キック・オーバー Get the Gringo 2012年 アメリカ 95分 監督:エイドリアン・グランバーグ 警察に追われた男がテキサス、メキシコ国境を強引に突破してメキシコへ逃れ、男を捕らえたメキシコの警察署長(腐敗している)は男の車に大量の札束があることに気づいて男をアメリカ側(腐敗している)へ引き渡す代わりに適当な罪でメキシコの刑務所へぶち込んで200万ドル相当のこの札束を懐に入れ、刑務所にぶち込まれた男のほうは少々、というか、かなり風変わりな刑務所の様子(囚人がふつうに銃を持っている、囚人が家族を呼び寄せてふつうに家庭生活を営んでいる、実際のところその辺の盛り場と変わりがなくて、もちろん商売をしている囚人もいるしヘロインもふつうに売っているし、どうやら看守はことごとく買収されていて、特権囚は女をはべらせて刑務所内のカジノで遊んでいる)に驚きながら行動を開始し、まずゴロツキを叩きのめして武器と金を奪い取り、それから刑務所の支配構造を探り出し、そうしていると例によって200万ドルではなくて実はン百万ドルあったはずの金の持ち主が子分を送り込んでとにかく冷酷非情に回収に取りかかるので、やばい金だということに気づいた警察署長があわて始め、刑務所の事実上の支配者である特権囚の一族も一件に気がついて男に近づき、特権囚一族の頭目が自分の肝臓移植のためにドナーの少年を刑務所内に「保護」していることを知った男は自分なりの方法で一連の状況をまとめにかかり、現われた追っ手は恥ずかしげもなくピストルを抜いて刑務所の中庭を血の海に変え、メキシコ政府はこのほとんど悪の牙城のような刑務所を閉鎖するために軍隊を差し向け、銃撃戦の真っ最中だというのに特権囚一族の頭目は少年を捕らえて肝臓移植に取りかかる。 最後まで無名の男がメル・ギブソン、アメリカから追っ手を仕掛ける組織のボスがピーター・ストーメア。メル・ギブソンは良くも悪くも年齢を感じさせない仕事ぶりで、昔のままという感じで元気よく突っ走ってチンピラさながらにピストルの横撃ちをするし、組織の殺し屋は足から現われて腰の二丁拳銃をハイスピード・ショットでぶっ違いに引っこ抜く。登場人物がどれもカラフルで、手短な描写ながらそれぞれにキャラが立っていて、しかもどれもが悪賢い。舞台になる刑務所はどうやらメキシコに実在していて、閉鎖されるときには本当に軍隊が動員されたらしい。そういう背景の選択が面白いし、その背景をまったく無駄にしていない脚本がよくできている。監督のエイドリアン・グランバーグは『アポカリプト』や『ウォール・ストリート』の助監督をやっていたというひとで、これが一作目になるらしいが、絵にメリハリがあってテンポがよくて、見ごたえのある作品に仕上げている。
ランボー/怒りの脱出 Rambo: First Blood Part II 1985年 アメリカ 96分 監督:ジョルジ・パン・コスマトス 脚本にジェームズ・キャメロンが参加している。一作目で大騒ぎをしたせいで服役中のジョン・ランボーの前にトラウトマン大佐が現われ、ベトナムで未確認捕虜の調査をすれば特赦が出ると誘うので、ランボーは再びベトナムに立ち、捕虜を助けるためにベトナム軍やロシア軍と交戦する。一作目の気になるリアリズムはどこかへ吹き飛び、アホウなメロドラマが持ち込まれ、アカプルコ製のベトナムは明るいワンダーランドとなり、空間には連続性がなく、ベトナム軍やロシア軍がぞろぞろと走るとジョン・ランボーが脈絡もなく乱暴をする。で、ランボーもベトナム軍も妙な具合に汚れているので劇場で鑑賞した当時、清潔なユニフォームを着たロシア軍が現われたときには思わずほっとした、という変な記憶がある。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド There Will Be Blood 2007年 アメリカ 158分 監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 二十世紀初頭、プレインビュー、という見通しのよい名を持つ男が石油を求めてニューメキシコからカリフォルニアにやって来て、貧しい土地の貧しい農場のあるじと土地の買い取りの話をしていると、その農場のあるじの息子のイーライというのが自分の教会のために献金を求め、プレインビューが買った土地で石油を掘り始めると、隣の丘の教会では、たしかにイーライが周辺の住民を集めて邪教じみた説教をしている。