミー・ハマー、ウェーバリーがヒュー・グラント。いわゆる『0011ナポレオン・ソロ』の映画化だが、U.N.C.L.E.は組織の名前ではなく、ナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキンの暗号名ということになり、したがって本部ビルもなければアンクル・スペシャルもアンクルカーもない。スラッシュも登場しない、ということで、シリーズ序盤の雰囲気を踏襲した、ということになるのかもしれないが、60年代的な悠長さまで踏襲することにしたのか、少々だるい。シリーズ序盤の悠長さはどちらかと言えば低予算に起因しているはずなので、踏襲するにしても何かしらの工夫がほしかった。スプリットスクリーンはガイ・リッチーのサインなのかもしれないが、あまり効果を上げていないし、60年代という背景をわざわざ選択している理由もよくわからない。時代への関心がないような気がした。ヘンリー・カヴィルのナポレオン・ソロはいまひとつ余裕を欠いている。アーミー・ハマーのイリヤ・クリヤキンはロシア人に見えてこない。破綻があるわけではないし、とにかくバランスを保ってまとまっているし、ところどころにいいところもあるけれど、作品としての落としどころが見えてこない、というかぱっとしない。企画があったので、それをただ撮っただけではないのか、と疑っている。
ヒュンとネロエはクロエの家で暮らし始めた。ネロエはヒュンのために食事を作り、ヒュンのために床を整え、ヒュンの服の洗濯をした。ヒュンはどこからか羽根飾りがついた帽子を見つけてきて、それをかぶって剣を腰に吊るして町へ出かけた。友達を作り、友達のおごりで酒を飲んだ。したたかに酔って家に帰ってネロエがいなくなっていることに気がついた。ネロエは手紙を残していた。 「邪悪な黒い力が世界の繁栄と平和を破壊しようとしています。邪悪な黒い力が恐怖と暴力によって人々を苦しめようとしています。わたしは自分にできることをしなければなりません。あなたがいつか、わたしの戦いに加わってくださることを祈りつつ。さようなら」 ヒュンは酒瓶から酒をあおってネロエのために乾杯した。 「また会うこともあるだろうさ」 ヒュンは町へ出かけて物陰にひそみ、チュンの家のひとの出入りに目を凝らした。その合間に広場を歩いて娘たちに声をかけた。その中にキロエという名の娘がいた。ヒュンが愛の言葉をささやくとキロエはたちまち恋に落ちた。キロエはチュンの家で働いていた。ヒュンはコロエに宛てた手紙を書いてキロエに託した。キロエは手紙を開いて中を読み、嫉妬の炎に包まれた。それでもキロエは預かった手紙をコロエに渡した。コロエはヒュンの姿を一目見ようとバルコニーに走り出た。ヒュンが手を振ると手すりにからだを預けて身を乗り出した。キロエがコロエの背後に忍び寄った。嫉妬の炎を目にともして、コロエのからだを突き飛ばした。
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クロエはショットガンを構えていた。何かを撃とうとしていたわけではなかったが、何かを撃たなければならないような気がしてショットガンを構えていた。継母と二人の義姉を家から追い出し、刑務所の壁を爆破してトロールを殺戮したが、気持ちはまだ、どこかで収まっていなかった。それほどまでにクロエの怒りは深かった。気がつくと雨粒に顔を打たれていた。稲妻の光が怪物の群れと奇妙な機械を照らし出した。怪物が一頭、こちらに近づいてくる。半分が人間、半分がロボットのような怪物の醜くねじれた首の先に所長の顔が貼りついていた。口をゆがめて何かを叫んでいた。怪物がクロエの前で鉄の爪を振り上げた。 「許さない」とクロエが叫んだ。 怪物に向かって続けざまに弾を浴びせた。怪物は痛みに身をよじり、夜の空に向かって咆哮を放った。クロエがショットガンの弾倉を開いた。父親の形見の魔法弾を腰の袋から取り出して、次から次へと押し込んでいった。 クロエは魔法弾を怪物に浴びせた。一発撃つと凄まじい雷電がほとばしった。あるいは地獄の炎が渦を巻いた。命中すると凍りついて八方に氷柱を突き立てた。怪物たちが逃げ惑った。中にはひざまずいて命乞いをする者もいた。クロエは容赦なしに弾を浴びせた。怪物のからだが千切れ飛び、血まみれの死体の山ができあがった。それでもクロエの心は晴れなかった。
