続・夕陽のガンマン Il Buono, Il Brutto, Il Cattivo Da Uomo A Uomo 1966年 イタリア・スペイン 155分 監督:セルジオ・レオーネ 二十万ドルの軍用金をめぐって三人の男が対立する。だから最後の決闘も三つどもえである。『続・ 夕陽のガンマン』という邦題は完全な間違いで、ここはやはり原題どおりに『いい奴、悪い奴、汚い奴』と覚えるべきであろう。まずイーライ・ウォラックが登場して「汚い奴」とレッテルを貼られ、次にリー・ヴァン・クリーフが登場して「悪い奴」ということになり(本当に悪い)、最後にクリント・イーストウッドが「いい奴」として紹介されるが、ラストでイーライ・ウォラック扮するトゥーコが指摘するように、それほどいい奴というわけではない。 超大作で、三人が動き回る背景では勝手に南北戦争が進行していて、軍隊が移動し、戦争のせいで町は廃虚と化しているし、降り注ぐ砲弾がときどき状況をリセットする。ほかにも北軍の捕虜収容所、北軍の塹壕陣地などが登場し、奥行きのある見せ場に恵まれている。クリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフは例によって渋く決めているが、そこへ一種のコメディ・リリーフとして投入されたイーライ・ウォラックが圧倒的に面白い。早撃ちで、間抜けで、妙に正直で、執念深い悪党である。しかもホルスターを持っていなくて、いつもピストルを首からぶら下げている。間抜けな割りにはこだわりがあって、武器をなくして金物屋を訪れ、シリンダーの回転音に耳を澄ませながらいくつかのピストルからカスタムメイドを組み上げる場面などはひげ面に浮かんだ神妙な表情がなんともかわいらしい。モリコーネの音楽も乗り乗りだし、ひねりの利いた傑作である。
夕陽のガンマン Per Qualche Dollaro In Piu 1965年 イタリア・スペイン・西ドイツ 132分 監督:セルジオ・レオーネ 盗賊の頭目インディオは子分どもの手引きで刑務所を脱走、エルパソにある銀行の金庫を狙い、一方、二人の賞金稼ぎがそれぞれにインディオの動きを追ってエルパソに到着、それぞれにインディオ一味の一網打尽を狙い、相手が全部で十四人もいるという理由から協力する。 若い賞金稼ぎモンコーがクリント・イーストウッド、中年の賞金稼ぎがリー・ヴァン・クリーフ、それなりに頭は切れるが妙なところで心に傷を負っている盗賊の頭目インディオがジャン・マリア・ヴォロンテ。話はいたってシンプルだが、二人の賞金稼ぎが相棒の裏をかこうとたくらみ、盗賊は盗賊で結果として賞金稼ぎの裏をかき、クリント・イーストウッドのガンマンはときどき本当のことを言う、という具合に展開はすこぶるスリリングで、セルジオ・レオーネの演出は娯楽に徹してテンションが高く、そのテンションをモリコーネの音楽がさらに盛り上げる。クリント・イーストウッドがちょっと引いて、リー・ヴァン・クリーフに渋いところを譲っているのがまた憎くて、ラストシーンなどは実にいい感じに仕上がっている。
荒野の用心棒 Per Un Pugno Di Dollari 1964年 イタリア 100分 監督:セルジオ・レオーネ 国境のメキシコ側に小さな町があり、二人のボスに仕切られている。そこへ現われた流れ者のガンマンが自分をあっちに売りこっちに売りしているうちに一方が一方によって根絶やしにされ、残る一方もガンマンによって滅ぼされる。 黒澤明『用心棒』の翻案。ただしプロットは大幅に変更されていて、具体的に似ていると言えるのは冒頭の腕試し、あとは袋だたきにされたガンマンが奇怪な方法で勝利を得るところくらいであろう。わたしとしては胸に仕込んだ鉄板や拳銃対ウィンチェスターの決闘よりも、シンプルに宙を飛ぶ刺し身包丁のほうが好みである(ただダイナマイトを吹っ飛ばして自分で砂塵を作ってから登場する場面は何度見ても笑えるし、そのあとの構図は抜群にかっこいいと思う)。仲代達矢に相当するジャン・マリア・ヴォロンテの役柄は凶悪無比に強化され、オリジナルで小さくまとめられていたエピソードは大きく膨らまされ、ユーモアは影をひそめている。クリント・イーストウッド扮する流れ者は三船敏郎に比べると遥かに軽く、若々しくて、それだけに足元が危なそうな雰囲気があり、殴られたりするとひどく痛々しい。