このイーライの行動は万事においていちいち奇怪に見えるわけだけど、つまりイーライの父親がいみじくも見抜いたように、プレインビューは神の導きによってその地に遣わされた神の道具なのであり、その目的というのは悪魔の申し子であり、父親を殴る息子イーライを滅ぼすためなのであった。だからプレインビューはイーライに向かって、おまえを滅ぼす、とはっきりと告げる。すると悪魔はプレインビューの息子に災厄をもたらしたり、何者でもない男を送ってプレインビューを誘惑したりするが、やがて石油事業によって富を得たプレインビューは館をかまえて悪魔を滅ぼす罠を仕掛け、そこへ株式投機市場の非情さに負けた悪魔が現われて間抜けな取引を持ちかけるので、ボーリングのピンを使って打ち倒す、というとても民話的な話を美しい映像とサイレント映画を思わせるような不思議な空間処理で仕上げている。音楽の不思議な使い方も、映像を象徴へと還元する手段であろう。ダニエル・デイ=ルイス扮するプレインビューは守銭奴ではないし、もう一人の『市民ケーン』でもない。仮にそうだとすると、クライマックスの壮絶な「悪魔祓い」の場面のおけるいたって肯定的な描写が説明できない。『マグノリア』あたりと同様、作り手が自分の手元を見つめてにまにましているのが見えるような映画だが、とにかく傑作である。
シンドバッド虎の目大冒険 Sinbad and the Eye of the Tiger 1977年 イギリス 112分 監督:サム・ワナメイカー 悪い魔女ゼノビアが王子をヒヒに変えてしまうので、シンドバッドは王子とその一行を船に乗せて極北を目指し、ゼノビアは息子と黄金の戦士ミナトンをしたがえて跡を追う。 映画としての面白みはそれほどないが、ヒヒやセイウチ、サーベルタイガーなど、実在する/した動物のモデルに見ごたえがあり、それを動かすハリーハウゼンの精緻なアニメーションがすごい。ちなみにミナトンのなかにはチューバッカのピーター・メイヒューが入っていた模様。
シンドバッド黄金の航海 The Golden Voyage of Sinbad 1974年 アメリカ・イギリス 102分 監督:ゴードン・ヘスラー 航海中のシンドバッドは上空を飛ぶ怪しい鳥を発見し、鳥が甲板に落としていった謎のメダルを拾い上げ、海へ捨てたほうがいいといさめる部下の声には耳を傾けずに我が物にして首から下げる。すると夢に怪しい影が現われて自分の名を呼び、船は嵐にもまれて航路をはずれ、マラビアの国へ流される。上陸したシンドバッドは謎の男に襲われてメダルを奪われそうになり、難を逃れてマラビアの都へ入っていくと、そこで首相の出迎えを受ける。首相の説明によればマラビアにはサルタンがなく、首相がサルタンの地位を継ぐには謎を解く必要があったが、その謎はまだ解けていない。そしてマラビアは悪魔の王子クーラに王位を狙われており、そのクーラこそ海岸でシンドバッドを襲った男であった。ということでシンドバッドはメダルにひそむ謎を解き、首相と謎の美女を船に乗せて謎の島レムリアを目指し、クーラとその従僕もまた船を雇って追いかける。 展開はよどみがなく、テンポが速い。主演のジョン・フィリップ・ローはやや魅力に欠けるが、そこは脇に立つキャロライン・マンローがたっぷりと補っているし、クーラに扮したトム・ベイカーの魔術師ぶりがなかなかに楽しい。ハリーハウゼンの仕事ぶりについて言えば、マンドレイクの根と人血から造られ空を飛ぶホムンクルス、動き出す船首像、ケンタウロス対グリフォンの戦い、六本の剣を手に襲い掛かる女神カーリという具合に見どころにはまったく事欠かない。しかも井戸から出現する全知全能の預言者はなんとロバート・ショーである。