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初めはわずかな数でしかなかったが、やがて大きな数になった。ミュンは荒れ野に練兵場を作り、杖を抱えた予言者が白髪を乱してそこを走った。板で作られた壁を登り、縄をつかんで泥沼を飛び越え、地面に伏せて鉄条網をかいくぐった。予言者たちの頭上を実弾が飛び、ときにはうかつな者が頭を上げて弾にあたった。訓練を終えた予言者たちが姿勢を正してミュンの前を行進した。魔法をあやつる者が間もなく仲間に加わった。備蓄の魔法玉も十分な数に達していた。行動を始めるときが来た。未来を紡ぐべき言葉が実際に未来を紡ぐときが来た。 ミュンは参謀たちの前に地図を広げ、色鉛筆を使って丸を描き、丸から丸へと矢印を描いた。矢印に沿って予言者たちが動き始めた。街道の要所を占領して交通と通信を断ち、孤立した町や村を占領した。占領地域の住民を力強い予言の言葉でひざまずかせた。食糧を調達し、物資を押収し、武器を増やし、仲間の数を増やしていった。白髪の中に黒髪が混じり、男たちの隊列に女たちが加わった。ミュンは杖をふりまわす一群の老婆を山に送って山の民を襲わせた。無認可の魔法玉工場に火が放たれ、捕えられた男たちがミュンの前に引き出された。男たちは拷問を受け、チュンとの関わりを告白した。ミュンは男たちの話に価値を見出し、ただちに行動に移って一帯の魔法玉工場を自分の配下に組み入れた。平和と繁栄は突き崩され、チュンの王国は滅びの道を歩み始めた。予言が成就しつつある、とミュンが言った。
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予言者の群れが町を襲い、村を襲い、街道を旅する旅人を襲った。人々を杖で打ちのめし、財布を奪い、聞けっと叫んで唾を飛ばした。予言者たちの暴虐をはばめる者は一人もなかった。旅の冒険者たちが人々の懇願を聞き入れて予言者たちに挑戦したが、杖で打たれ、石で打たれ、ことごとくが破れて無惨な死体を野にさらした。予言者には魔法を使う者がいた。魔法玉を使う者もいた。抵抗する者は杖で打たれ、石で打たれ、魔法の力で八つ裂きにされた。予言者たちは一見したところ烏合の衆でしかなかったが、実は組織化されていた。組織化された予言者たちを軍歴を誇る一人の男が率いていた。 ミュンという名の男だった。ミュンは軍務から退いたあと、予言者となる道を選んで自分の家族に見捨てられた。あるいは家族に捨てられたので予言者となる道を選び取った。ミュンは未来を紡ぐ言葉を探して荒れ野へ入り、そこで多くの予言者と出会った。 ミュンが荒れ野で見つけた予言者は、どれもが蛸壺のような小さな穴にうずくまって怒りと悲しみを抱えていた。どの予言者も予言が成就しないことに、強い怒りと深い悲しみを抱いていた。世界は未来を紡ぐべき言葉に背を向けて、予言者たちに嘲笑を浴びせた。小さな子供までがわざわざ荒れ野にやって来て、予言者たちに嘲笑を浴びせた。 ミュンは怒りと悲しみを抱えた予言者たちを荒れ野のみじめな穴から引きずり出した。言葉によって自信を与え、戦う力を引き出した。予言者たちは汚れた衣を洗濯に出し、新しい杖を買いそろえた。予言者たちは戦士になった。
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邪悪な黒い力が迫っている、と予言者は言った。千年にわたる平和と繁栄は突き崩され、偉大なる王国は滅びの道を歩み始める、と予言者は言った。苦難の時代がやって来る、と予言者は言った。災いが大地を覆い尽くす、と予言者は言った。邪悪な黒い力がおまえたちの土地を奪い、邪悪な黒い力がおまえたちの土地を耕すであろう、と予言者は言った。予言者たちが道に並んで、声をそろえて終わりの始まりを叫んでいた。 「世界が終わる」 「終末に備えよ」 「この声を聞け」 人々は恐怖に震えて家にこもり、予言者たちの叫びに耳をふさいだ。人々が家にこもって耳をふさぐと、予言者たちは窓辺に駆け寄って怒鳴り始めた。人々が窓をふさぐと、予言者たちは窓に石を投げつけた。無数の予言者がどこからともなく現われて、杖を振り上げ、白髪を乱し、あの家この家と囲んでは昼も夜も石を投げ、聞け、と叫んで唾を飛ばした。