ウエスタン C'Era Una Volta Il West 1968年 イタリア・アメリカ 165分 監督:セルジオ・レオーネ 鉄道会社の社長は専用車に乗り込んで延びる線路とともに西を目指し、太平洋の波の音を夢見ている。前方に現われる障害は雇われ者の殺し屋が銃で片づけ、ニューオリンズから鉄道でやってきた新妻は夫の家に到着して夫とその家族の遺体と出会い、ハーモニカを吹く男やひげ面のアウトローなどが現われて次第に状況を広げていく。 未亡人も殺し屋も謎の男もアウトローも、そして鉄道王もそれぞれに内面の問題を口に出さないままに抱えていて、そこへ利権と怨恨と野望と希望がからんでいく複雑なストーリーはセルジオ・レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチによる。レオーネの演出はほぼ常時ハイテンションを保ち、2時間45分の長尺ををまったくたるませない。語り口は豊かで、ただ見得を切る場面にもじっくりと手間と暇をかけ、見る者をひたすらに惹きつけるのである。出演者の演技もすばらしい。ヘンリー・フォンダが非情な悪役として登場するが、これが本当に悪人にしか見えないし、しかもただの悪人ではなくて自分が時代に乗り遅れていることをどこかで自覚していて、だから向上しなければならないと考えていても、その向上心が自分の本質的な部分とどうにも噛みあわない、というかなり複雑なキャラクターをそのままに演じているのである。やっぱりこのひとは偉い役者だと思う。自分のテーマ曲をハーモニカで引きずって現われるチャールズ・ブロンソンはとにかくかっこいい。クラウディア・カルディナーレは美しいし、どこかに二心を帯びて強ばったところから、やさしい表情を取り戻していく過程には見ごたえがある。しかしいち押しはジェイソン・ロバーズで、張りつめたところへこの男が間抜けなひげ面を抱えて現われると場面が和らいでほっとするし、最後にはつい涙を誘われる。60年代のレオーネ作品の特徴として撮影の粗さがときとして気になるが、いかにも大作らしく画面には常に奥行きがあり、美しいシーンも山ほどもあり、しばしば現われる大胆な構図には思わず興奮させられる。
ホワイトハウス・ダウン White House Down 2013年 アメリカ 131分 監督:ローランド・エメリッヒ 議会警官で下院議長の警護をしているジョン・ケイルは娘の尊敬を勝ち得るために娘を連れてホワイトハウスを訪れてシークレット・サービスの面接を受けるが学歴その他の問題から失敗し、せっかく来たのだからということでホワイトハウスのツアーに参加しているといきなり国会議事堂で爆発が起こり、ホワイトハウスでは大統領警護官が襲撃にあって武器を奪われ、ホワイトハウスはどこからともなく出現した武装勢力によって占拠され、混乱のなかで娘を救うために走り出したジョン・ケイルはたまたま大統領を危機から救い出し、以降大統領と協力しながらホワイトハウスのなかで敵と戦う。 ジョン・ケイルがチャニング・テイタム、大統領がジェイミー・フォックス、愛国者がジェームズ・ウッズ。 チャニング・テイタムがいい感じで、野性味がある割にはかわいらしい、というところが一昔前のブレンダン・フレイザーを思わせる。ジェイミー・フォックスの大統領はほどよくオバマのパロディになっていて、そこにいかにもエメリッヒ的な演出が加わると大統領がホワイトハウスの庭で大統領専用車から身を乗り出してRPGを発射するというあられもないシーンにまとまることになり、このあたりのいじり方がなかなかに楽しめる。アクション映画としての水準は確実にクリアしているし、とにかく笑いどころが多いのは悪くない。