エージェント・ゾーハン You Don't Mess with the Zohan 2008年 アメリカ 113分 監督:デニス・デューガン ゾーハンはイスラエル軍の対テロリスト専門兵士で、ビーチでは無敵、敵地でも無敵(至近距離で発射されたデザートイーグルの弾丸を素手で止める)であったが、夢はアメリカに渡ってヘアスタイリストになることで、パレスチナのテロリスト、ファントムとの死闘の際に自分の死を演出し、中東を離れてアメリカに渡り、ニューヨークでヘアスタイリストの職を探すが、常識がない上に流行から20年も遅れているし、まったくの未経験ということでことごとく断られ、イスラエル/パレスチナ街にあるパレスチナ系の美容室でようやく下働きの職にありつき、間もなく客のカットをする機会を得ると、とても説明できないような独特の趣向が大好評で、下町の小さな店に行列ができ、美人の店長も大喜び、というめでたい展開になるものの、イスラエル/パレスチナ街を地上げして巨大モールを作ろうとたくらむ不動産屋の陰謀が現われ、その不動産屋に雇われた過激な白人至上主義者の一団も現われ、ゾーハン生存の知らせを聞いたファントム(ゾーハンを殺したことでパレスチナの英雄となり、ファーストフードで成功してチェーン店を200も持ち、20人の妻と同衾している)もゾーハンを殺すためにニューヨークにやって来る。 イスラエル/パレスチナの和解をアメリカ/イスラエル寄りからアプローチし、イスラエル/パレスチナを区別しない(どちらも同じように間抜けで図々しい)という見方によってはきわめて微妙な立ち位置にあるが、前向きな態度は好ましい。主演のアダム・サンドラーが製作、脚本にも加わり、主人公ゾーハンのキャラクターが実に丹念に造形され、周辺の中東系キャラクターもよく考慮され、微妙な戯画化が加えられた生活描写が面白く、ヒズボラの電話サービスは素朴に笑える(ただいま停戦交渉中のため、テロ派遣サービスは中止しております)。しかし、なぜあれほどに動物をいじめなければならないのか(これも度を越しているので、唖然としながら笑っていたが)。決して出来のいい映画ではないけれど、とにかく陽性でにぎやかで、無条件に元気なところは買いであろう。マライア・キャリーが本人役で顔を出し、ジョージ・タケイも一瞬、顔を見せる。
キャビン The Cabin in the Woods 2011年 アメリカ 95分 監督:ドリュー・ゴダード 男女5人の若者が週末を過ごすために人里離れた場所にある山小屋を訪れ、山小屋の地下室で見つけた古い日記に記された呪文を口にしてみると地面の下からなにやら這い出て恐ろしいことになる、という例によって例のごときお約束どおりの状況のすぐ外側に男女5人をモニターで監視し、姑息な手段で薬物を投与して興奮させたり判断能力を低下させたり、不純異性交遊を進展させるためにフェロモンをまいたりしている人たちがいて、しかもこの人たちの仲間はどうやら世界中にいて、日本でも同時進行で小学校を舞台に日本製ホラーのようなことをやっている、という話で、この二重底も開けてしまえば『ミッドナイト・ミート・トレイン』と同じような、つまりそれはそれで例によって例のごときお約束どおりの展開になるわけだけど、にもかかわらず日常を引きずったお仕事映画ぶりがなかなかに楽しい。 監督は『クローバーフィールド』の脚本のドリュー・ゴダード。脚本はドリュー・ゴダードと『アベンジャーズ』のジョス・ウェドンの共同で、特にジョス・ウェドンについては『セレニティ』を見て以来、造形力にちょっと感心しているようなところがあって、そこが今回も発揮されてしっかりと頭を使っている雰囲気があり、ダイアログはおおむねジョス・ウェドンのテイストで、なんとなく間の抜けた感じが悪くない。反面、演出はやや理に落ちたのか、少々おとなしめだが、終盤のモンスター総登場と大虐殺はかなり力が入っているし、しかも状況を説明するためにあのひとまでが登場する。もう少し突き抜けた感じがあってもよかったのではないか、という気がしないでもないものの、これはこれである意味、傑作というべきであろう。
シカゴ In Old Chicago 1937年 アメリカ 115分 監督:ヘンリー・キング 1854年、オレアリー一家は新天地シカゴを目指して幌馬車を進めていたが、途中、一家のあるじは幼い子供たちにそそのかされて列車と競争を始め、馬車から転落して最期を遂げる。一転して寡婦となったオレアリー夫人は子供たちを連れてシカゴに到着、生来の意地を張りながらも洗濯店を成功させ、長男はいまや弁護士となり、次男はあぶく銭を追い、三男は母親の洗濯店に勤めるドイツ娘と恋に落ちている。