子供はおびえ、人々は眠りを失った。鶏は卵を産まなくなり、牛は乳を出さなくなった。斧を握って反撃に出る者もいた。決死の形相で予言者たちを追いまわしたが、すぐに囲まれて石で打たれた。予言者たちは扉を破って家々に押し入り、人々の耳をつかんで聞けっと叫んだ。台所の物を勝手に食べ、沸かしたばかりの風呂を使い、ときには女たちを押し倒した。子供からおもちゃを奪い取り、鶏を盗み、荒らした家に火を放った。 「世界が終わる」と人々は叫んだ。 「終末に備えよ」と人々は叫んだ。 「この声を聞け」と予言者たちが唾を飛ばした。
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町にオロエという名の娘がいた。オロエはヒュンに恋をしていた。バルコニーを見上げるヒュンにせっせと粉をかけたので、ヒュンもオロエに気を惹かれた。 オロエがヒュンを手招いた。オロエはヒュンを路地に引き入れて、楡の木の下で愛の言葉を囁いた。楡の木のうしろではコロエが息をひそめていた。そこに隠れてすべてを聞いた。飛び出していってオロエを遮り、ヒュンに愛の言葉を囁いた。オロエがコロエを罵った。コロエもオロエを罵った。掴み合いが始まった。 「俺は運命を受け入れている」とヒュンが言った。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」 楡の木のうしろにはチュンの子分も隠れていた。子分は見たこと聞いたことを残さずチュンに報告した。 チュンはオロエの父親に金を渡し、オロエは父親の手で修道院に送られた。チュンはコロエを部屋に閉じ込め、ヒュンを捕えて立てなくなるまで殴りつけた。立てなくなると蹴って唾を浴びせかけた。それから子分を一人つけて、南の街道に送り出した。 「邪悪な黒い力が迫っている」とチュンは言った。「おまえが英雄だというのなら、行っておまえの運命と戦ってみろ」 黒い鳥が翼を広げて空を舞った。瞬くことを知らない目で街道を南へ進むヒュンの姿を見下ろしていた。
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町にコロエという名の娘がいた。父親は大きな製材所の持ち主で、家は町で一二を争う金持ちだった。ヒュンは町の広場でコロエを見かけて恋に落ちた。ヒュンが話しかけるとコロエの顔が赤くなった。ヒュンがコロエの髪に触れると、コロエは真っ赤になった顔をうつむけた。男たちの腕が伸びてヒュンを路地に引きずり込んだ。立てなくなるまでヒュンを殴り、立てなくなると蹴って唾を浴びせかけた。コロエは結婚が決まっていた。相手は町一番の金持ちで、魔法玉の問屋をしているの男だった。 魔法玉業界で問屋のチュンを知らない者は一人もなかった。チュンを敵にして生き延びた者もいなかった。チュンは強引で残忍で、まったく容赦を知らなかった。商売敵を力でつぶしながら手を広げ、魔法玉の流通をたった一人で仕切っていた。チュンは合法的な魔法玉も非合法の魔法玉も扱った。チュンの手を経なければたった一つの魔法玉も動かすことができなかった。チュンが咳をすれば魔法玉が市場から消え、チュンがうなずけば市場が魔法玉でいっぱいになった。悪事を重ねて富を築き、町の広場に面した場所に宮殿のような家を建てて、バルコニーから行き交うひとを見下ろしていた。 ヒュンは広場に立ってバルコニーを見上げた。コロエの姿がそこにあった。結婚指輪の宝石がコロエの指で輝いていた。
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所長のグラスの中でワインが波打ち、刑務所の壁が吹っ飛んだ。管理棟の明かりが消え、二週間前の監査で脆弱性を指摘されていた保安システムが機能を停止した。開け放たれた扉から囚人たちがあふれ出した。囚人たちがロボットに襲いかかって、頭をつぶし、腕や脚を引っこ抜いた。地底に並んだ懲罰房の扉も開け放たれた。 「俺は運命を受け入れている」とヒュンが叫んだ。「俺は世界を救う英雄になる。だから俺は邪悪な黒い力と戦うんだ」 ヒュンが名もない剣を抜いて、雄叫びを上げる囚人たちの先頭に立った。突き進む列に列が加わり、叫びが叫びを呼び寄せた。