ワールド・ウォーZ World War Z 2013年 アメリカ 116分 監督:マーク・フォースター ゾンビ・パンデミックが起こって都市が次々に壊滅し、家族とともに洋上に逃れた元国連職員ジェリー・レーンは国連事務次長の要請で任務に復帰してワクチン開発のためにウィルス学者とともにC130に乗り込んで韓国へ飛び、手がかりを得られないままイスラエルに飛び、イスラエルでの騒動にヒントを見つけてウェールズにあるWHOへの研究所へ飛び、そこで思いついたヒントを実証するためにゾンビの目を盗んで足音を忍ばせる。 序盤のフィラデルフィアからニューアークにいたる一連のシーンは迫力があるし、大西洋上の国連艦隊も悪くないし、エルサレムのシーンの力の入り方も半端ではないが、ヨンカーズの戦いもレデカー・プランもアリゾナの殲滅戦も登場しない。もちろん原作のあれがない、これがないというつもりはまったくないが、原作をひとかどの作品にしていた登場人物の無名性と多声性はブラッド・ピット扮する主人公とその家族という主軸を与えられたことで決定的に損なわれた。スピルバーグがすでに『宇宙戦争』でトム・クルーズをすんなりと無名性のなかに埋め込んでいるというのに、ここでは先祖がえりのような明瞭な輪郭が幅を利かせていて、あなたどこにいるの、コニーどこへいった、というアホウな台詞を我慢しなければならなくなっている。人間を徹底的に物質化した映像は先端的だが、映画はその映像を消化できずに終わっている。たとえば『コンテイジョン』を見本にする、といったようなことは誰も考えなかったのだろうか。
愛と裏切りの戦場 L'Amore e la guerra 2007年 イタリア 206分 TV 監督:ジャコモ・カンピオッティ 1917年。レジス伯爵家の令嬢アルベルティナはアルプスでオーストリア軍と対峙しているイタリア軍の歩兵中尉と文通をしていたが、やがてそれだけでは足りなくなり、会ったことのない中尉と会い、また祖国への義務を果たすため、看護士を志願して戦地へおももき、野戦病院の目を覆う惨状に衝撃を受ける。それでも気を取り直して中尉の所在を質し、中尉の所属部隊が要塞に駐屯していることを知って異動を志願、そこで父親の将軍と遭遇するが、要塞はドイツ軍の攻撃を受けて父親は戦死、イタリア軍は後退を開始し、トリノからやって来た母親が夫の遺体とともにアルベルティナを連れ戻そうとする。しかし難民の群れを見たアルベルティナは帰還を拒否、祖国への義務を果たすために再び看護士の制服をまとう。 一方、要塞から後退したイタリア軍部隊はアルプス山中に布陣してオーストリア軍の要塞と対峙していたが、強固な造りの要塞がイタリア軍の攻撃をことごとく跳ね返すので山には死体の山が築かれている。ところが元鉱夫で有能なパッリ軍曹がイタリア軍の陣地からオーストリア軍の要塞までトンネルを掘る戦術を将軍に提案、将軍はこれを受け入れてパッリ軍曹に指揮を託す。このパッリ軍曹こそがアルベルティナの文通相手の手紙を代筆していた本人であり、実はすでにアルベルティナが心ひそかに焦がれる相手であり、パッリ軍曹もまたアルベルティナに焦がれていた。