次男のダイオンは洗濯店に持ち込まれたシーツに町の有力者ウォーレンが書き残したメモを発見し、これは商売になると考えて直感にしたがい、ウォーレンが東部から呼び寄せた歌姫ベル・フォーセットを執拗に口説いて町いちばんの酒場を開き、一方、長男のジャックは唐突に現われた推薦人に囲まれて市長の候補に擁立され、対立候補ウォーレンと一騎打ちをすることになり、ウォーレンがダイオンの悪辣な選挙妨害によって敗北すると、ジャックが新たな市長となる。ということでダイオン・オレアリーは有力者ウォーレンを駆逐し、しかも自分の力で兄を市長にしたということで自分の権力を実感するが、新市長ジャック・オレアリーは公約どおりに町の浄化に取り掛かり、その標的に弟を選ぶので、ダイオン・オレアリーは兄に対抗してさらなる悪事をたくらみ、ところがそれが誰にも受けなかった、というあたりで1871年のシカゴの大火が発生し、火災は延焼に延焼を重ねて町を呑み込み、ガスタンクは爆発し、倉庫の油も爆発し、爆発に驚いた牛の大群は暴走を始め、町は阿鼻叫喚に包まれる。 異常なほどの快活さで悪事をおこなう次男がタイロン・パワー、まじめな長男がドン・アメチーである。タイロン・パワーの悪党ぶりがなかなかにすごいが、タイロン・パワーなのでなにをやっても悪役ではない、というところがものすごい。その代わりにウォーレン役のブライアン・ドンレヴィがたいして悪いこともやっていないのに悪役扱いされて分相応の最期を遂げたりする。話の展開はきわめて速いが、家族愛や兄弟愛、その和解までやろうと欲張ったところで、ややまとまりが悪くなっている。クライマックスの火災の場面はかなりの迫力があり、消防馬車のさまざまなバリエーションも登場する。
風とライオン(1975) The Wind and the Lion 監督・脚本:ジョン・ミリアス 1904年のモロッコ。アメリカ人女性イーデン・ペデカリスとその二人の子供がリフ族の首長ライズリによって誘拐される。ライズリによれば、これはサルタンが列強の術中にあることを世に知らしめるためであったが、選挙を目前に控えて再選をもくろむルーズベルトは問題を看過し得ないとして艦隊を送り、タンジールに上陸した部隊はパシャの宮殿を攻撃、占拠する。すると問題は解決に向かって動き、ペデカリス母子は解放されるものの、優勢を誇るドイツ軍はライズリを捕縛、ドイツ軍の行動はルーズベルトが与えた言質を損なうと信じたペデカリス夫人は海兵隊を扇動し、そこへリフ族も大挙して攻め込んでくる。 ライズリがショーン・コネリー、ペデカリス夫人がキャンディス・バーゲン、ルーズベルトがブライアン・キース。ジョン・ミリアスはルーズベルトを吹き抜ける風にたとえ、ライズリをそこにい続けるライオンにたとえ、モダンな視点で両者の政治的特徴を対置する。かなりの単純化が機能しているような気がするものの、とにかくショーン・コネリーがかっこいいし、砂漠や荒れ野を進むリフ族の戦士たちもかっこいいし、そういう環境になんとなく感化されていくペデカリス夫人の子供たちが面白い。そしてなんといってもジェリー・ゴールドスミスの音楽がすごいのである。
フロント・ページ The Front Page 1974年 アメリカ 105分 監督:ビリー・ワイルダー シカゴ・エグザミナー紙の敏腕記者ヒルディ・ジョンソンは記者業に終止符を打って婚約者ペギー・グラントと結婚しようとしていたが、それが面白くない編集長ウォルター・バーンズがいろいろと仕掛けて引き止めようとしているうちに脱獄囚アール・ウィリアムズが現われる。 新聞社を舞台にしたコメディで、ベン・ヘクトとチャールズ・マッカーサーによる戯曲の映画化である。ルイス・マイルストンによる最初の映画化(『犯罪都市』1931年)は未見だが、ハワード・ホークスによる二度目の映画化(『ヒズ・ガール・フライデー』1940年)よりもわたしはこのほうが好きかもしれない。ヒルディがジャック・レモン、バーンズがウォルター・マッソーで、この二人の命ぎりぎりみたいな掛け合いがもう壮烈で、画面に向かって思わず拍手していた。ちなみにこの映画の撮影ではビリー・ワイルダーがあまりにひどくしごくので、ウォルター・マッソーはほとんど神経衰弱のような状態に陥って、隣で撮影中の別の映画のセットに逃げ込んで、ついでに客演もした、というのが『大地震』という噂は本当なのか(たしかに一瞬だけ顔を出している)。