火が放たれ、煙が渦巻き、煙を破って現われたロボットの群れが怒りを叫ぶ囚人の群れと激突した。囚人たちは団結した。鎮圧に送り込まれたロボットたちは一瞬のうちに粉砕された。管理棟で所長が叫んだ。 「トロールを放て」 閉ざされていた鉄の扉が軋みを上げた。封じ込められていたトロールが次から次へと飛び出してきた。巨大なトロールが床を足音で震わせて、囚人もロボットも見境なしに襲いかかった。囚人は跳ね飛ばされて壁の黒いしみになり、ロボットは踏みつぶされて部品を飛ばした。名もない剣を握るヒュンの前に、猛り狂うトロールの群れが近づいた。ヒュンはまったく動じなかった。英雄的な命令を叫んでトロールと自分のあいだに狂乱する囚人の群れを送り込み、阿鼻叫喚の騒ぎを横に見ながら逃げ出した。
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「クロエ、いいことを教えてやるよ。硬くて冷たくて先のない、おまえの亭主が夜になって殻を脱いだら、その殻をどこかに隠してしまうのさ。そうすれば、おまえの亭主は朝になっても殻を脱いだままでいるだろうよ」 継母の言葉を聞いて、クロエは強い誘惑に駆られた。もし継母の言うとおりなら、硬くて冷たくて先のないロボットは、美しい若者の姿のままでいることになる。もし継母の言うとおりなら、美しい若者を夫にして、自分は幸せになれるだろう。 クロエは考えた。どうすべきかを考えた。心に穴が開くほど考えて、家の裏に穴を掘った。 その晩、ロボットが殻を脱いで、若者の姿になって部屋から出ると、クロエはロボットの殻を残らず集めて袋に詰めた。家の裏へ袋を運んで、掘っておいた穴に埋めた。 朝が近づいてきた。クロエは寝床に入って寝たふりをした。クロエが薄目を開けて待っていると、若者が窓をくぐって戻ってきた。殻を探しているように見えた。床に目を落としていた若者が、静かに振り返って寝床のクロエを見下ろした。 「余計なことをしてくれたな。あと一晩、あとたった一晩で呪いを解くことができたというのに。おしまいだ。俺は行く。おまえはここに一人残って、自分がしでかしたことを一生悔やむがいい」 若者がクロエに背を向けた。窓辺に立って腕を大きく広げると、背中から黒い翼が現われた。若者は朝焼けの中へ飛び立っていった。一枚の羽根が風に乗って、クロエの前を音もなく舞った。
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結婚式が終わって夜になった。クロエは初夜の寝床に横たわった。目を閉じて枕に顔を押しつけて、眠ったふりをしながらロボットの様子をうかがった。 寝床のかたわらでロボットが何かをやっていた。硬くて冷たい金属の殻をはずしていた。ロボットの腕の下から人間の腕が現われた。ロボットの脚の下から人間の脚が現われた。ロボットの円筒形の頭の下から美しい若者の顔が現われた。金属の殻をすっかりはずして美しい若者の姿になったロボットは窓から外へ出ていった。 クロエは寝床から滑り出て、爪先立ちで窓辺に走った。どこからか、美しい笛の音色が聞こえてきた。見ると若者が木の枝に腰を下ろして横笛を口にあてていた。クロエは笛の音色に聞き入った。一曲、そしてまた一曲。クロエは時を忘れて、美しい笛の音色に聞き入った。やがて朝が近づいてきた。若者は口から笛を離した。なめらか動作で木から下りて窓に向かって近づいてきた。クロエは寝床にもぐり込んで寝たふりをした。若者は窓をくぐって部屋に戻り、クロエが横たわるかたわらで金属の殻をまとっていった。人間の脚が見えなくなった。人間の腕も見えなくなった。ロボットの頭が若者の顔を覆い隠した。金属の殻をすっかりまとうと、そこには不格好なロボットがいた。 くくくくく、とロボットが笑った。 次の晩もクロエは寝床でロボットを待った。 前の晩と同じように、ロボットは金属の殻を脱ぎ捨てて、美しい若者の姿になると外へ出て、木の枝に腰を下ろして笛を吹いた。そして朝焼けを見る前に部屋に戻り、金属の殻をまとってロボットに戻った。 そしてその次の晩も、ロボットは金属の殻を脱ぎ捨てた。若者の姿になって笛を吹き、朝になる前にロボットに戻った。
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