そしてパッリ軍曹の上官であり、賭博で財産を蕩尽して借金を抱え、アルベルティナの持参金を狙っていたアヴォガドロ大尉としては、これがまず面白くないし、パッリ軍曹が自分の頭ごしに将軍に提案をしたことでも面白くないし、無知で出の悪いパッリ軍曹が予想に反して知的にふるまい、将軍から好意の視線を向けられるのも面白くないので、たまたま接近してきたオーストリアのスパイに情報を売り、パッリ軍曹率いるイタリア軍部隊はトンネルでオーストリアの罠にあって壊滅的な打撃を受け、怒る将軍に向かって大尉はパッリ軍曹の裏切りをほのめかし、当のパッリ軍曹はオーストリア軍の捕虜となり、裏切り者の正体を暴くために収容所を脱走して負傷し、駆けつけてきたアルベルティナの看護を受ける。 回復したパッリ軍曹は軍に復帰し、汚名を晴らすために将軍への面会を求めるが、将軍はアヴォガドロ大尉に指揮を託して戦線へ移動していたため、軍曹は逮捕されてロッカの軍監獄へ移され、そこで死刑の判決を受けるので、アルベルティナは愛するパッリ軍曹を救うためにアヴォガドロ大尉の求婚を受け、アヴォガドロ大尉はパッリ軍曹を監獄から解放するものの、懲罰部隊に送って敵の銃弾の正面に立たせる。これによってアヴォガドロ大尉は邪魔者を片付けられるはずであったが、尊大でひとの心を踏みにじる大尉はオーストリアのスパイの心も傷つけていたので、トリノへ戻ろうとするアルベルティナの前にはオーストリアのスパイが現われてアヴォガドロ大尉の反逆の証拠を差し出し、真相を知ったアルベルティナは前線へと急ぐが、懲罰部隊はすでに突撃を始めて大半が戦死、アヴォガドロ大尉を逮捕しようとした副官は大尉に殺され、アルベルティナもまた窮地に陥るが、オーストリア軍の陣地を破壊してイタリア軍に勝利をもたらしたパッリ軍曹がそこへ現われ、アルベルティナを救い出し、悪党の大尉は逮捕される、という話を3時間半かけてやるテレビのミニシリーズである。 いちおう第一次大戦中の激戦地カポレットが舞台になっているが、愛し合う二人が様々な障害、というよりももっぱらアヴォガドロ大尉という障害を乗り越えて結ばれるまで、という内容で、ほれたのはれたの裏切るので忙しくて戦争はほとんどやっていない。冒頭と終盤に二度ほど戦闘シーンが挿入されているが、少人数で迫力もない。ただ、イタリア軍の制服、装備、要塞などのディテールは非常によくできていて、これは珍しいし、戦闘シーンがいいかげんなのと、アヴォガドロ大尉を悪役に仕立てる都合上、指揮システムを無視してなんでもあり、といういいかげんな設定が気にならなければ、おおむね面白い。
ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー Hellboy II: The Golden Army 2008年 アメリカ/ドイツ 120分 監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ 人類の傲慢と不遜にたまりかねたエルフの王子が封印されている黄金の軍団を蘇らせて人類を滅ぼそうとたくらむので、ヘルボーイほかがそれを阻む。いたってシンプルな筋立てだが、「ゴールデン・アーミー」にかかわる前段の状況をヘルボーイの少年時代に移してジョン・ハートに語らせるところから思わず好印象を抱き、それとなく異形の側に肩入れをしながらも官僚的な身も蓋もない反応も忘れずに織り込む手際のよさに素材に対する愛着を感じた。愛が見えるのである。
デビルズ・バックボーン El Espinazo Del Diablo 2001年 スペイン 106分 監督:ギレルモ・デル・トロ 内戦下のスペイン。父親を失った少年カルロスは孤児院へ送られ、白昼、その中庭の戸口で少年の幽霊を見かける。そしてそれからも霊現象が頻々と起こり、孤児院の地下には秘密が隠され、院長や管理人にも秘密があり、つまり図式としてはよくある幽霊譚だし、ホラーとして見ると格別どうということもないのだが、状況描写の手際のよさ、スタイルのある場面作りにはいささか感じ入ったような次第である。