2016年7月31日日曜日

シン・ゴジラ

シン・ゴジラ
2016年 日本/アメリカ 120分
監督:庵野秀明、樋口真嗣

東京湾に突如として怪生物が出現、蒲田方面から川沿いに都内に侵入してプレジャーボート多数を破壊、やがて上陸するとずるずると這い進んで一帯に大被害を与え、形態を少々変えて立ち上がると思い出したように海に戻るので、政府は官房副長官を筆頭に対策チームを結成、ここにアメリカから極秘情報がもたらされ、怪物の名称、生理的特徴などがあきらかにされ、怪物駆除のための作戦が立案され、そうしているとゴジラが相模湾から鎌倉方面に上陸、川崎を横断して東京を目指すので防衛出動を命じられた自衛隊は武蔵小杉周辺の多摩川沿いに部隊を展開、しかし通常兵器ではゴジラは倒せない、ということで国連による国際管理の動きが現われ、多国籍軍の指揮で核攻撃という話まで出てくるので、対策チームは作戦の実施を急ぎ、フランス政府を巻き込んで核攻撃の時期を遅らせ、アメリカ軍との共同作戦でゴジラに立ち向かう。 
予想に反して、と言えば失礼なことになるのだろうが、予想に反してよくできていた。基本的な構図はゴジラ対日本政府であり、日本政府内部の自然な挙動がおもに調整局面に集中しているとすれば、さまざまなバリエーションの会議形態が登場するのも自然であり、たしかに会議の場面が多いものの、まったく無意味に多いわけではなく、むしろ必要があって多くなっていると考えることもできるほど、構造的に消化されている。ゴジラについても五段階の変態というアイデアは面白いし、通常兵器が通用しないという部分についても一生懸命説明しようと試みている。そして最終的な駆除作戦は軍事的な正確さで構成されたほぼ完全な土木工事であり、危険にさらされながらそれを淡々と進める演出は好ましいと感じた。いわゆる『ゴジラ』シリーズの中では初代『ゴジラ』に次いで重要な作品だと言えるだろう。ギャレス・エドワーズの『ゴジラ』がいわゆる『ゴジラ』シリーズへの愛情表現であったとすれば、『シン・ゴジラ』は初代『ゴジラ』の現代的な再解釈であり、東日本大震災に接続されていく。まじめに考えて作っているし、アイデアの出し惜しみをしていない。全体としての単調さは否めないし、純粋に映画としての質について考えるなら疑問符が貼りつくことは避けられないし、石原さとみのよくわからない配役にも疑問符がしっかりと貼りついているが、都市破壊型怪獣映画としては出色と言ってよい出来栄えであろう。 

Tetsuya Sato

2016年7月18日月曜日

インデペンデンス・デイ:リサージェンス

インデペンデンス・デイ:リサージェンス
Independence Day: Resurgence
2016年 アメリカ 120分
監督:ローランド・エメリッヒ

1996年の事件から20年後、エイリアン・テクノロジーを手に入れた人類は宇宙戦闘機の部隊を作り、月面に基地を作って外宇宙からの侵略に備えていたが、エイリアン・テクノロジーを手に入れることに夢中になっていたせいなのか、侵略者の文字も言語も解読しないまま放置していて、たまたま独学でそれをやっていたひとがいたおかげで多少の理解を得ることができて、それでエイリアンがなにやら恐れているものがあるらしい、というようなことが判明するが、そのとき外宇宙からなにやら怪しい物体が接近し、さっそく撃墜して月面に落ちたところを調べてみるとエイリアンがなにやら恐れているものとよく似たものが見つかるので、それを地球へ運ぼうとしていると20年前に同胞から発信された救難信号を受信したエイリアンが全長4000キロを超える母船でやってきて再び地球に襲いかかり、地球に覆いかぶさって地球のコアを破壊しにかかるので、人類は総力を挙げて反撃、一方エリア51では月面で発見された物体が友好的な地球外生命体で、その地球外生命体から得た情報で同様に侵略を受けたさまざまな地球外生命がどこかの惑星の地下に隠れて秘密兵器を作ってレジスタンス活動をしていることが判明し、一方エイリアンの宇宙船からは女王を乗せた部分が分離してエリア51に接近、人類はまだるっこしいほど偉大な自己犠牲の精神を発揮して女王の船を破壊することに成功するが、プロテクトスーツに身を包んだ巨大な女王が残骸を破って現われてエリア51に襲いかかり、一方地球のコアが破壊されるまでにわずか数分の猶予となり、人類は総力を挙げて女王を攻撃、女王の殺害に成功すると巨大な宇宙船は引き上げて地球の危機は去り、その攻撃性を認められて人類は宇宙レジスタンスのリーダーになり、ということは次作は星間戦争なのであろう。 適当な脚本、わずらわしいキャラクター、自動的な編集、発見が困難な演出の痕跡、とやる気のなさがとにかく目立つ。眠い。 
Tetsuya Sato